けっこうハードなスケジュールで上田真田まつりに行って来た 6 戸石合戦図屏風

 セリアで見つけた昔話シリーズその2。ミニレターセット浦島太郎。

 亀グッズとして買いはしても、正直ぜんぜん使うアテありません。増えて行くばかり。コレクションなんだから別に使わんでもイイんだとは思うけど。

 自室のタンスに子供の頃っぽくシールをベタベタ貼りたい。でも100円ショップとか文房具屋とか、普通に売っているのは嫌なんだよな。お菓子のオマケシールじゃなきゃ、自分としてはわざわざ貼る価値無し。

 でも今時シールがオマケのお菓子はなかなか売っていないし、たとえ手に入れられたとしても結局は勿体なくて使えないであろう性格が悲しい過ぎる。


2018年5月19日 セリア amifa ミニレターセット 浦島太郎


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 5からのつづき。

 この後、「上田原の戦い」の解説とか色々あったけど、ホントに長いんで端折る。詳しく知りたいヒトは坂城町のふるさと歴史館へ行くと楽しいですよ。職員のヒトも優しかったし、面白いお土産物もあった。歴史館からほんの少し歩いた所にもお店あるん。

 戸石城(砥石城)は頂上まで登ったことあるので、思い入れがある。アレを登山と言い切ってイイのか知らんけど、高尾山、青梅の御岳山(2回)よりも遥かにキツかったのが戸石城(砥石城)。その程度の経験しか無いということ。

 頂上に着いた時、まず「大体…こんな場所に城を建てようと思ってホントに建てちまうなんて頭おかしい。そしてソコを攻め落とそうとして実際に落としてしまう当時の武将達は頭おかしいとしか思えん…」とつくづく呆れ果てたのであります。

 死んでもイイから御柱祭やだんじり祭に参加したいヒト達は、当時の武将達のDNAを濃く受け継いでいると思う。要は楽しいんだよきっと。敗けたら血統が断絶してしまうとか生活がかかっているとか、そういうのを抜きにして血が滾るのを抑えられないんだろう。と、勝手にそう思うことにしている。

 そう思わないことには、ヒトとヒトの殺し合いを喜んで趣味にしている自分自身が死ぬほど嫌になる瞬間があるって理由もある。たとえば祖父も徴兵されて参戦した太平洋戦争、現代でも起こっている紛争や戦争は許せなくて、大昔の戦争なら許せるって矛盾にどうつじつまを合わせたらイイのだろうか?

 これこそ「業」ってヤツなんだと思うしか無い(しつこいけど、なんて便利な言葉)。どうせもう年だし、幸い子供もいないし、死ぬまでキチンと選挙には行くけど、国家の面倒事はなるべく少しずつ考えないようにして行くつもり。

 たとえば自分が共産主義だとして(※あくまでたとえばですよ)、非の打ち所の無い完璧な共産主義国家に行き着くまで一体何十世代かかるん?自分が死んだ後のことまで憂いたくない。大体、毎日1日1日を生きるのに精いっぱいの世の中になってしまったし「もうイイや」って。


2018年4月28日 坂城町 坂木宿 ふるさと歴史館 戸石城合戦


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 塩尻峠の合戦で勝利し、体制をととのえた武田信玄は、守護小笠原長時を松本平からおいだし、天文19年(1550)、ふたたび村上義清をうつために出陣しました。信玄は義清の居城である戸石城(上田市)を攻撃しますが、このとき義清は高井郡の高梨氏とのたたかいのため出陣していました。義清は高梨政盛と和睦し、連合して戸石城の救援にむかいました。義清の来援により信玄は戸石城攻略を断念し退却をはじめますが、この退却時に村上勢の追撃をうけた武田勢は、横田高松をはじめ1000人ほどをうしないました。 

 「戸石崩れ」とよばれるこのたたかいに勝利した義清は佐久郡へ侵攻し、一方で長時の旧領を回復するため松本平へも兵をだしました。しかし、天文20年5月、戸石城が真田幸隆の攻撃により落城すると、信玄は義清の本拠地葛尾城めざして進軍を開始しました。

 ↓これは、戸石城合戦の様子を描いた浮世絵だそうで。


2018年4月28日 坂城町 坂木宿 ふるさと歴史館 戸石城合戦図 12018年4月28日 坂城町 坂木宿 ふるさと歴史館 戸石城合戦図 22018年4月28日 坂城町 坂木宿 ふるさと歴史館 戸石城合戦図 3
 戸石城合戦図 江戸後期 錦絵 絵師:歌川国貞(三代豊国 )


 天文19年(1550)8月末から始まった武田晴信(信玄)による戸石城攻略戦は「信玄の砥石崩れ」と称されるように、武田方の敗北に終った。しかし、この浮世絵にも描かれた砥石合戦の様子は、年代が天文15年5月と表記され、勝者も武田側とされているように、江戸時代、武士の間でベストセラーとなった武田家の軍略本『甲陽軍鑑』を元にして製作されたものである。
 画面の中央には村上家の拠点「砥石城」が描かれ、信玄は画面左端、馬上で采配を振るっている。信玄の周辺には原美濃守、高坂弾正などがひかえ、山本勘助や武藤喜兵衛(真田昌幸)、甘利備前守、横田備中守・彦十郎など武田家のそうそうたる武将が村上方と激戦を展開している。
 一方、村上方は画面右端に位置し、先陣は楽岸寺駿河守がつとめている。それに続くのは長沼修理・布下平治・和気喜兵衛。小嶋五郎左衛門は武田方の横田彦十郎の槍先によって落馬している。村上方の総帥村上義清は後方に続き、その後からは村上家の後詰の大軍が戦場に向かっている。
 江戸後期の浮世絵師、歌川国貞(三代豊国)の作画による。


2018年4月28日 坂城町 坂木宿 ふるさと歴史館 戸石城合戦図 (浮世絵) 解説


 甲陽軍鑑(現代語訳)持っているけど、もう随分昔に読んだきりだから内容なんか全く覚えていない。この本によれば、戸石城の戦いも武田側の勝利になるんか。許せんよ…。


2018年4月28日 坂城町 坂木宿 ふるさと歴史館 川中島合戦図屏風 紀州本


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 川中島合戦図屏風:紀州本

 和歌山県立博物館が所蔵する川中島合戦図屏風は、越後流軍学の影響のもとで、上杉側の立場から、天文23年(1554)合戦と弘治2年(1556)合戦をえがいた作品である。

 成立は17世紀後半とみられ狩野派の手による。六曲一双の中屏風ではあるが、動的な群衆描写と緻密な人物表現とをくみあわせ、合戦図屏風として出色の出来ばえをしめしている。
 天文23年の合戦(右隻)においては、上杉軍が武田軍を御幣川においつめた場面をえがき、謙信と信玄の一騎打ちが表現されている。弘治2年の合戦(左隻)では、武田軍の啄木鳥戦法の裏をかいた謙信が武田本陣を夜襲し、陣屋に火をはなってせめている場面をえがいている。村上義清は両面でえがかれており、特に右隻の合戦では、場面中央で信玄の弟信繁を槍でせめたてている様子がいきいきと表現されている。

 …こんな解説でした。


2018年4月28日 坂城町 坂木宿 ふるさと歴史館 川中島合戦図屏風 紀州本 村上義清


 村上義清の弱体化が、川中島合戦のキッカケなんだな。五回の川中島の内、村上勢が参戦したのは四回までっぽい。↑コレは、義清の活躍を切り取ったところ。信繁をホントに討ち取ったかどうかはちょっと定かでない…みたいな話がWikiに載っていた。

 村上義清(生涯)Wiki リンク

 なかなか上田真田まつりに辿り着かなくてツラい。

 まだまだつづく


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