カパル優勝 第11回 志木市民まつり カッパだよ全員集合!
…しかしなんでカパル?
ゆるキャラⓇグランプリは無関心なのでチェックはしていないんだけど、今回は公介氏とキャラクター物とかぜんぜん興味無さそうなお友達が「今年は志木市のカパルだって」と、ほぼ同時に教えてくれたです。
・
・
・
そういや土曜日は、日高屋の期間限定モツ野菜ラーメン食べたよ(やっと2度目)。けっこう遅い時間だったのに満席寸前。というより、大体いつも満席じゃないか?なかなか入れなくて悲しい。
初モツ野菜ラーメン https://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-615.html
もうとっくに別メニューに変わっているなーと諦めていたんだけど、まだだったので嬉しかったです。

今年も志木市民まつりに行って来ました。志木市は浦和から近くて、楽に大勢のキャラクター達に逢える貴重なイベント。
志木市民まつりとは1ミリも関係ないけど、最近、我々の推しているキャラクターはアオキノコちゃんと同じ長野県の「かやぶきん」だな。

信州ご当地キャラクター かやぶきん https://www.nagano-tabi.net/modules/character/index.php?id=35
「こういうのでいいんだよ こういうので」を、実体化させたキャラクターとでも言おうか。情報が少ないので是非会いに行きたいと思っている。頑張れかやぶきん。
例年通り、農作物品評会の授賞式→来賓のご挨拶→ゆるキャラⓇステージでした。
例年に比べてポスターが著しくショボくなっていたので多少不安だったのが、「カッパだよ」始まって以来の大盛況でビックシ仰天でありました。
市長さんが「志木市以外から来たヒト手を挙げて」と。志木市民少な過ぎて笑った。「(選挙の)票にならない」とぶっちゃけておりました。
遥々北海道から来た…という猛者もいたな。
札幌と千歳のヒトで、「より遠い方がカパルと一緒に記念写真を撮れる」と、市長さんからの粋な計らい。千歳のヒトが選ばれていたんだけど、元・札幌市民の公介氏が「千歳より札幌の方が遠いじゃねぇかっ
」
…わりとマジギレしておった。でも言われてみればそうだよなぁ。新千歳空港から札幌まで結構遠いから移動が面倒臭い。

今年はの参加キャラクターは…
カパル
カッピー
志木あらちゃん
ひこにゃん
北春日部Q之介
ホヌッピー
与一くん
ムジナもん
スパンキー
大崎一番太郎
戸越銀次郎
カッパのコタロウ
ふっかちゃん
コバトン
さいたまっち
ジンギスカンのジンくん
安田朗
おたる運がっぱ
うどん脳
さくらちゃん
アルディ
向嶋言問姐さん
さのまる
プラスちゃん
えちゴン
ニャジロウ
きんぼり~
うなも
みっくす
ころう君
大根ちゃま
やぶきじくん
松戸さん
ざっくぅ
(ご当地キャラ情報局より)。
新潟県柏崎市立鯖石小学校のみんなが作ってくれた、鯖カッパってキャラクターも参加していたよ。凄く可愛かった。
ゆるキャラグランプリオフィシャルウェブサイト 鯖カッパ http://www.yurugp.jp/vote/detail.php?id=00001686
ご当地キャラ情報局 http://gotouchi-chara.jp/news/2018/11/11-4.html

今年の目玉は、ひこねのよいにゃんこ…違った「ひこにゃん」。実物見るの初めてだったよ。意外と小柄。
良くも悪く()も知名度あるから歓声も凄かったなー。

動作が上品。

カパルの住民票交付式。確か、志木あらちゃんも住民票貰っていたよね?
…志木あらちゃんの身体の模様は死斑に違いあるまい。

ゆるキャラⓇステージの後は、ひこにゃん単独のステージがあった。これも見るつもりだったけど、ゆるキャラⓇステージの方にも登場してくれたので満足。パルシティの会場から出ました。
そういや今回マトモに農作物品評会で賞を獲った野菜を見てみたよ。「そ菜の部、チンゲン菜」とか、デカくて光輝いていて美味しそうなんてもんじゃなかったな。あんな凄いの普通のスーパーじゃ売っていないでしょ。ぜったい品評会用に丹精込めて育てたに決まっとるんだって(※思い込みです)。
↓墨田区の向嶋言問姐さん。エレベーターが来るの待っていたところ。

高知県安田町の安田朗(あんたろう)。名前からしてアンコウかと思ってしまうけど、鮎らしい。何故か今回一番気に入ったキャラクター。

二番目のお気に入りは、福島県矢吹町のやぶきじくん。

山梨県富士吉田市のうどんぶりちゃんもおるやんけ!去年、初めて吉田うどん食べたんだよな(美味しかった)。うどんぶりちゃんが一生懸命呼び込み(無口だけど)していたので絆されたのでした。
去年のうどんぶりちゃん https://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-498.html

ジンギスカンのジンくんは、公介氏が札幌出張の時にストラップを買って来た。モコモコで可愛い。ジンギスカン食べたい。

ザッとこんな感じでした。今年はホヌッピーという亀さんのキャラクターも登場。
カッパだよ全員集合!は災害復興支援のイベントなので、我々も食べたりグッズを買ったり出来るだけお金を使いたい。ところが今年はやっぱりカパル効果かね。何処の食べ物テントも大人気で近寄れなかったな。安田朗とひこにゃんの立体ストラップは買えた!
あまり長居はしなかったけど、今年も楽しかったです。

おしまい。

ゆるキャラⓇグランプリは無関心なのでチェックはしていないんだけど、今回は公介氏とキャラクター物とかぜんぜん興味無さそうなお友達が「今年は志木市のカパルだって」と、ほぼ同時に教えてくれたです。
・
・
・
そういや土曜日は、日高屋の期間限定モツ野菜ラーメン食べたよ(やっと2度目)。けっこう遅い時間だったのに満席寸前。というより、大体いつも満席じゃないか?なかなか入れなくて悲しい。
初モツ野菜ラーメン https://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-615.html
もうとっくに別メニューに変わっているなーと諦めていたんだけど、まだだったので嬉しかったです。

今年も志木市民まつりに行って来ました。志木市は浦和から近くて、楽に大勢のキャラクター達に逢える貴重なイベント。
志木市民まつりとは1ミリも関係ないけど、最近、我々の推しているキャラクターはアオキノコちゃんと同じ長野県の「かやぶきん」だな。

信州ご当地キャラクター かやぶきん https://www.nagano-tabi.net/modules/character/index.php?id=35
「こういうのでいいんだよ こういうので」を、実体化させたキャラクターとでも言おうか。情報が少ないので是非会いに行きたいと思っている。頑張れかやぶきん。
例年通り、農作物品評会の授賞式→来賓のご挨拶→ゆるキャラⓇステージでした。
例年に比べてポスターが著しくショボくなっていたので多少不安だったのが、「カッパだよ」始まって以来の大盛況でビックシ仰天でありました。
市長さんが「志木市以外から来たヒト手を挙げて」と。志木市民少な過ぎて笑った。「(選挙の)票にならない」とぶっちゃけておりました。
遥々北海道から来た…という猛者もいたな。
札幌と千歳のヒトで、「より遠い方がカパルと一緒に記念写真を撮れる」と、市長さんからの粋な計らい。千歳のヒトが選ばれていたんだけど、元・札幌市民の公介氏が「千歳より札幌の方が遠いじゃねぇかっ

…わりとマジギレしておった。でも言われてみればそうだよなぁ。新千歳空港から札幌まで結構遠いから移動が面倒臭い。

今年はの参加キャラクターは…
カパル
カッピー
志木あらちゃん
ひこにゃん
北春日部Q之介
ホヌッピー
与一くん
ムジナもん
スパンキー
大崎一番太郎
戸越銀次郎
カッパのコタロウ
ふっかちゃん
コバトン
さいたまっち
ジンギスカンのジンくん
安田朗
おたる運がっぱ
うどん脳
さくらちゃん
アルディ
向嶋言問姐さん
さのまる
プラスちゃん
えちゴン
ニャジロウ
きんぼり~
うなも
みっくす
ころう君
大根ちゃま
やぶきじくん
松戸さん
ざっくぅ
(ご当地キャラ情報局より)。
新潟県柏崎市立鯖石小学校のみんなが作ってくれた、鯖カッパってキャラクターも参加していたよ。凄く可愛かった。
ゆるキャラグランプリオフィシャルウェブサイト 鯖カッパ http://www.yurugp.jp/vote/detail.php?id=00001686
ご当地キャラ情報局 http://gotouchi-chara.jp/news/2018/11/11-4.html

今年の目玉は、ひこねのよいにゃんこ…違った「ひこにゃん」。実物見るの初めてだったよ。意外と小柄。
良くも悪く()も知名度あるから歓声も凄かったなー。

動作が上品。

カパルの住民票交付式。確か、志木あらちゃんも住民票貰っていたよね?
…志木あらちゃんの身体の模様は死斑に違いあるまい。

ゆるキャラⓇステージの後は、ひこにゃん単独のステージがあった。これも見るつもりだったけど、ゆるキャラⓇステージの方にも登場してくれたので満足。パルシティの会場から出ました。
そういや今回マトモに農作物品評会で賞を獲った野菜を見てみたよ。「そ菜の部、チンゲン菜」とか、デカくて光輝いていて美味しそうなんてもんじゃなかったな。あんな凄いの普通のスーパーじゃ売っていないでしょ。ぜったい品評会用に丹精込めて育てたに決まっとるんだって(※思い込みです)。
↓墨田区の向嶋言問姐さん。エレベーターが来るの待っていたところ。

高知県安田町の安田朗(あんたろう)。名前からしてアンコウかと思ってしまうけど、鮎らしい。何故か今回一番気に入ったキャラクター。

二番目のお気に入りは、福島県矢吹町のやぶきじくん。

山梨県富士吉田市のうどんぶりちゃんもおるやんけ!去年、初めて吉田うどん食べたんだよな(美味しかった)。うどんぶりちゃんが一生懸命呼び込み(無口だけど)していたので絆されたのでした。
去年のうどんぶりちゃん https://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-498.html

ジンギスカンのジンくんは、公介氏が札幌出張の時にストラップを買って来た。モコモコで可愛い。ジンギスカン食べたい。

ザッとこんな感じでした。今年はホヌッピーという亀さんのキャラクターも登場。
カッパだよ全員集合!は災害復興支援のイベントなので、我々も食べたりグッズを買ったり出来るだけお金を使いたい。ところが今年はやっぱりカパル効果かね。何処の食べ物テントも大人気で近寄れなかったな。安田朗とひこにゃんの立体ストラップは買えた!
あまり長居はしなかったけど、今年も楽しかったです。

おしまい。

飯能まつり 2018 (2日目) その3
先週の土曜日にたまたま↓こんなまとめ記事を見つけまして、ドムドムいつの間にか埼玉県内から消えていたという…。
【悲報】ドムドムバーガーさん、誰にも知られずひっそりと神バーガーを出していた
http://kankeinai.blog.jp/archives/78129344.html
確か中山道沿いのマルエツにあったけど、閉店していたのか。志木店は、ダイエーと共に消えた。
都内実家の最寄り駅前にもあったハズが、今は北区、練馬区、小平市にしか無いとは。北海道四国には1軒も無いよ。
志木店が消えた時も「まぁ何処にでもあるし、いつでも行けるし…」と思っていた。この、「いつでも行けるし…」が良くない。必ず後悔先に立たずだ。
実家暮らしの頃以外は利用する機会も殆どなくなっていたけど、ここまで店舗数が減ってしまうとやっぱり寂しい。
…で、上記のまとめ記事を公介氏に見せたら案の定大喜び。「よし、明日(今週の日曜日)行ってみよう」って。まぁ、そうなるよなぁ。ならないわけが無いんだよなぁ。
北区の赤羽店北本通り店(イオンの中)に行って来ました。距離的には練馬区の大泉学園店(マルエツの中)の方がぜんぜん近かったけど、北区の方が遥かに土地勘ある。あまりよく知らない土地は近くても遠く感じる。
手作り厚焼きたまごバーガーは出汁巻っぽい味の卵が挟まっていて、からしマヨネーズも美味しかった。しかし手が熱い…。
テイクアウトは多分バンズが卵の出汁を吸い込んで、家に着く頃にはペチョペチョになっていそう。食べているそばから汁だくだった。作りたてをすぐ食べるのが一番美味しいと思う。

公介氏は、お好み焼きバーガーも食べていた。「ちゃんと美味いよ」とのこと。それは良かった。

そうです。ドムドムは昔からちゃんと美味かったのであります。少なくとも我々の中では。

・
・
・
その2からのつづき。
また曳っ合わせをやるのかな?飯能まつりは元々、てっぺんに大きな人形を載せている山車の数が少ない。神武天皇、神功皇后、素戔鳴尊…ぐらいだっけ?それに会所でお留守番している時間の方が長いんじゃないかな。
以前に見た一般のヒト制作、元禄弥山車には、正体不明だったけど人形載っかっていたよ。
元禄弥山車 https://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-248.html
元禄弥 山車製作日記 https://blogs.yahoo.co.jp/genrokuya1030

↓河原町の山車。人形は素戔鳴尊。

大賑わい。珍しく山車3台とも白い狐だったのに、けっきょく上手く撮れなくて無念だ。

日が暮れて来ました。
原町の山車。可愛い狸の面も珍しい気がする。

こっちみんな
双柳囃子連の山車は、ガストの駐車場?に停まっていた。この店舗は、お祭り交通規制の内側に建っているから注意。

…大体どこのお祭りでもそうだけど、我々も山車も会場内をグルグルしているので、結局は同じ山車と遭遇し続けているだけなんだよな。踊るヒトが交代してくれるお陰で飽きはしないけど、「あぁー、またこの山車なのかー」って。
↓一丁目の山車、本郷囃子保存会の山車


こっちみんな
…そろそろ帰ろう。
結局、八百梅お隣の食器屋さんも畳んでしまったのか?去年はお店の前で煮卵を売っていたし、今年も同じ。
お祭りの日はレトロな食器を安売りしているから楽しみだったんだよな。
今年もやっぱり途中まで雨だったけど、傘をさしていた時間はほんの僅かでタップリ見物出来ました。

おしまい。


【悲報】ドムドムバーガーさん、誰にも知られずひっそりと神バーガーを出していた
http://kankeinai.blog.jp/archives/78129344.html
確か中山道沿いのマルエツにあったけど、閉店していたのか。志木店は、ダイエーと共に消えた。
都内実家の最寄り駅前にもあったハズが、今は北区、練馬区、小平市にしか無いとは。北海道四国には1軒も無いよ。
志木店が消えた時も「まぁ何処にでもあるし、いつでも行けるし…」と思っていた。この、「いつでも行けるし…」が良くない。必ず後悔先に立たずだ。
実家暮らしの頃以外は利用する機会も殆どなくなっていたけど、ここまで店舗数が減ってしまうとやっぱり寂しい。
…で、上記のまとめ記事を公介氏に見せたら案の定大喜び。「よし、明日(今週の日曜日)行ってみよう」って。まぁ、そうなるよなぁ。ならないわけが無いんだよなぁ。
北区の赤羽店北本通り店(イオンの中)に行って来ました。距離的には練馬区の大泉学園店(マルエツの中)の方がぜんぜん近かったけど、北区の方が遥かに土地勘ある。あまりよく知らない土地は近くても遠く感じる。
手作り厚焼きたまごバーガーは出汁巻っぽい味の卵が挟まっていて、からしマヨネーズも美味しかった。しかし手が熱い…。
テイクアウトは多分バンズが卵の出汁を吸い込んで、家に着く頃にはペチョペチョになっていそう。食べているそばから汁だくだった。作りたてをすぐ食べるのが一番美味しいと思う。

公介氏は、お好み焼きバーガーも食べていた。「ちゃんと美味いよ」とのこと。それは良かった。

そうです。ドムドムは昔からちゃんと美味かったのであります。少なくとも我々の中では。

・
・
・
その2からのつづき。
また曳っ合わせをやるのかな?飯能まつりは元々、てっぺんに大きな人形を載せている山車の数が少ない。神武天皇、神功皇后、素戔鳴尊…ぐらいだっけ?それに会所でお留守番している時間の方が長いんじゃないかな。
以前に見た一般のヒト制作、元禄弥山車には、正体不明だったけど人形載っかっていたよ。
元禄弥山車 https://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-248.html
元禄弥 山車製作日記 https://blogs.yahoo.co.jp/genrokuya1030

↓河原町の山車。人形は素戔鳴尊。

大賑わい。珍しく山車3台とも白い狐だったのに、けっきょく上手く撮れなくて無念だ。

日が暮れて来ました。
原町の山車。可愛い狸の面も珍しい気がする。

こっちみんな
双柳囃子連の山車は、ガストの駐車場?に停まっていた。この店舗は、お祭り交通規制の内側に建っているから注意。

…大体どこのお祭りでもそうだけど、我々も山車も会場内をグルグルしているので、結局は同じ山車と遭遇し続けているだけなんだよな。踊るヒトが交代してくれるお陰で飽きはしないけど、「あぁー、またこの山車なのかー」って。
↓一丁目の山車、本郷囃子保存会の山車


こっちみんな
…そろそろ帰ろう。
結局、八百梅お隣の食器屋さんも畳んでしまったのか?去年はお店の前で煮卵を売っていたし、今年も同じ。
お祭りの日はレトロな食器を安売りしているから楽しみだったんだよな。
今年もやっぱり途中まで雨だったけど、傘をさしていた時間はほんの僅かでタップリ見物出来ました。

おしまい。


飯能まつり 2018 (2日目) その2 去年と同じ餡餅屋さん
その1からのつづき。
去年と同じ餡餅屋さんを発見!蕨市のおかめ市にも出店していた。
蕨市 和楽備神社 おかめ市 https://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-517.html
飯能まつり(去年)の餡餅屋さん https://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-491.html
一昨年も同じだった(気がつかなかった) https://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-251.html
公介氏、大喜びで貪っとりました。


柳原の山車。お猿さんの面も珍しいよな。

こっちみんな
神功皇后の人形は、会所で待機中(?)。

八百梅近くの足つぼ屋さん、今年もやっぱり「3月のライオン」を意識している気がした。これはもう間違いないと言い切っても大丈夫だよね(※去年は撮り忘れたようです)。


一昨年の足つぼ屋さん出店。
↓飯能銀座。ココは、商店街の各お店が美味しい物を作って売っている。それにしても寂しい。杉山フルイ店なくなっちゃったのが未だに残念で仕方ない。

杉山フルイ店は、山を下りて戸籍を持ってからの「サンカ」の生活はきっとこんな感じだったのだろうと、夢の広がる妄想をさせてくれる店構えだった。江戸・明治時代の写真でも似たお店がたびたび写り込んでいる気もするし、殆どの場合は無関係なんだろうけど。

2011年11月5日 飯能まつり 在りし日の 杉山フルイ店
直竹囃子連の居囃子。見物客の皆さんにお菓子を投げて盛り上がっていたよ。

床屋さんのベンチには、飯能まつりのパンフレットが置いてあるだけで肝心のべろちゃんいなかった…。

↓去年の3月と飯能まつりのべろちゃん。


ご覧下さいこの可愛さ健気さ。
その代わり?に、東陽片岡先生の「あぶら揚げ焼き定食」を作る為に長ネギ等を買って帰ったスーパーのサービスカウンターの上だったかな?そこで「ペロちゃん」というモフモフお犬のぬいぐるみを見つけました。手作りの家に入って大事にされていたです。
スーパーバリューという店名だったハズ。長ネギ以外も安かったよ。インスタントコーシとか。
あぶら揚げ焼き定食のぶる~す。(実にうまそう自画自賛) https://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-646.html
いろいろ売っていた出店で、小っこい外道の木彫り人形を見つけた。その1でも書いたけど、もっと大きい木彫りは商店街沿いのお店を回って行けば見つかると思う(何屋さんか失念)。お店の飾り物で非売品だと思う。

坂石町分囃子連の居囃子。おっ、またまた外道だ。しかしどうにもタイミング悪くて、何処の山車&居囃子でも写真を2~3枚撮ったぐらいで引っ込んでしまった。

坂石町分囃子連のお隣、藤囃子連の居囃子。

2日目は出動しないのか、底抜け屋台1つも見かけなかったな。
つづく。

去年と同じ餡餅屋さんを発見!蕨市のおかめ市にも出店していた。
蕨市 和楽備神社 おかめ市 https://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-517.html
飯能まつり(去年)の餡餅屋さん https://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-491.html
一昨年も同じだった(気がつかなかった) https://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-251.html
公介氏、大喜びで貪っとりました。


柳原の山車。お猿さんの面も珍しいよな。

こっちみんな
神功皇后の人形は、会所で待機中(?)。

八百梅近くの足つぼ屋さん、今年もやっぱり「3月のライオン」を意識している気がした。これはもう間違いないと言い切っても大丈夫だよね(※去年は撮り忘れたようです)。


一昨年の足つぼ屋さん出店。
↓飯能銀座。ココは、商店街の各お店が美味しい物を作って売っている。それにしても寂しい。杉山フルイ店なくなっちゃったのが未だに残念で仕方ない。

杉山フルイ店は、山を下りて戸籍を持ってからの「サンカ」の生活はきっとこんな感じだったのだろうと、夢の広がる妄想をさせてくれる店構えだった。江戸・明治時代の写真でも似たお店がたびたび写り込んでいる気もするし、殆どの場合は無関係なんだろうけど。

2011年11月5日 飯能まつり 在りし日の 杉山フルイ店
直竹囃子連の居囃子。見物客の皆さんにお菓子を投げて盛り上がっていたよ。

床屋さんのベンチには、飯能まつりのパンフレットが置いてあるだけで肝心のべろちゃんいなかった…。

↓去年の3月と飯能まつりのべろちゃん。


ご覧下さいこの可愛さ健気さ。
その代わり?に、東陽片岡先生の「あぶら揚げ焼き定食」を作る為に長ネギ等を買って帰ったスーパーのサービスカウンターの上だったかな?そこで「ペロちゃん」というモフモフお犬のぬいぐるみを見つけました。手作りの家に入って大事にされていたです。
スーパーバリューという店名だったハズ。長ネギ以外も安かったよ。インスタントコーシとか。
あぶら揚げ焼き定食のぶる~す。(実にうまそう自画自賛) https://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-646.html
いろいろ売っていた出店で、小っこい外道の木彫り人形を見つけた。その1でも書いたけど、もっと大きい木彫りは商店街沿いのお店を回って行けば見つかると思う(何屋さんか失念)。お店の飾り物で非売品だと思う。

坂石町分囃子連の居囃子。おっ、またまた外道だ。しかしどうにもタイミング悪くて、何処の山車&居囃子でも写真を2~3枚撮ったぐらいで引っ込んでしまった。

坂石町分囃子連のお隣、藤囃子連の居囃子。

2日目は出動しないのか、底抜け屋台1つも見かけなかったな。
つづく。

飯能まつり 2018 (2日目) その1 やっぱり雨だった。
今年は土曜日に北本まつりへ行ったので、2日目の日曜日に飯能まつり。
北本まつり https://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-647.html
…しかし、延々お祭り見物が続くとさすがにゲッソリするもんなんだな。決して面白くなかったとか全然そういうのじゃなく、ゲッソリとしか言いようが無いんだって。
とはいえ、今年は飯能まつり特有「外道」のお囃子をたくさん見かけて凄く嬉しかった。思えば過去に見たことあったのか?記憶に無い。
お祭りのポスターと、商店街の何処かのお店に飾ってある木彫り人形で見た気になっていただけのような?
飯能まつりwikiより
飯能の秋祭りはそれまでは9月に各所で行われていたが、雨に悩まされることが多かった。1971年に統一祭りとして一本化され、市民祭りとして11月の2・3日に開催されるようになった。現在は第一土曜・日曜日に開催。
11月に一本化してもけっきょく雨に悩まされているとは、やはり「外道」の業の深さ故だろう(適当)。
飯能まつり おfacebookより 「外道」
飯能独特の踊り、面は大きく四角く角張り、怖い顔または、苦渋に満ちた面相、人の道に外れた苦しみを表現する説と、日本神話の天の岩戸の、手力男の尊の表現であるとの、言い伝えがある。
この日はさいたま市も道路が雨で濡れていて、飯能市に近づけば近づくほど雨脚が強まって来た。
↓ココまで接近しておきながら諦めて帰るところだったよ…つっても口では何度も何度も「こりゃ無理だ帰ろう」呟きながら、交通規制されていない辺りをグルグルグルグル空コインパーキング探しの公介氏。1ミリたりとも諦めきれていない往生際の悪さ。これもまた「業」ってヤツなのか。

とりあえずお祭り会場の反対側(南口?)の空を探してダメならいよいよ諦めるつもりだったと言っていたけど、誰ひとりとして公介氏を信じる者はおりませんでした。
で、たまたま南口目の前にある満車から一台出て来て「たった今ココ空いたよー」教えたら、平静を装いつつも喜びダダ漏れ。結局お祭り見物なんであります…。

既に曳っ合わせが始まっていた。関係者のヒト達はほぼ雨合羽姿。蒸し暑いだろうなぁ。
↓一丁目の山車。

いつの間にか雨は小降りだ(多少は安心)。あっ!いきなり外道を発見!

傘をさしているヒトもいなくなったよ。

↓本郷囃子保存会の山車。また外道!何かこう、身振り手振りはぜんぜん違うのに、「祭りは終わった……永遠に……」で有名な漫画「闇の客人」(諸星大二郎)のお爺さんを思い出す物悲しさ。

原町の山車。↓この写真のちょっと前に、可愛いおかめさんは見物客達に向かって投げキッスの嵐だったよ。何処のお祭りでも意外と見る光景。

おかめさん引っ込んじゃった。何となく珍しい茶髪の狐は、双柳の山車。

曳っ合わせに交じっていた一丁目の山車もやって来た。

飯能大通り商店街を歩いていたら、「まといはしご乗り」まで見ることが出来た。もし落っこちたら下のヒト達もタダでは済まないかと思うとヒヤヒヤするけど、カッコええ。

↓このヒト達の正体は、飯能鳶土建組合の皆さんらしい(検索した)。


つづく。

北本まつり https://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-647.html
…しかし、延々お祭り見物が続くとさすがにゲッソリするもんなんだな。決して面白くなかったとか全然そういうのじゃなく、ゲッソリとしか言いようが無いんだって。
とはいえ、今年は飯能まつり特有「外道」のお囃子をたくさん見かけて凄く嬉しかった。思えば過去に見たことあったのか?記憶に無い。
お祭りのポスターと、商店街の何処かのお店に飾ってある木彫り人形で見た気になっていただけのような?
飯能まつりwikiより
飯能の秋祭りはそれまでは9月に各所で行われていたが、雨に悩まされることが多かった。1971年に統一祭りとして一本化され、市民祭りとして11月の2・3日に開催されるようになった。現在は第一土曜・日曜日に開催。
11月に一本化してもけっきょく雨に悩まされているとは、やはり「外道」の業の深さ故だろう(適当)。
飯能まつり おfacebookより 「外道」
飯能独特の踊り、面は大きく四角く角張り、怖い顔または、苦渋に満ちた面相、人の道に外れた苦しみを表現する説と、日本神話の天の岩戸の、手力男の尊の表現であるとの、言い伝えがある。
この日はさいたま市も道路が雨で濡れていて、飯能市に近づけば近づくほど雨脚が強まって来た。
↓ココまで接近しておきながら諦めて帰るところだったよ…つっても口では何度も何度も「こりゃ無理だ帰ろう」呟きながら、交通規制されていない辺りをグルグルグルグル空コインパーキング探しの公介氏。1ミリたりとも諦めきれていない往生際の悪さ。これもまた「業」ってヤツなのか。

とりあえずお祭り会場の反対側(南口?)の空を探してダメならいよいよ諦めるつもりだったと言っていたけど、誰ひとりとして公介氏を信じる者はおりませんでした。
で、たまたま南口目の前にある満車から一台出て来て「たった今ココ空いたよー」教えたら、平静を装いつつも喜びダダ漏れ。結局お祭り見物なんであります…。

既に曳っ合わせが始まっていた。関係者のヒト達はほぼ雨合羽姿。蒸し暑いだろうなぁ。
↓一丁目の山車。

いつの間にか雨は小降りだ(多少は安心)。あっ!いきなり外道を発見!

傘をさしているヒトもいなくなったよ。

↓本郷囃子保存会の山車。また外道!何かこう、身振り手振りはぜんぜん違うのに、「祭りは終わった……永遠に……」で有名な漫画「闇の客人」(諸星大二郎)のお爺さんを思い出す物悲しさ。

原町の山車。↓この写真のちょっと前に、可愛いおかめさんは見物客達に向かって投げキッスの嵐だったよ。何処のお祭りでも意外と見る光景。

おかめさん引っ込んじゃった。何となく珍しい茶髪の狐は、双柳の山車。

曳っ合わせに交じっていた一丁目の山車もやって来た。

飯能大通り商店街を歩いていたら、「まといはしご乗り」まで見ることが出来た。もし落っこちたら下のヒト達もタダでは済まないかと思うとヒヤヒヤするけど、カッコええ。

↓このヒト達の正体は、飯能鳶土建組合の皆さんらしい(検索した)。


つづく。

北本市 北本まつり 北本ねぷた 2018 (初めて)
牛肉付きのセットを注文したのは、初めて食べに行った時ぐらいだったか?いつも三元豚バラ&ロースのセット。仕切り鍋の出汁は、必ず両方とも白出汁。
片側は鶏もも肉を出汁にして、キノコ野菜マロニーちゃんしか入れず寄せ鍋っぽくしてしまう。もう片側でお肉を湯がく。そうすっと、野菜に灰汁がくっつかなくて最後まで綺麗に食べられる。鶏肉の灰汁は大したこと無いので、すぐに取り除ける。
知らぬ間にワッフルメーカーも設置されていたよ。公介氏が張り切って焼いてくれた。
使い終わった食器類を「自分自身が落ち着く感じ」にまとめておいたら、回収しに来た店員のお姉さんに「綺麗にして下さってありがとうございます」とお礼を言われてしまい恐縮だった…。自分としてはいつも通りだったんだけど、今までこんなこと言われたこと無かったわい。
見てくれているヒトもいるんだなぁ、我が外ヅラの良さを。内ヅラ悪いわけでも無いが。


・
・
・
文化の日は、北本市の北本まつりに行って来ました(初)。本庄市と蕨市でもお祭りやっていて本庄市に行くつもりだったけど、朝7時の時点で関越道が渋滞になっていたから諦めて目的地変更。そういや「ねぷた」は見たことなかったので、北本まつりに決定!
この日は毎年、航空自衛隊入間基地で入間航空祭もやっているんだよな。飛行機が間近で飛んでいるのは死ぬほど怖くて、一度も見に行ったこと無い(ウチのベランダから肉眼で何となく見える)。そういや入間万燈まつりの帰りは入間基地沿いの道を歩いたけど、敷地の中に色々な飛行機が展示されていた。飛んでいないのだったら怖くないし、昼間に行って見てみたい。
入間万燈まつり https://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-642.html
今年は1日目に北本まつり、2日目に飯能まつり。
四丁目囃子連の山車と、原組の山車。我々は日没後の「お囃子共演」(北本駅前にて)から本格的に見物を始めたよ。


青森市が「ねぶた」で、弘前市が「ねぷた」?間違えると物凄く嫌な顔をされる聞いたけど…ホントなのか?
信州青木村のアオキノコちゃんが、「張りぼて」のことを「はりぽて」呼ぶのと同じだ思う。
アオキノコちゃん https://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-562.html
アオキノコちゃん おfacebook 初代アオキノコちゃんのはりぽて リンク
北本市のねぷたは、本場弘前市の誰かを呼んで絵付けの指導をして貰ったとアナウンスで聞いた。けっこう本格的であります。

中央地域コミュニティ委員会のねぷた、東間深井コミュニティ委員会のねぷた。お題は源平合戦のお話が多かったような記憶。歌舞伎もあった。


「お囃子共演」終了後、ねぷた囃子、ねぷた山車、お囃子の運行が始まります。途中で10分ぐらいの休憩を入れていたけど、概ね町の中をグルグル廻り通しだったと思う。18時頃~20時頃までずっと。大変だ…。

四丁目囃子連の山車と、↓これは何処のねぷただったのかな?


食べ物屋台もズラッと並んでいる狭い道を、お囃子の山車とねぷたがギリギリすれ違う迫力。金魚の山車とても可愛かったよ。こーいう立体的な「はりぽて」感のある山車は少なかったので、小さくても良く目立った。


東地域コミュニティ委員会のねぷた、南部コミュニティ委員会のねぷた。延々と絵付けのアナウンスをしてくれていたけど、家に帰って来たら全部忘れてしまった…。


北本市はトマトが有名で、B級グルメもいくつかある。イメージキャラクターの「とまちゃん」。グッズを売るテントはあったけど、ストラップ的な物は売っていなかった…。
地元の豆赤子達が「とまちゃん、とまちゃん」大喜びしていました。

北本まつりは、こんな感じでした。ねぷたは初めて見たもんだから終始圧倒されていたのと、アイポンから乗り換えたアンドロイドスマホのカメラに(使えば使うほど)悪戦苦闘しており、色々と記憶が曖昧なんだって。
来年こそ本庄市か蕨市のお祭りに行きたいけど、やっぱりもう一度ぐらいはねぷたを見ておきたいような気もしている。楽しかったし。
おしまい。

テーマ : バイキング・食べ放題
ジャンル : グルメ
入間万燈まつり 2018 入間行列~ひっかわせ
お祭り見物は楽しいけど、日記を書くの面倒臭い。撮った画像に写り込んだよそのヒト達の顔をチマチマとボカしながら、「何をやっているのだろう…」って。バカバカしいったら無い。
「入間万燈まつり」は初でした。入間市はウチから近くも遠くもない距離で、暇潰しドライブの終点としてなかなか。
…しかし、こんなにイイお祭りあったとは知らなかったな。
入間万燈まつり 由来と変遷 https://www.iruma-mandoumatsuri.com/history/
川越まつりの筋肉痛も怪我をした足指の痛みも消えて、攣りそうな感じはテーピングで消えたし、とりあえず万全でありました。
川越まつり 2018 その2 足が痛過ぎたの巻。 https://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-641.html
17時頃から山車が1ヵ所に集まり始めるようだったので、お祭り会場近くのガストで「まるごとぶどうのゼリー仕立て」を食べながらボケーッとしていたです。↓これ美味しかった。

それにしてもだ。よそのヒト達をボカすの苦行過ぎる。イイ心掛けなのか無駄作業なのかは知らんけど、↓ココまでするヒトなど千人に1人もいないでしょ。そりゃボカさない方が綺麗に決まっているけど、東陽片岡先生(漫画家)風に言えば、これがワタシの「流儀」だから仕方あんめぇ。

食べ物屋台(テント)は殆ど地元自治体がやっていて、的屋と違い凄まじく良心的な価格だった。↓焼き鳥1本50円とか。お小遣いを千円ぐらい貰っておけば、食べ盛りの子でもお腹はち切れそうになるほど買い食い出来るんじゃないかな。

公介氏は、さっそくフランクフルトを食べていた。「アレ食べたいコレ食べたい」と心ばかり焦って迷っている内に時間切れとなり、言うほど食べないんだよな。でもフランクフルトは大体必ず食べている。
それより何より、向かって右に写り込んだ「イソドフードレストラソ」の立て看板が気になって仕方ない。今度食べに行きたい。

↓この辺に山車が集結して「ひっかわせ」をやるっぽかった。入間市産業文化センター周辺で開催とのことだったけど、豊岡中学校前とアナウンスしてくれた方が解り易いと思う。
まだ入間行列という出し物の最中で、高倉祇園太鼓の山車。上のピンク色は花笠っていうのかな?

新久はやし保存会の山車。

三ツ木囃子連の山車。

…人間太鼓!?(違った)

山車は、ひっかわせの時まで所定の場所へ引っ込む。次の山車がやって来る合間に、法被を着たヒト達が前に出て来てワイワイ踊っているのも楽しかった。
↓奈賀町の山車。

実際は山車もお神輿も沢山撮っていて、ところが大体どれもブレていたりボケていたり暗すぎたり明る過ぎたり。お神輿は殆どブレていた。
…料理やジッとしている物を撮るには最高だけど、ピント合わせやシャッタースピードはアイポンの方が有能かつ楽だったなぁ。新調したアンドロイドスマホは、使い勝手が普通にデジカメだもん。
その点アイポンは何も考えなくて良かったし、「バ●でも使える」ってホントだったんか…。「●カでも使える」ように出来ているから高いんか…。
↓志茂町囃子連の山車。狭い道でも練り歩き易い形だと言っていたのだと思う。

奈賀町のお神輿のお神輿。男の子が余裕綽々の表情でカッコ良かった。
そこそこマトモに写っていたお神輿は↓コレだけ。他にも幕末の頃の歴史あるお神輿とか、足並み揃わな過ぎて大笑いしてしまった飯能信用金庫のお神輿とか、ボーイスカウトの手作りお神輿とかいっぱいあったんだよ。

待機していた山車が続々戻って来た。「ひっかわせ」であります。夢のような光景。

山車はまだまだ戻って来る。

ぜんぶ集結したところで、撮影タイム?自由に動けるようになったので、皆さん好きなように写真を撮っていました。

存分に楽しんだので、航空自衛隊沿いの道を歩いてパーキングまで戻ったです。やっぱり食べ物を売るテントだらけで、しかも殆ど売り切れ…。…ガックシ。
19時半前には「祭りもそろそろ終了」とのアナウンスが聞こえて来て「ファッ!?」となった。早いなー。でも健全でイイじゃないか。
あまり見たこと無い気がするお犬面の居囃子は、豊岡中学校~彩の国入間公園沿いの道で見つけました。航空自衛隊入間基地の少し手前。

新光囃子連は入間基地沿いの道。

公園でもイベントやっていたようだし、もう少し早めにプラプラし始めても良かったと思う。でもこのぐらいが翌日にも響かなくてイイな。歩数計は約1万歩。
思っていた以上に綺麗で壮大なお祭りだったです。

おしまい。

「入間万燈まつり」は初でした。入間市はウチから近くも遠くもない距離で、暇潰しドライブの終点としてなかなか。
…しかし、こんなにイイお祭りあったとは知らなかったな。
入間万燈まつり 由来と変遷 https://www.iruma-mandoumatsuri.com/history/
川越まつりの筋肉痛も怪我をした足指の痛みも消えて、攣りそうな感じはテーピングで消えたし、とりあえず万全でありました。
川越まつり 2018 その2 足が痛過ぎたの巻。 https://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-641.html
17時頃から山車が1ヵ所に集まり始めるようだったので、お祭り会場近くのガストで「まるごとぶどうのゼリー仕立て」を食べながらボケーッとしていたです。↓これ美味しかった。

それにしてもだ。よそのヒト達をボカすの苦行過ぎる。イイ心掛けなのか無駄作業なのかは知らんけど、↓ココまでするヒトなど千人に1人もいないでしょ。そりゃボカさない方が綺麗に決まっているけど、東陽片岡先生(漫画家)風に言えば、これがワタシの「流儀」だから仕方あんめぇ。

食べ物屋台(テント)は殆ど地元自治体がやっていて、的屋と違い凄まじく良心的な価格だった。↓焼き鳥1本50円とか。お小遣いを千円ぐらい貰っておけば、食べ盛りの子でもお腹はち切れそうになるほど買い食い出来るんじゃないかな。

公介氏は、さっそくフランクフルトを食べていた。「アレ食べたいコレ食べたい」と心ばかり焦って迷っている内に時間切れとなり、言うほど食べないんだよな。でもフランクフルトは大体必ず食べている。
それより何より、向かって右に写り込んだ「イソドフードレストラソ」の立て看板が気になって仕方ない。今度食べに行きたい。

↓この辺に山車が集結して「ひっかわせ」をやるっぽかった。入間市産業文化センター周辺で開催とのことだったけど、豊岡中学校前とアナウンスしてくれた方が解り易いと思う。
まだ入間行列という出し物の最中で、高倉祇園太鼓の山車。上のピンク色は花笠っていうのかな?

新久はやし保存会の山車。

三ツ木囃子連の山車。

…人間太鼓!?(違った)

山車は、ひっかわせの時まで所定の場所へ引っ込む。次の山車がやって来る合間に、法被を着たヒト達が前に出て来てワイワイ踊っているのも楽しかった。
↓奈賀町の山車。

実際は山車もお神輿も沢山撮っていて、ところが大体どれもブレていたりボケていたり暗すぎたり明る過ぎたり。お神輿は殆どブレていた。
…料理やジッとしている物を撮るには最高だけど、ピント合わせやシャッタースピードはアイポンの方が有能かつ楽だったなぁ。新調したアンドロイドスマホは、使い勝手が普通にデジカメだもん。
その点アイポンは何も考えなくて良かったし、「バ●でも使える」ってホントだったんか…。「●カでも使える」ように出来ているから高いんか…。
↓志茂町囃子連の山車。狭い道でも練り歩き易い形だと言っていたのだと思う。

奈賀町のお神輿のお神輿。男の子が余裕綽々の表情でカッコ良かった。
そこそこマトモに写っていたお神輿は↓コレだけ。他にも幕末の頃の歴史あるお神輿とか、足並み揃わな過ぎて大笑いしてしまった飯能信用金庫のお神輿とか、ボーイスカウトの手作りお神輿とかいっぱいあったんだよ。

待機していた山車が続々戻って来た。「ひっかわせ」であります。夢のような光景。

山車はまだまだ戻って来る。

ぜんぶ集結したところで、撮影タイム?自由に動けるようになったので、皆さん好きなように写真を撮っていました。

存分に楽しんだので、航空自衛隊沿いの道を歩いてパーキングまで戻ったです。やっぱり食べ物を売るテントだらけで、しかも殆ど売り切れ…。…ガックシ。
19時半前には「祭りもそろそろ終了」とのアナウンスが聞こえて来て「ファッ!?」となった。早いなー。でも健全でイイじゃないか。
あまり見たこと無い気がするお犬面の居囃子は、豊岡中学校~彩の国入間公園沿いの道で見つけました。航空自衛隊入間基地の少し手前。

新光囃子連は入間基地沿いの道。

公園でもイベントやっていたようだし、もう少し早めにプラプラし始めても良かったと思う。でもこのぐらいが翌日にも響かなくてイイな。歩数計は約1万歩。
思っていた以上に綺麗で壮大なお祭りだったです。

おしまい。

川越まつり 2018 その1 萩原精肉店がなくなっていた…。
↓ミルフィーユパイ(チョコレートクリーム)というのを貰い、パイの実を大きくした感じなんだろうか?と思いながら食べてみた。ところが全くの別物で、辛抱タマランチなほど美味しかったのであります(※パイの実も好きだよ)。
ごちそうさまでした。
そういや昨日は、湯(貧乏臭い…)を飲んでいる途中で溢してしまい、パソコンのキーボードにダバァ~とかかっちゃって愕然としたんだけど、なんだかんだ未だに使えているので、こうして日記を更新している。
物置から未使用と使い古しの2つ見つけて取り替えようとしたら、USBじゃないヤツ(なんか丸い)で使えんかった…。
きっと近日中に壊れるだろうし、どうせまたやらかすに決まっているし、980円ぐらいの安キーボードで充分。今使っているのも千円しなかった。同じの見つからないかなー。
・
・
・


・
・
・
今年も川越まつり。しかし残念なことに、例年よりも山車と遭遇出来なかった。山車ナビ(今どの辺に居るか判るアプリ)も上手く繋がらなくて。
最初に菅原道真(菅原町)の山車を見つけたけど、まだ人形は出ていなかった。

家康(脇田町)の山車は、いつもの場所から出発するところだった。やはり人形は出ておらず…。
でもこの家康人形、いつも頭に浮かぶ「ありがちな」家康っぽくないので正直あまりピンと来ない。
↓こんな風じゃなければピンと来ない。
大昔に自作した家康アイコン


狐さん一番好きだ。中のヒトもきっとイケメンだろう。

あれに見えるは鏡獅子(新富町)の山車?ぜんぜん追い着ける気がしない…。
クレアモールの雑踏をモタモタ進んで行き、お祭り限定・骨付きフランクを食べよう!と萩原精肉店を探すも「あれ?通り過ぎちゃったんか?」ってもう一度戻ったりして結局見つけられず、「おかしいおかしい」不安になってスマホで調べてみたら、お店閉めちゃったらしい…。
地震の影響で建物が傾いたりして、商売を続けられなくなったとのこと。
うわーショックだ。自分は去年食べなかったんだよ!凄く楽しみだったのに…。
公介「(蒼褪めながら)8割ぐらい川越まつりに来る意味なくなった…」
…えっ、そんなにか。確かに解らなくもないが。
百万灯夏まつりの時も売っていたんだな。それを知っていれば川越まつりと同じく毎年通っていたのに…。


在りし日の萩原精肉店 https://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-465.html
大体いつも、骨付きフランクと玉こんを食べて英気を養っていたです。


新潟のポッポ焼を食べました。去年も食べたけど、黒糖の味で美味しい上に腹持ちイイんだよ。
去年のポッポ焼 https://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-473.html

大正浪漫夢通りも混雑。しかし暑かった。10月も半ば過ぎたというのにおかしい。

蔵造りの通りで道灌の山車(連雀町)を発見。

腰板(?)には浦島太郎さん!

足の指1本だけでも怪我をしていると歩くのツラいもんだ。こんなに歩きがツラかったの、十何年か前の札幌帰省の時以来かも知れない。既に何となく「帰りたいなぁ」って気分になっておりました。だってヨチヨチ歩きしか出来ないんだもんよ。
つづく。

ごちそうさまでした。
そういや昨日は、湯(貧乏臭い…)を飲んでいる途中で溢してしまい、パソコンのキーボードにダバァ~とかかっちゃって愕然としたんだけど、なんだかんだ未だに使えているので、こうして日記を更新している。
物置から未使用と使い古しの2つ見つけて取り替えようとしたら、USBじゃないヤツ(なんか丸い)で使えんかった…。
きっと近日中に壊れるだろうし、どうせまたやらかすに決まっているし、980円ぐらいの安キーボードで充分。今使っているのも千円しなかった。同じの見つからないかなー。
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今年も川越まつり。しかし残念なことに、例年よりも山車と遭遇出来なかった。山車ナビ(今どの辺に居るか判るアプリ)も上手く繋がらなくて。
最初に菅原道真(菅原町)の山車を見つけたけど、まだ人形は出ていなかった。

家康(脇田町)の山車は、いつもの場所から出発するところだった。やはり人形は出ておらず…。
でもこの家康人形、いつも頭に浮かぶ「ありがちな」家康っぽくないので正直あまりピンと来ない。
↓こんな風じゃなければピンと来ない。



狐さん一番好きだ。中のヒトもきっとイケメンだろう。

あれに見えるは鏡獅子(新富町)の山車?ぜんぜん追い着ける気がしない…。
クレアモールの雑踏をモタモタ進んで行き、お祭り限定・骨付きフランクを食べよう!と萩原精肉店を探すも「あれ?通り過ぎちゃったんか?」ってもう一度戻ったりして結局見つけられず、「おかしいおかしい」不安になってスマホで調べてみたら、お店閉めちゃったらしい…。
地震の影響で建物が傾いたりして、商売を続けられなくなったとのこと。
うわーショックだ。自分は去年食べなかったんだよ!凄く楽しみだったのに…。
公介「(蒼褪めながら)8割ぐらい川越まつりに来る意味なくなった…」
…えっ、そんなにか。確かに解らなくもないが。
百万灯夏まつりの時も売っていたんだな。それを知っていれば川越まつりと同じく毎年通っていたのに…。


在りし日の萩原精肉店 https://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-465.html
大体いつも、骨付きフランクと玉こんを食べて英気を養っていたです。


新潟のポッポ焼を食べました。去年も食べたけど、黒糖の味で美味しい上に腹持ちイイんだよ。
去年のポッポ焼 https://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-473.html

大正浪漫夢通りも混雑。しかし暑かった。10月も半ば過ぎたというのにおかしい。

蔵造りの通りで道灌の山車(連雀町)を発見。

腰板(?)には浦島太郎さん!

足の指1本だけでも怪我をしていると歩くのツラいもんだ。こんなに歩きがツラかったの、十何年か前の札幌帰省の時以来かも知れない。既に何となく「帰りたいなぁ」って気分になっておりました。だってヨチヨチ歩きしか出来ないんだもんよ。
つづく。

石岡のおまつり (常陸國總社宮大祭) 2018 その4 疲れた。
金曜日のお昼にパソコンのサムネイルやアイコンが消えたり真っ白になり、復元しても治らないしネットで見つけた「それっぽい」不具合の修復方法を1つ1つ試してもダメで、その内に何故か画面の色数も減ったり本格的なヤバさになって来て、断腸の思いで寝る前に初期化した。
土日は外出していたので、とりあえず使えはするが未だ思い通りの設定になっていない。ストレス溜まる…。
そういや、土曜日に出先のファミレスでお年寄りグループが居たんだよな。真後ろの席+興奮気味だから嫌でも内容が聞こえてしまったんだけど、「神様が選んでどーのこーの…」から始まりエリア51を延々語り合っていた。「合っていた」というより、話していたのは殆ど一人の爺さんだったけど、必死過ぎて怖かった。
自分は「この後ロズウェル事件の話も始まるのかなー」って、公介氏に耳打ち。
途中で賭け事の話に変わり、大分経ってから「UFOが墜落して…、」「宇宙人の死体を解剖して…、」などとズバリ語り始めたからビックリ。しかし怖かった…。
ロズウェル事件 Wiki リンク
何が怖かったって…、まるで真実のように見て来たかのように語っているのであります。しかもイイ年をした爺さんが…。
公介「●ちゃんも仲間に加わりたかったでしょwww」
…いやいや。決して小バカにしちゃいけないフンイキで「無理だ」と思った。トンデモ話は、ファンタジーやギャグとして語るのが楽しい。とは言ってもリアル知人友人には絶対語れない。「ホンモノ」だと誤解されるのは非常に困る。
公介氏のような極々親しい人間は、シッカリ嘲笑ってくれるので有難い。
石岡のおまつり 2018 その3 からのつづき。
東町の幌獅子。躍動感あるので「上手く撮れた」と思っていても、帰宅して大きな画面で確認してみるとやっぱりブレていることが多い。

向かって左は仁徳天皇(国分町)、右は楠木正成(富田町)の山車。ひな壇の女の子達がワイワイ盛り上がっていたよ。

青木町、神武天皇の山車。

香丸町、聖徳太子の山車。

日中に悲しい思いをした、幸町の武甕槌命の山車。
悲しい思いをした https://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-636.html

總社宮のお神輿やって来た!所々で男同士お手々を握り合っている。何か神事的な意味合いでもあるのだろうか?個人的には「アッー!」でも全く構わない。その方がお祭りらしい気がする。

遂にエネルギー切れ。ちょうど休憩出来そうなテントを見つけて、公介氏が近くのファミマでソルティーライチを買って来てくれたので、飲みながら暫く通りを眺めていた。
この後スーパータイヨーまで戻り、お目当ての物を無事購入。軽いけど段ボール箱入り…。

パーキングに戻る途中で見つけた、可愛いパンダちゃん。何屋さんなんだろう?

車のロントガラスにバッタがくっついていた。けっこう長いこと頑張っていたです。
佐原ほどでは無かったにしろやっぱり疲れた。でも楽しかった!次はジャングル大帝御朱印帳も手に入れたいなぁ。

おしまい。


土日は外出していたので、とりあえず使えはするが未だ思い通りの設定になっていない。ストレス溜まる…。
そういや、土曜日に出先のファミレスでお年寄りグループが居たんだよな。真後ろの席+興奮気味だから嫌でも内容が聞こえてしまったんだけど、「神様が選んでどーのこーの…」から始まりエリア51を延々語り合っていた。「合っていた」というより、話していたのは殆ど一人の爺さんだったけど、必死過ぎて怖かった。
自分は「この後ロズウェル事件の話も始まるのかなー」って、公介氏に耳打ち。
途中で賭け事の話に変わり、大分経ってから「UFOが墜落して…、」「宇宙人の死体を解剖して…、」などとズバリ語り始めたからビックリ。しかし怖かった…。
ロズウェル事件 Wiki リンク
何が怖かったって…、まるで真実のように見て来たかのように語っているのであります。しかもイイ年をした爺さんが…。
公介「●ちゃんも仲間に加わりたかったでしょwww」
…いやいや。決して小バカにしちゃいけないフンイキで「無理だ」と思った。トンデモ話は、ファンタジーやギャグとして語るのが楽しい。とは言ってもリアル知人友人には絶対語れない。「ホンモノ」だと誤解されるのは非常に困る。
公介氏のような極々親しい人間は、シッカリ嘲笑ってくれるので有難い。
石岡のおまつり 2018 その3 からのつづき。
東町の幌獅子。躍動感あるので「上手く撮れた」と思っていても、帰宅して大きな画面で確認してみるとやっぱりブレていることが多い。

向かって左は仁徳天皇(国分町)、右は楠木正成(富田町)の山車。ひな壇の女の子達がワイワイ盛り上がっていたよ。

青木町、神武天皇の山車。

香丸町、聖徳太子の山車。

日中に悲しい思いをした、幸町の武甕槌命の山車。
悲しい思いをした https://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-636.html

總社宮のお神輿やって来た!所々で男同士お手々を握り合っている。何か神事的な意味合いでもあるのだろうか?個人的には「アッー!」でも全く構わない。その方がお祭りらしい気がする。

遂にエネルギー切れ。ちょうど休憩出来そうなテントを見つけて、公介氏が近くのファミマでソルティーライチを買って来てくれたので、飲みながら暫く通りを眺めていた。
この後スーパータイヨーまで戻り、お目当ての物を無事購入。軽いけど段ボール箱入り…。

パーキングに戻る途中で見つけた、可愛いパンダちゃん。何屋さんなんだろう?

車のロントガラスにバッタがくっついていた。けっこう長いこと頑張っていたです。
佐原ほどでは無かったにしろやっぱり疲れた。でも楽しかった!次はジャングル大帝御朱印帳も手に入れたいなぁ。

おしまい。


石岡のおまつり (常陸國總社宮大祭) 2018 その2 金刀比羅神社と正岡子規とカンカン帽
太って普通のオッサンになった現在のジュリーより、顔だけ派手で肩幅も胸板も腕も貧弱なバランス悪い全盛期の頃の方が変だったよなぁ。
太ったジュリーを見た時にやっと、当時のジュリーに対して常々抱いていた違和感不安感に気がついたのであります。「そういうことだったのかー!」って。現在の方がかえって違和感無い。
顔の派手さに見合う程度の筋肉をつけていれば最高にカッコ良かったろうけど…、そもそも全くファンじゃなかった。
・
・
・
↓いつぞやのジョイフルのグラタン。シンプルイズベスト。猫舌なので、ある程度冷めないことにはマトモに味わえないのが悔しい。

・
・
・
石岡のおまつり その1 からのつづき。
大通り沿いに金刀比羅神社がありました。
国府平の森 金刀比羅神社 所在地 石岡市国府六丁目二番
祭神は大物主神。大物主神は、山と森と木という自然の生命を御神体として鎮座することを特徴とする日本最古の歴史を有する神である。当神社の古称である「森」「森木」「守木」は、神社・神木・神垣の意味があり、古来から由緒ある神域であったことを伝えている。また常陸大掾平一族、府中藩主松平家によって手厚い庇護を受けるなど多大な崇敬を寄せられていた。
文政10年(一八二七)、讃岐國象頭山(香川県琴平山)の金毘羅大権現(金刀比羅宮)の御分霊を勧請して、「こんぴら信仰」のよりどころとして多くの人々の参詣を集めている。
◇大掾氏との関わり
当神社は古く「森」あるいは「森の杜」といい、桓武天皇の曾孫平高望王が常陸大掾という官職を得て国府に着任して以来、常陸大掾平氏ゆかりの神社となった。鎌倉時代の古記録である「總社文書」には平氏の歴代の子女が祭主となって神役に勤仕していたとある。
◇エピソード~大掾氏族が守る社
ここ金刀比羅神社の地は古くから「森の地」といわれ、森木殿があり、森木寺や八大寺という寺院が付属していた。しかし天正18年(一五九〇)、戦乱と兵火の中に巻き込まれ、森は壊滅し、長年にわたり当地を支配した常陸平氏も滅亡した。その後、平氏の後裔である別当八大院によって神社が復興され、大掾氏族の信仰を守り伝えている。
平成二十一年二月 石岡市教育委員会
佐竹義重が酒宴に招いて、そのまま皆殺しされてしまった一族が大掾氏(だいじょうし)だったのか。大掾なんて読み方が難しくて覚えていられないけど、酒宴の話は鬼畜過ぎてそうそう忘れられない。でもよくある話ではある。山内一豊の相撲大会も同じ部類。手っ取り早くて胸糞悪し。
大掾氏 wiki リンク


正岡子規の歌碑もあったよ。
二日路は 筑波にそふて 日ぞ長き
正岡子規といえば野球大好きとか色々エピソードあるけど「脊椎カリエス」のイメージが強烈で、子供の頃は怖かった。横顔の写真も何故か怖かった。
山田風太郎「人間臨終図鑑」によれば子規の死後、お母さんが…
「身体を清めてやろうとすると、子規の腰から背にかけて蛆がはいまわっていた。」
…と。可哀想過ぎる。

あ!

うん!

…狛犬はいつも一生懸命で可愛い。
↓常陸國總社宮へ向かう途中で見つけた、森木町 菅原道真の山車。金刀比羅神社の由来に因んで付けられた町名なんだろう。

↓やっとお目当ての幌獅子を発見!思っていたよりも足が速くて、あともう少しだけスピード落としてくれると写真撮り易い&見物し易いかも知れない。特に日が暮れてからは。
後方警戒車というの自体あまり(いや、全く?)見たこと無かったんだけど、森木町のだけヤケに心に残る見た目でありました。他の町は普通の軽トラ。

幸町、武甕槌命の山車。人形はまだ引っ込んだまま。

山車や幌獅子の周りに大正浪漫というか月亭可朝みたいなカンカン帽をかぶったヒト達がけっこういて、石岡のおまつり以外では見たこと無かったので調べてみたら、お祭り役員さんのようです。

なんてこった…。通り過ぎた後で人形を出し始める幸町の山車。呆然と立ち尽くしてカナシミに暮れる我々。

そうこうしている間に、宮下町の幌獅子がやって来た。先頭の獅子舞はヒトが操っている。この日も残暑厳しかったし、足速いし、重労働だよな。


つづく。

太ったジュリーを見た時にやっと、当時のジュリーに対して常々抱いていた違和感不安感に気がついたのであります。「そういうことだったのかー!」って。現在の方がかえって違和感無い。
顔の派手さに見合う程度の筋肉をつけていれば最高にカッコ良かったろうけど…、そもそも全くファンじゃなかった。
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↓いつぞやのジョイフルのグラタン。シンプルイズベスト。猫舌なので、ある程度冷めないことにはマトモに味わえないのが悔しい。

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石岡のおまつり その1 からのつづき。
大通り沿いに金刀比羅神社がありました。
国府平の森 金刀比羅神社 所在地 石岡市国府六丁目二番
祭神は大物主神。大物主神は、山と森と木という自然の生命を御神体として鎮座することを特徴とする日本最古の歴史を有する神である。当神社の古称である「森」「森木」「守木」は、神社・神木・神垣の意味があり、古来から由緒ある神域であったことを伝えている。また常陸大掾平一族、府中藩主松平家によって手厚い庇護を受けるなど多大な崇敬を寄せられていた。
文政10年(一八二七)、讃岐國象頭山(香川県琴平山)の金毘羅大権現(金刀比羅宮)の御分霊を勧請して、「こんぴら信仰」のよりどころとして多くの人々の参詣を集めている。
◇大掾氏との関わり
当神社は古く「森」あるいは「森の杜」といい、桓武天皇の曾孫平高望王が常陸大掾という官職を得て国府に着任して以来、常陸大掾平氏ゆかりの神社となった。鎌倉時代の古記録である「總社文書」には平氏の歴代の子女が祭主となって神役に勤仕していたとある。
◇エピソード~大掾氏族が守る社
ここ金刀比羅神社の地は古くから「森の地」といわれ、森木殿があり、森木寺や八大寺という寺院が付属していた。しかし天正18年(一五九〇)、戦乱と兵火の中に巻き込まれ、森は壊滅し、長年にわたり当地を支配した常陸平氏も滅亡した。その後、平氏の後裔である別当八大院によって神社が復興され、大掾氏族の信仰を守り伝えている。
平成二十一年二月 石岡市教育委員会
佐竹義重が酒宴に招いて、そのまま皆殺しされてしまった一族が大掾氏(だいじょうし)だったのか。大掾なんて読み方が難しくて覚えていられないけど、酒宴の話は鬼畜過ぎてそうそう忘れられない。でもよくある話ではある。山内一豊の相撲大会も同じ部類。手っ取り早くて胸糞悪し。
大掾氏 wiki リンク


正岡子規の歌碑もあったよ。
二日路は 筑波にそふて 日ぞ長き
正岡子規といえば野球大好きとか色々エピソードあるけど「脊椎カリエス」のイメージが強烈で、子供の頃は怖かった。横顔の写真も何故か怖かった。
山田風太郎「人間臨終図鑑」によれば子規の死後、お母さんが…
「身体を清めてやろうとすると、子規の腰から背にかけて蛆がはいまわっていた。」
…と。可哀想過ぎる。

あ!

うん!

…狛犬はいつも一生懸命で可愛い。
↓常陸國總社宮へ向かう途中で見つけた、森木町 菅原道真の山車。金刀比羅神社の由来に因んで付けられた町名なんだろう。

↓やっとお目当ての幌獅子を発見!思っていたよりも足が速くて、あともう少しだけスピード落としてくれると写真撮り易い&見物し易いかも知れない。特に日が暮れてからは。
後方警戒車というの自体あまり(いや、全く?)見たこと無かったんだけど、森木町のだけヤケに心に残る見た目でありました。他の町は普通の軽トラ。

幸町、武甕槌命の山車。人形はまだ引っ込んだまま。

山車や幌獅子の周りに大正浪漫というか月亭可朝みたいなカンカン帽をかぶったヒト達がけっこういて、石岡のおまつり以外では見たこと無かったので調べてみたら、お祭り役員さんのようです。

なんてこった…。通り過ぎた後で人形を出し始める幸町の山車。呆然と立ち尽くしてカナシミに暮れる我々。

そうこうしている間に、宮下町の幌獅子がやって来た。先頭の獅子舞はヒトが操っている。この日も残暑厳しかったし、足速いし、重労働だよな。


つづく。

石岡のおまつり (常陸國總社宮大祭) 2018 その1 みんなのタロー像と看板建築の町並
一発でカプすけ君(あえたらラッキーカプリコ占い)を当てた公介君。

なにわろ
何かと不運な公介氏ですら当たったし、自分なんかもう当たらないワケが無いと自信満々開封しました。結果は(
当たらんかったクッソ。この敗北感よ。
…でもまぁ、自分もそろそろ「敗北を知りたい」というか漠然とそんな風に思っていたわけで、実にイイ経験をさせて貰ったと思いますよ(ただの敗け惜しみ)。
・
・
・
「石岡のおまつり(常陸國總社宮大祭)」、初見物であります。場所は茨城県石岡市であります。埼玉県川越市の川越まつり、千葉県香取市佐原の佐原の大祭、そして石岡のおまつりで[関東三大祭り」と呼ばれているらしい。
川越まつり 2018 後日投稿予定
佐原の大祭 2018 https://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-582.html
9月16日(日)だから…2日目のこと。このお祭りは土、日、月(必ず敬老の日を含む)、3日間開催されるらしい。
市営のパーキングに車を停めてJR石岡駅の反対側(西口)までやって来たら、↓こんないい子にお出迎えされたです。「みんなのタロー」だって。本当の名前は「コロ」っぽい。イイ話というより、ひたすら切ない。

忠犬タロー asahi.comの記事 http://www.asahi.com/special/080804/TKY200906190306.html
17年も駅通いを続けて、20歳ぐらいで亡くなったとのこと。20年って…お犬にしては長生きだー。小型犬という感じでも無さそうだし、町のみんなに可愛がられて元気な日々だったんだな。決して不幸じゃなかったと思いたい。
↓タローの像は、お口が「ω」の形でとても可愛いのに、両隣の子供像が不気味過ぎて笑った。

2日目だったので、アスファルトは既に山車の傷痕だらけ。


↓通りに面した壁だけ豪華に装飾されている建物のことを、「看板建築」って言うんじゃなかったっけ?
ベロちゃんのいる飯能銀座の床屋さんも看板建築の建物だったと思う。
ベロちゃん(かわいい) https://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-489.html

到着が早過ぎて、屋台も山車もまだ準備中。見物客っぽいヒト達もあまり歩いていない。

実家も看板建築だったら、今頃「レトロな元・町工場」ってフンイキでインスタ映えスポットになっていたやも知れん。考えたことも無かった。たった今ふと思いついた。

石岡のおまつりは山車やお神輿の他にも、「幌獅子」という変わった獅子舞を見ることが出来るというので楽しみにしていました。

つづく。


なにわろ
何かと不運な公介氏ですら当たったし、自分なんかもう当たらないワケが無いと自信満々開封しました。結果は(
当たらんかったクッソ。この敗北感よ。
…でもまぁ、自分もそろそろ「敗北を知りたい」というか漠然とそんな風に思っていたわけで、実にイイ経験をさせて貰ったと思いますよ(ただの敗け惜しみ)。
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「石岡のおまつり(常陸國總社宮大祭)」、初見物であります。場所は茨城県石岡市であります。埼玉県川越市の川越まつり、千葉県香取市佐原の佐原の大祭、そして石岡のおまつりで[関東三大祭り」と呼ばれているらしい。
川越まつり 2018 後日投稿予定
佐原の大祭 2018 https://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-582.html
9月16日(日)だから…2日目のこと。このお祭りは土、日、月(必ず敬老の日を含む)、3日間開催されるらしい。
市営のパーキングに車を停めてJR石岡駅の反対側(西口)までやって来たら、↓こんないい子にお出迎えされたです。「みんなのタロー」だって。本当の名前は「コロ」っぽい。イイ話というより、ひたすら切ない。

忠犬タロー asahi.comの記事 http://www.asahi.com/special/080804/TKY200906190306.html
17年も駅通いを続けて、20歳ぐらいで亡くなったとのこと。20年って…お犬にしては長生きだー。小型犬という感じでも無さそうだし、町のみんなに可愛がられて元気な日々だったんだな。決して不幸じゃなかったと思いたい。
↓タローの像は、お口が「ω」の形でとても可愛いのに、両隣の子供像が不気味過ぎて笑った。

2日目だったので、アスファルトは既に山車の傷痕だらけ。


↓通りに面した壁だけ豪華に装飾されている建物のことを、「看板建築」って言うんじゃなかったっけ?
ベロちゃんのいる飯能銀座の床屋さんも看板建築の建物だったと思う。
ベロちゃん(かわいい) https://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-489.html

到着が早過ぎて、屋台も山車もまだ準備中。見物客っぽいヒト達もあまり歩いていない。

実家も看板建築だったら、今頃「レトロな元・町工場」ってフンイキでインスタ映えスポットになっていたやも知れん。考えたことも無かった。たった今ふと思いついた。

石岡のおまつりは山車やお神輿の他にも、「幌獅子」という変わった獅子舞を見ることが出来るというので楽しみにしていました。

つづく。

上福岡七夕まつり その3 チーズドッグとか、津軽三味線とか。
なんなんだよこの暑さのブリ返しはっ!地球上の生き物達を全力で殺しにかかっているとしか思えん。
今日は病院だったので、終わってからファミレスでお昼ご飯を食べつつ暫く涼んでいたです。でもずっと微妙に汗ばむ室温でガックシ…。席の位置が悪かったな。
・
・
・
その2からのつづき。
商店街を過ぎて住宅地になっても七夕飾りは続いておりました。上福岡中の幼稚園保育園学校の子達が出品しているっぽい。

↓亀さんかわいい。

↓この辺りでおしまいだったかな。さすがに歩き疲れてしまったので、商店街まで戻ることにしました。

夜の七夕飾りも綺麗。上福岡イイなー商店街だらけで。そういや桑野信義(ラッツ&スター)のお店が、ケバブ屋さん?のような車でカレーを売っていた。呼び込みをしているヒトを思わず二度見してしまったんだけど、多分「戦場カメラマン」のソックリさんだったと思う。ご本人は来ないよなーさすがに…。桑マンがいたかどうかも判らず。

戻って来たら、澤田慶仁さんってヒトがちょうど津軽三味線の演奏を始めるところだった。
亡き父親が寺内タケシ好きだったので、エレキで「津軽じょんがら節」を練習しているのはよく見ていたもんだけど、ホンモノの津軽三味線のナマ演奏は生まれて初めて。凄く良かった感動した。

イベント広場のお囃子屋台。たくさん見どころのあるお祭りで楽しかったな。

公介買い食いタイム。
最近「いらすとや」のホームページで「チーズドッグを食べる人のイラスト」というのを見つけたらしく、口からチーズがビヨ~ンと伸びているので「これは一体なんなんだろう?」と、気になって気になって仕方なかったようです。
いらすとや チーズドッグを食べる人のイラスト https://www.irasutoya.com/2018/07/blog-post_485.html
後で調べてみたら、韓国で流行っている食べ物とのこと。「とりあえず食べてみる」とのこと。確かにチーズがビヨ~ンと伸びていました。


食べ終わりに「???」って顔をしていたので何かと思ったら、「根元だけウインナーだ!」
…確かに、揚げる前はウインナー見えていた。目の前で揚げていたのに見ていなかったんか節穴め。
要するに↓こんな感じ。

チーズドッグの後に↓フランクフルトも食べとった。自分も何か食べたかったよ。でもしつこいけど、ホントに顔汗が酷くて買い食いするどころでは無いのであります今年は特に。いつ治るのだろうか。

この後、臨時駐車場まで戻るのが一番ツラかったな。遠くて遠くて…。
昨日(宇都宮ふるさと宮まつり)の今日(上福岡七夕まつり)で疲れ果てた。でも楽しかった。夏は大嫌いだけど夏祭りは大好き。
おしまい。

今日は病院だったので、終わってからファミレスでお昼ご飯を食べつつ暫く涼んでいたです。でもずっと微妙に汗ばむ室温でガックシ…。席の位置が悪かったな。
・
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その2からのつづき。
商店街を過ぎて住宅地になっても七夕飾りは続いておりました。上福岡中の幼稚園保育園学校の子達が出品しているっぽい。

↓亀さんかわいい。

↓この辺りでおしまいだったかな。さすがに歩き疲れてしまったので、商店街まで戻ることにしました。

夜の七夕飾りも綺麗。上福岡イイなー商店街だらけで。そういや桑野信義(ラッツ&スター)のお店が、ケバブ屋さん?のような車でカレーを売っていた。呼び込みをしているヒトを思わず二度見してしまったんだけど、多分「戦場カメラマン」のソックリさんだったと思う。ご本人は来ないよなーさすがに…。桑マンがいたかどうかも判らず。

戻って来たら、澤田慶仁さんってヒトがちょうど津軽三味線の演奏を始めるところだった。
亡き父親が寺内タケシ好きだったので、エレキで「津軽じょんがら節」を練習しているのはよく見ていたもんだけど、ホンモノの津軽三味線のナマ演奏は生まれて初めて。凄く良かった感動した。

イベント広場のお囃子屋台。たくさん見どころのあるお祭りで楽しかったな。

公介買い食いタイム。
最近「いらすとや」のホームページで「チーズドッグを食べる人のイラスト」というのを見つけたらしく、口からチーズがビヨ~ンと伸びているので「これは一体なんなんだろう?」と、気になって気になって仕方なかったようです。
いらすとや チーズドッグを食べる人のイラスト https://www.irasutoya.com/2018/07/blog-post_485.html
後で調べてみたら、韓国で流行っている食べ物とのこと。「とりあえず食べてみる」とのこと。確かにチーズがビヨ~ンと伸びていました。


食べ終わりに「???」って顔をしていたので何かと思ったら、「根元だけウインナーだ!」
…確かに、揚げる前はウインナー見えていた。目の前で揚げていたのに見ていなかったんか節穴め。
要するに↓こんな感じ。

チーズドッグの後に↓フランクフルトも食べとった。自分も何か食べたかったよ。でもしつこいけど、ホントに顔汗が酷くて買い食いするどころでは無いのであります今年は特に。いつ治るのだろうか。

この後、臨時駐車場まで戻るのが一番ツラかったな。遠くて遠くて…。
昨日(宇都宮ふるさと宮まつり)の今日(上福岡七夕まつり)で疲れ果てた。でも楽しかった。夏は大嫌いだけど夏祭りは大好き。
おしまい。

宇都宮 ふるさと宮まつり 2018 その3 夜のお神輿と餃子
その2からのつづき。
夕方でもまだまだ暑くてオリオン通りも押しくらまんじゅう状態で、我が顔汗は相変わらず止めどなく流れ続けておりました。
この後宇都宮東武に行って、誕生日のガーゼケットを買って貰いました。暫く店内をプラプラした後、完全に日が暮れるまで「来らっせ」で休むことにしたです。
ガーゼケット https://blog-imgs-119.fc2.com/z/a/b/zabutonguma/2018_08_04_gauzeket_01.jpg

宇都宮東武まで行って来らっせまで戻って…。歩数稼げる稼げる。
ぜんぜん食欲無くて、香蘭の焼き餃子1人前は「ついで」みたいな感じ(申し訳無い…)。お目当ては水。いつも言っているけど、ココのお冷やは何故か異常に美味しい。
公介氏は「面白いメニューがあったからつい頼んでしまいました」と言って、焼き餃子&水餃子の他に「ねぎ塩餃子」というのまで注文しておった。こんなに食えるんか?

↓香蘭の餃子(2人分)

香蘭の水餃子1人前。

↓香蘭のねぎ塩餃子1人前。
公介氏はやっぱり頼み過ぎたようで、「ねぎ塩食べてみなされ」とのこと。言わんこっちゃない。
ウチで作る餃子にこのタレをかけるのは逆に勿体無いけど、スーパーやぎょうざの満州で売っているそこそこの冷凍餃子に同じようなタレを作ってかけて食べると、1ランク上の味になると思いました。これは意外とイイです。渋々()食べてみて良かった。

ピッチャーのお冷やはカラッポに…。来らっせの店内は物凄く涼しいんだけど、胃袋に温かい食べ物を入れてしまうと結局汗止まらんですな。

暫く涼んでお店から出ると、外はすっかり暗くなっていました。
↓提灯の何か…。正式名称を知らない。でも綺麗だった。

お神輿も活気あったです。実際は↓この何百倍も写真撮ったんだけど、ブレているのばかりでどうしちゃったのだろう?やはり手の震えの所為か(最近だいぶ治まって来た気もする)。
手の震え http://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-585.html


お祭りが完全に終わってからでは渋滞にはまるだろうと思い、20時半頃戻ることにしました。こうして開けている場所は、雑踏でも時々涼しい風が吹いて来る。
オリオン通り商店街沿いには川が流れているんだけど、歩いているヒトもそんなに多くないから、コインパーキングまで戻る時にどうしても通ってしまう毎年。
…で、再び商店街の凄まじい雑踏に戻される構造なんだよな。何故学習出来ないのか我々は。
そういや、川沿いの植え込みに顔を突っ込んで爆睡しているお兄ちゃんがいた。
今年も楽しかったよ。初期は「なるべく全ての出し物を見て帰ろう」とガツガツしていた気がするけど、10年ぐらい通い続けている現在はお気に入りしか見ないです。何処かで休んでいる時間の方が長い。

おしまい。

夕方でもまだまだ暑くてオリオン通りも押しくらまんじゅう状態で、我が顔汗は相変わらず止めどなく流れ続けておりました。
この後宇都宮東武に行って、誕生日のガーゼケットを買って貰いました。暫く店内をプラプラした後、完全に日が暮れるまで「来らっせ」で休むことにしたです。
ガーゼケット https://blog-imgs-119.fc2.com/z/a/b/zabutonguma/2018_08_04_gauzeket_01.jpg

宇都宮東武まで行って来らっせまで戻って…。歩数稼げる稼げる。
ぜんぜん食欲無くて、香蘭の焼き餃子1人前は「ついで」みたいな感じ(申し訳無い…)。お目当ては水。いつも言っているけど、ココのお冷やは何故か異常に美味しい。
公介氏は「面白いメニューがあったからつい頼んでしまいました」と言って、焼き餃子&水餃子の他に「ねぎ塩餃子」というのまで注文しておった。こんなに食えるんか?

↓香蘭の餃子(2人分)

香蘭の水餃子1人前。

↓香蘭のねぎ塩餃子1人前。
公介氏はやっぱり頼み過ぎたようで、「ねぎ塩食べてみなされ」とのこと。言わんこっちゃない。
ウチで作る餃子にこのタレをかけるのは逆に勿体無いけど、スーパーやぎょうざの満州で売っているそこそこの冷凍餃子に同じようなタレを作ってかけて食べると、1ランク上の味になると思いました。これは意外とイイです。渋々()食べてみて良かった。

ピッチャーのお冷やはカラッポに…。来らっせの店内は物凄く涼しいんだけど、胃袋に温かい食べ物を入れてしまうと結局汗止まらんですな。

暫く涼んでお店から出ると、外はすっかり暗くなっていました。
↓提灯の何か…。正式名称を知らない。でも綺麗だった。

お神輿も活気あったです。実際は↓この何百倍も写真撮ったんだけど、ブレているのばかりでどうしちゃったのだろう?やはり手の震えの所為か(最近だいぶ治まって来た気もする)。
手の震え http://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-585.html


お祭りが完全に終わってからでは渋滞にはまるだろうと思い、20時半頃戻ることにしました。こうして開けている場所は、雑踏でも時々涼しい風が吹いて来る。
オリオン通り商店街沿いには川が流れているんだけど、歩いているヒトもそんなに多くないから、コインパーキングまで戻る時にどうしても通ってしまう毎年。
…で、再び商店街の凄まじい雑踏に戻される構造なんだよな。何故学習出来ないのか我々は。
そういや、川沿いの植え込みに顔を突っ込んで爆睡しているお兄ちゃんがいた。
今年も楽しかったよ。初期は「なるべく全ての出し物を見て帰ろう」とガツガツしていた気がするけど、10年ぐらい通い続けている現在はお気に入りしか見ないです。何処かで休んでいる時間の方が長い。

おしまい。

上福岡七夕まつり その2 雑踏と屋台と七夕飾りの数が凄かった。
上福岡七夕まつり。正直、ここまで賑やか&華のあるお祭りだとは思わなかった。メイン通りから裏道から何処までも綺麗な七夕飾りだらけ。
この日も相変わらず暑かったな。夕方まで家に居て、上福岡駅までちょっと距離のある臨時駐車場(広~い空き地)に車を停めて、デニーズで晩ご飯(遅いお昼ご飯?)を食べながら暫く涼んだ後で駅を目指しました。

ドリンクバーで見つけた「阿蘇の健康茶」。くまモンの袋が可愛かったので、携帯鋏で綺麗にカットして持って帰っちゃった。楽天でも売っているっぽい。癖の無い美味しいお茶だったよ。

イベント広場でふじみん発見!チビッ子達に大人気。ジジババの我々にも大人気。

イベント広場のステージでは、ちょうどアフリカ太鼓(ジャンベ)のワークショップのライブで盛り上がっているところだった。凄く良くて、最後まで聴き入ってしまったです。上福岡が活動拠点のグループっぽいです。
「このヒトの主食は玄米だろうな」「このヒトは沖縄言葉を自在に操りそうだな」、「リーダーっぽいヒト凄くカッコイイけどマ●フ●ナやってそうだなwww」(失礼過ぎるだろw)って近寄り難いフンイキのヒト達がポロポロ混じっているんだけど、女の子もグループの一員で心から楽しそうだった。自分も楽しくて試しに叩いてみたくなったよ。真夏にピッタシ。
また機会があったら是非とも見たい聴きたい。

↓顔を隠すと十代の地下アイドル集団に見えるけど、皆さん恐らくアラカンです。出番はまだ先だったのかな。パフォーマンスは見られませんでした。
…というか↓この衣装は一体誰のコスプレ???

雑踏と屋台の先のつき当たりが上福岡駅。凄いでしょ。

ふじみんの七夕飾り可愛いなー。

上福岡駅の真ん前。

駅前名店街という名前の商店街へ行ってみました。

ココも凄いヒトだった…。七夕飾りの数も凄い。しかも手で触れられる高さ。
とにかく屋台と食べ物屋さんの出店が多くて、買い食いに命を懸けている公介氏は大興奮でありました。

つづく。

この日も相変わらず暑かったな。夕方まで家に居て、上福岡駅までちょっと距離のある臨時駐車場(広~い空き地)に車を停めて、デニーズで晩ご飯(遅いお昼ご飯?)を食べながら暫く涼んだ後で駅を目指しました。

ドリンクバーで見つけた「阿蘇の健康茶」。くまモンの袋が可愛かったので、携帯鋏で綺麗にカットして持って帰っちゃった。楽天でも売っているっぽい。癖の無い美味しいお茶だったよ。

イベント広場でふじみん発見!チビッ子達に大人気。ジジババの我々にも大人気。

イベント広場のステージでは、ちょうどアフリカ太鼓(ジャンベ)のワークショップのライブで盛り上がっているところだった。凄く良くて、最後まで聴き入ってしまったです。上福岡が活動拠点のグループっぽいです。
「このヒトの主食は玄米だろうな」「このヒトは沖縄言葉を自在に操りそうだな」、「リーダーっぽいヒト凄くカッコイイけどマ●フ●ナやってそうだなwww」(失礼過ぎるだろw)って近寄り難いフンイキのヒト達がポロポロ混じっているんだけど、女の子もグループの一員で心から楽しそうだった。自分も楽しくて試しに叩いてみたくなったよ。真夏にピッタシ。
また機会があったら是非とも見たい聴きたい。

↓顔を隠すと十代の地下アイドル集団に見えるけど、皆さん恐らくアラカンです。出番はまだ先だったのかな。パフォーマンスは見られませんでした。
…というか↓この衣装は一体誰のコスプレ???

雑踏と屋台の先のつき当たりが上福岡駅。凄いでしょ。

ふじみんの七夕飾り可愛いなー。

上福岡駅の真ん前。

駅前名店街という名前の商店街へ行ってみました。

ココも凄いヒトだった…。七夕飾りの数も凄い。しかも手で触れられる高さ。
とにかく屋台と食べ物屋さんの出店が多くて、買い食いに命を懸けている公介氏は大興奮でありました。

つづく。

宇都宮 ふるさと宮まつり 2018 その2 毎年暑い。
8月の第一土・日は何処でも夏祭りなので、たまには宮まつりをお休みして他県の夏祭りを楽しむのもイイいんじゃないかなーと毎年思っている。でもなんでかどうしても足が向いてしまうのであります。もはや呪縛であります。
・
・
・
ふるさと宮まつり 2018 その1 からのつづき。
宮カフェ(宇都宮アンテナショップ)前で、NPO法人うつのみや百年花火のマスコット「みやどん」ちゃんを見つけたよ。
花火も
愉快だ
宇都宮

恒例、オリオン通り商店街の七夕飾り。けっこうたくさん撮ったのに、何故か殆どボケていた…。

お囃子トラックは、まだ準備中。

お昼のオリオン通りは、まだそれほど混雑していないんだよな。

お祭りの日はオリオン通りから1本?はずれた道路にも、色々な食べ物を売っているテントがある。ココもまだ準備中の模様。
ん?テントの後ろのシャッター…。

可愛い!毎年同じこと言っているような気もするけど、過去記事を見返す気力が無い。

宇都宮駅に近づいて来ました。この太鼓は毎年ココら辺に置きっぱという印象。
誰か見張っているヒトがいないと、悪戯するヤツが現れるんじゃないかと思って心配になって来るんだよな。

この後すぐ、カレー屋さんでビリヤニを食べたり駅や駅前ビルのお店を見て回ったりサイゼリヤで涼んだり、太鼓の演奏まで適当に暇を潰していたわけです。

ビリヤニ。

サイゼリヤ。
↓そして16時半。一昨年は野州雷太鼓だったかな?自衛隊(宇都宮駐屯地?)の太鼓サークルの演奏を見ました。とても良かったです。
去年は野州の皆さんを見かけなくて、別のサークルの演奏を見た。ところがリーダーのヒトが我先にバテてしまい大変そうだったんだよ。
…で、今年もやっぱり早々にバテていたw年々バテるの早くなって行くのだろう。
・
・
・
迷彩服っぽいヒト達を見つけて「おっ、雷太鼓だ!」と思ったら、違った。鬼怒飛行太鼓だって。

↓待機中。

曲が終わって次に入る間、知人なのかOBなのかビール片手の謎めいたオッサンが一々乱入して来て飛行太鼓の皆さんに話しかけるんだよな。100%このオッサンの所為でかなり時間が押してしまい、最後の曲を最後まで演奏出来るのかどうかハラハラだったです。
それでも辛うじて大丈夫だったけど、飛行太鼓の皆さんは修羅場だったと思う。心の中で「盆回り」が流れていたのではないだろうか。見ているコッチも修羅場だった。結果的に死ぬほど面白かったけど。
盆回り
お祭りスタッフのヒトが慌てて駆けつけて来たリ、待機中の自衛隊お兄さんが演奏の間に片付けを始めたり、皆さん苦笑いで終了。
とはいえ1人1人カッコ良くて迫力あったし、色々ひっくるめて楽しかった。来年も参加して下さい。ビールのオッサンも是非。あのスリルをもう一度。
・
・
・
だいぶ陽が落ちて来たとはいえ、暑いは暑い。暑過ぎる。
そして、公介の買い食いタイム。イタリアントマトの出店でフランクフルト、いつもの八百屋さんで冷やしメロン。
…しっかしメロン高くなったよなー。何年か前は100円だったのに。いくらか忘れちゃったけどホント高くなった。


つづく。

・
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ふるさと宮まつり 2018 その1 からのつづき。
宮カフェ(宇都宮アンテナショップ)前で、NPO法人うつのみや百年花火のマスコット「みやどん」ちゃんを見つけたよ。
花火も
愉快だ
宇都宮

恒例、オリオン通り商店街の七夕飾り。けっこうたくさん撮ったのに、何故か殆どボケていた…。

お囃子トラックは、まだ準備中。

お昼のオリオン通りは、まだそれほど混雑していないんだよな。

お祭りの日はオリオン通りから1本?はずれた道路にも、色々な食べ物を売っているテントがある。ココもまだ準備中の模様。
ん?テントの後ろのシャッター…。

可愛い!毎年同じこと言っているような気もするけど、過去記事を見返す気力が無い。

宇都宮駅に近づいて来ました。この太鼓は毎年ココら辺に置きっぱという印象。
誰か見張っているヒトがいないと、悪戯するヤツが現れるんじゃないかと思って心配になって来るんだよな。

この後すぐ、カレー屋さんでビリヤニを食べたり駅や駅前ビルのお店を見て回ったりサイゼリヤで涼んだり、太鼓の演奏まで適当に暇を潰していたわけです。

ビリヤニ。

サイゼリヤ。
↓そして16時半。一昨年は野州雷太鼓だったかな?自衛隊(宇都宮駐屯地?)の太鼓サークルの演奏を見ました。とても良かったです。
去年は野州の皆さんを見かけなくて、別のサークルの演奏を見た。ところがリーダーのヒトが我先にバテてしまい大変そうだったんだよ。
…で、今年もやっぱり早々にバテていたw年々バテるの早くなって行くのだろう。
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迷彩服っぽいヒト達を見つけて「おっ、雷太鼓だ!」と思ったら、違った。鬼怒飛行太鼓だって。

↓待機中。

曲が終わって次に入る間、知人なのかOBなのかビール片手の謎めいたオッサンが一々乱入して来て飛行太鼓の皆さんに話しかけるんだよな。100%このオッサンの所為でかなり時間が押してしまい、最後の曲を最後まで演奏出来るのかどうかハラハラだったです。
それでも辛うじて大丈夫だったけど、飛行太鼓の皆さんは修羅場だったと思う。心の中で「盆回り」が流れていたのではないだろうか。見ているコッチも修羅場だった。結果的に死ぬほど面白かったけど。
盆回り
お祭りスタッフのヒトが慌てて駆けつけて来たリ、待機中の自衛隊お兄さんが演奏の間に片付けを始めたり、皆さん苦笑いで終了。
とはいえ1人1人カッコ良くて迫力あったし、色々ひっくるめて楽しかった。来年も参加して下さい。ビールのオッサンも是非。あのスリルをもう一度。
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だいぶ陽が落ちて来たとはいえ、暑いは暑い。暑過ぎる。
そして、公介の買い食いタイム。イタリアントマトの出店でフランクフルト、いつもの八百屋さんで冷やしメロン。
…しっかしメロン高くなったよなー。何年か前は100円だったのに。いくらか忘れちゃったけどホント高くなった。


つづく。

上福岡七夕まつり 2018 その1
昨日(宇都宮ふるさと宮まつり)の今日で、ふじみ野市上福岡駅周辺で開催される夏祭り。
上福岡は元々上福岡市で、いつの間にかふじみ野の市に合併されていました。
子供の頃、叔父のお嫁さんが上福岡出身だと知って「一体何処にある町なんか…。九州?」と、埼玉に越して来てから大分経つまでよく知らない土地でした。
去年、用事の帰りにたまたまお祭りのど真ん中(歩行者天国ではない道路もある。おまわりさんが誘導している)を車で通り過ぎたんだよな。意外と盛大に見えたので、「来年(今年ね)行ってみよう」と決めていたようです。公介が。
ふるさと宮まつりと上福岡七夕まつりを合計して、約3万歩も歩いていました。宮まつりの時点で多少筋肉痛だったけど、上福岡で悪化させた感じ。
お祭りメインの通りから別れる路地から何から、もう殆ど綺麗な七夕飾りがこれでもかとがぶら下がっていて煌びやかで、しかも宮まつりの七夕飾りと違い、まるで暖簾のように潜らねばならんほどかなり低い位置にぶら下がっている。それが珍しくて綺麗だったし、路地中を歩いていたら迷子になってしまいそうでした。

楽しかったけど、さすがに2日連続は疲れ果てた。それに宮まつりの日記も書いた通り、とにかく顔汗が凄まじいんだって。デブが顔汗をボタボタ流していると、イカにも「デブ」で傷つく。自己責任で腋の下用のデオナチュレクリームを顔に塗ったりしたこともあったんだけど、脇の下には効くのに顔はダメだった。幸い肌荒れもしなかったけどな。元々荒れ肌だから違いが判りません。
ふるさと宮まつり 顔汗 http://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-584.html
毎度のことだけど、既に身体の脱力感がパネェ。
今週はもう絶対に家から一歩も外に出ないぞーーー!出るとしても、土曜日にサイゼリヤへ辛味チキン(←好物)を食べに行く程度にしておきたい。
下着の締めつけ部分がミミズ腫れのような汗疹になってしまったし、持病薬の副作用なのかほぼ常に手が小刻みに震えているし(薬を減らして貰ったが)、なんかもう………長くないような気がする。
こんな場合でも、ワンカップを煽れば震えも止まってシャキッとするだろうか?
…まぁ、今日はこんなところです。寝ます。また追々日記にして行きたい。すっごく楽しかった。なんか、町のヒト達のノリが異常にイイんだよな。上福岡に住みたくなっちゃった。

上福岡は元々上福岡市で、いつの間にかふじみ野の市に合併されていました。
子供の頃、叔父のお嫁さんが上福岡出身だと知って「一体何処にある町なんか…。九州?」と、埼玉に越して来てから大分経つまでよく知らない土地でした。
去年、用事の帰りにたまたまお祭りのど真ん中(歩行者天国ではない道路もある。おまわりさんが誘導している)を車で通り過ぎたんだよな。意外と盛大に見えたので、「来年(今年ね)行ってみよう」と決めていたようです。公介が。
ふるさと宮まつりと上福岡七夕まつりを合計して、約3万歩も歩いていました。宮まつりの時点で多少筋肉痛だったけど、上福岡で悪化させた感じ。
お祭りメインの通りから別れる路地から何から、もう殆ど綺麗な七夕飾りがこれでもかとがぶら下がっていて煌びやかで、しかも宮まつりの七夕飾りと違い、まるで暖簾のように潜らねばならんほどかなり低い位置にぶら下がっている。それが珍しくて綺麗だったし、路地中を歩いていたら迷子になってしまいそうでした。

楽しかったけど、さすがに2日連続は疲れ果てた。それに宮まつりの日記も書いた通り、とにかく顔汗が凄まじいんだって。デブが顔汗をボタボタ流していると、イカにも「デブ」で傷つく。自己責任で腋の下用のデオナチュレクリームを顔に塗ったりしたこともあったんだけど、脇の下には効くのに顔はダメだった。幸い肌荒れもしなかったけどな。元々荒れ肌だから違いが判りません。
ふるさと宮まつり 顔汗 http://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-584.html
毎度のことだけど、既に身体の脱力感がパネェ。
今週はもう絶対に家から一歩も外に出ないぞーーー!出るとしても、土曜日にサイゼリヤへ辛味チキン(←好物)を食べに行く程度にしておきたい。
下着の締めつけ部分がミミズ腫れのような汗疹になってしまったし、持病薬の副作用なのかほぼ常に手が小刻みに震えているし(薬を減らして貰ったが)、なんかもう………長くないような気がする。
こんな場合でも、ワンカップを煽れば震えも止まってシャキッとするだろうか?
…まぁ、今日はこんなところです。寝ます。また追々日記にして行きたい。すっごく楽しかった。なんか、町のヒト達のノリが異常にイイんだよな。上福岡に住みたくなっちゃった。

宇都宮 ふるさと宮まつり 2018 その1 JR宇都宮駅前のインドレストランで、土曜日限定ビリヤニ
土曜日は宇都宮のふるさと宮まつりへ行く為、朝一で持病の病院へ。しかし上には上がいるんだよな。既に2人受診を待っていた。
いつも通りお薬を貰い、東北道は既に渋滞していたので途中まで圏央道を使ったけど、入るまでの一般道も少し渋滞気味だった…。
それでも激しく渋滞していた岩槻付近をショートカット出来たようで、思っていたより早く到着。朝・昼ご飯を食べていなかったので、半年前に見つけて美味しかった宇都宮駅前のカレー屋へ行ったよ。


長米炊き込みご飯の中に、大きい骨付き鶏肉が2つも埋まっていて豪華。
サラダとカレーとナンのセットよりも、限界点突破的な満腹になり難い(それでも結構な量)。美味しかったです。

お祭り本番は4時半からなので、体力温存の為にララスクエアのサイゼリヤで暫く涼んでおりました。佐原の大祭の時と違い、最後までけっこう元気でした。
しかし今年は去年よりもさらに顔汗が酷く、四六時中タオルハンカチで拭いていないことにはボタボタ落ちるほど。日焼け止めを塗っても無駄っぽい。もうやだ。

お祭りそのものの日記は後日として…ふるさと宮まつりは、我が誕生日前後に開催される。で、何故か宇都宮東武でタオルケット(ガーゼケット)を買って貰う…というのがほぼ恒例になっとります。どうもありがとう。
いやしかし、タオルケット増え過ぎて困った。全部はかけられないし捨てるのも忍びないし、古びて来たのからクッションカバーに詰めている。弾力の無い、ズッシリ重たい妙なクッションに早変わり。
寝具売場で肌触りを確かめていると段々コーフンして来て、「すげー」「これは永眠出来る!」「コッチの方が凄い」と、イイ歳をした者同士で大騒ぎになる。そうすっと店員さんが微笑ましげな表情で「こちらは如何ですか?」などと口を挟んで来る。
お互い店員さんには声をかけられたくない体質なので、一気にテンションが下がり「あー、はい…」「はぁ…(チッ)」と、あからさまな生返事になって行く。そこで空気を読んでくれる店員さんであれば最高なんだが。
さらにグイグイされた時は、一目散に逃げ出すが吉。
メーカーは東京西川だったかな。 肌触りがサラサラで気持ち良過ぎる。これは簡単に死ねる。

ハリネズミのぬいぐるみは、我がお眠りの友。誕生日でもクリスマスでもなんでも無く極々普通の日に何故か買ってくれた。公介自身が欲しかったんだと思うけど、一緒に寝るとしたら邪魔臭いんだと思う。
普段は何となく黄色いタオルに包んでいる。トンマな感じが可愛いでしょ。


つづく。

いつも通りお薬を貰い、東北道は既に渋滞していたので途中まで圏央道を使ったけど、入るまでの一般道も少し渋滞気味だった…。
それでも激しく渋滞していた岩槻付近をショートカット出来たようで、思っていたより早く到着。朝・昼ご飯を食べていなかったので、半年前に見つけて美味しかった宇都宮駅前のカレー屋へ行ったよ。


長米炊き込みご飯の中に、大きい骨付き鶏肉が2つも埋まっていて豪華。
サラダとカレーとナンのセットよりも、限界点突破的な満腹になり難い(それでも結構な量)。美味しかったです。

お祭り本番は4時半からなので、体力温存の為にララスクエアのサイゼリヤで暫く涼んでおりました。佐原の大祭の時と違い、最後までけっこう元気でした。
しかし今年は去年よりもさらに顔汗が酷く、四六時中タオルハンカチで拭いていないことにはボタボタ落ちるほど。日焼け止めを塗っても無駄っぽい。もうやだ。

お祭りそのものの日記は後日として…ふるさと宮まつりは、我が誕生日前後に開催される。で、何故か宇都宮東武でタオルケット(ガーゼケット)を買って貰う…というのがほぼ恒例になっとります。どうもありがとう。
いやしかし、タオルケット増え過ぎて困った。全部はかけられないし捨てるのも忍びないし、古びて来たのからクッションカバーに詰めている。弾力の無い、ズッシリ重たい妙なクッションに早変わり。
寝具売場で肌触りを確かめていると段々コーフンして来て、「すげー」「これは永眠出来る!」「コッチの方が凄い」と、イイ歳をした者同士で大騒ぎになる。そうすっと店員さんが微笑ましげな表情で「こちらは如何ですか?」などと口を挟んで来る。
お互い店員さんには声をかけられたくない体質なので、一気にテンションが下がり「あー、はい…」「はぁ…(チッ)」と、あからさまな生返事になって行く。そこで空気を読んでくれる店員さんであれば最高なんだが。
さらにグイグイされた時は、一目散に逃げ出すが吉。
メーカーは東京西川だったかな。 肌触りがサラサラで気持ち良過ぎる。これは簡単に死ねる。

ハリネズミのぬいぐるみは、我がお眠りの友。誕生日でもクリスマスでもなんでも無く極々普通の日に何故か買ってくれた。公介自身が欲しかったんだと思うけど、一緒に寝るとしたら邪魔臭いんだと思う。
普段は何となく黄色いタオルに包んでいる。トンマな感じが可愛いでしょ。


つづく。

佐原の大祭(夏祭り) 7/15(日) その2
その1からのつづき。
橋の上は凄い人混みで、天鈿女命(本川岸区)の山車にはこれ以上近づけませんでした。

天鈿女命の後ろからやって来た香取神宮の祭神、経津主神(ふつぬしのかみ)の山車。
鹿島神宮の祭神、武甕槌命(たけみかずち)の山車もあるらしいけど、残念ながら見かけなかった。鯉の山車も同じく…。

鯉の代わりに、鷹の山車(仁井宿区)は見ることが出来た。

公介氏は「屋台の食べ物がぜんぜん無い!」と、理不尽な怒りを露わにしていました。お祭りそのものはどーでもええんか。屋台でフランクフルトや餡餅を食べることの方が大事なんか。
屋台は無いわけじゃ無かったんだけど、その時自分はもうフラフラでした。駐車場まで辿り着けるかどうかも判らぬほどでした。
↓この辺は山車も人混みも無くてホッとしたものの、既に意識朦朧寸前。



特製あずき生あん。大昔の広告マッチラベルにありそうなフォントがイイですな。

↓こんな風に、なるべく陰のある道を歩いていたけど手遅れ状態。
そういや、ビートルズを聴かせて作ったカステラの店があったような。小学校の頃からビートルズ好きだけど、命の危険を感じていたのでそれどころでは無かった。

自分「あっ、スーパーがある!涼んで行こう」
佐原駅のお祭り会場側には、町の景観を保つ為かコンビニやファミレスが全く無かった(多分)。喫茶店も開いているのか潰れているのか判らない入り難い感じで、次回からは秋祭りだけにします。夏はホントに死ぬ。救急車も来ていたし。
そして志田ストアー。古そうなお店で店内も雑然としていたけど、涼しくて有難かった。録音で「本日の特売品」?を1つ1つ紹介していたんだけど、突然…
バーナナ、バーナナ、バーナーナー!!!
…バナナ安かったんだなぁ。
面白かったけど、笑う前に絶句してしまった。
店内をウロウロして涼みながらポカリを探してみたけど無くて、ソルティライチも無くて、何故かヤマザキの「塩パイン」というジュースが売っていたので買って飲んだ。
冷たくてうめー!ミネラルウォーターよりも身体中に沁み渡る。しかし飲み終わった途端に汗ドバー!沁み渡り過ぎにも程があった。

「今回はもう勘弁」ということで、帰ることにしました。↑にも書いたけど、夏祭りはヤバかった。今年が異常過ぎるのかも知れないけど、ヒヤロンや経口補水液を持っていた方がイイと思う。
もう少しつづく。

橋の上は凄い人混みで、天鈿女命(本川岸区)の山車にはこれ以上近づけませんでした。

天鈿女命の後ろからやって来た香取神宮の祭神、経津主神(ふつぬしのかみ)の山車。
鹿島神宮の祭神、武甕槌命(たけみかずち)の山車もあるらしいけど、残念ながら見かけなかった。鯉の山車も同じく…。

鯉の代わりに、鷹の山車(仁井宿区)は見ることが出来た。

公介氏は「屋台の食べ物がぜんぜん無い!」と、理不尽な怒りを露わにしていました。お祭りそのものはどーでもええんか。屋台でフランクフルトや餡餅を食べることの方が大事なんか。
屋台は無いわけじゃ無かったんだけど、その時自分はもうフラフラでした。駐車場まで辿り着けるかどうかも判らぬほどでした。
↓この辺は山車も人混みも無くてホッとしたものの、既に意識朦朧寸前。



特製あずき生あん。大昔の広告マッチラベルにありそうなフォントがイイですな。

↓こんな風に、なるべく陰のある道を歩いていたけど手遅れ状態。
そういや、ビートルズを聴かせて作ったカステラの店があったような。小学校の頃からビートルズ好きだけど、命の危険を感じていたのでそれどころでは無かった。

自分「あっ、スーパーがある!涼んで行こう」
佐原駅のお祭り会場側には、町の景観を保つ為かコンビニやファミレスが全く無かった(多分)。喫茶店も開いているのか潰れているのか判らない入り難い感じで、次回からは秋祭りだけにします。夏はホントに死ぬ。救急車も来ていたし。
そして志田ストアー。古そうなお店で店内も雑然としていたけど、涼しくて有難かった。録音で「本日の特売品」?を1つ1つ紹介していたんだけど、突然…
バーナナ、バーナナ、バーナーナー!!!
…バナナ安かったんだなぁ。
面白かったけど、笑う前に絶句してしまった。
店内をウロウロして涼みながらポカリを探してみたけど無くて、ソルティライチも無くて、何故かヤマザキの「塩パイン」というジュースが売っていたので買って飲んだ。
冷たくてうめー!ミネラルウォーターよりも身体中に沁み渡る。しかし飲み終わった途端に汗ドバー!沁み渡り過ぎにも程があった。

「今回はもう勘弁」ということで、帰ることにしました。↑にも書いたけど、夏祭りはヤバかった。今年が異常過ぎるのかも知れないけど、ヒヤロンや経口補水液を持っていた方がイイと思う。
もう少しつづく。

佐原の大祭(夏祭り) 7/15(日) その1
与野夏祭りの翌日です。
7/14(土) 与野夏祭り http://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-576.html
千葉県香取市佐原で、山車に乗った人形がやたら大きいお祭りをやるという。
佐原の大祭 Wikiより 佐原の大祭(さわらのたいさい)は、千葉県香取市(旧佐原市)佐原の市街地で行われる7月の本宿祇園祭と10月の新宿秋祭りの総称。川越氷川祭・常陸國總社宮大祭とともに関東三大祭りの一つである。2016年12月にユネスコ世界無形文化遺産に登録されている。
川越氷川祭は、我々が毎年行っている「川越まつり」のことですよ。ってことは常陸國總社宮大祭も見に行ったとしたら関東三大祭り制覇!?偉業じゃないかどうしよう!
今年行けるかなー無理かなー。9月15(土)、16日(日)らしい。

「見に行く!」言うのでタイヤの空気をちょっと入れる為、セルフのガソリンスタンドに寄った時に気がついた。タイヤ1本に「〆」みたいな傷がいくつもつけられている!
心当たりは無いよ。そもそもマンション内でのヒト付き合い全く無いし駐車場には防犯カメラが四方八方設置してあるので、写るリスクを冒してまで住人がこんな阿保らしいことやらんと思うんだよな。
この日から、公介氏は毎日タイヤの写真を撮り続けている。またやられたとしたら、管理人に防犯カメラの映像見せて貰う。
たとえ傷は浅くても、これで高速を走るなんて死ぬほど怖いではないか。とりあえずタイヤ屋さんに行ってみると1時間ぐらいだったかな?そんなもんで新品タイヤがメーカーから届いてすぐに着けられるとのことだったので、歩いて少しの所にあったガストで暇潰し。

お店なのに珍しく、殻を上手く剥けない茹で卵が出て来た。↓この惨状であります。…とことんツイていないなぁ。

お昼も過ぎちゃったので「今日はもうお祭り諦めだね」言ったら、「何言ってんですか。こんなつまらんことでせっかくのお休みを潰すなんて馬鹿みたいでしょうが!行きますよ。どうせ夜までやってるでしょ」
ぇえええ~…。なんだかもう疲れちゃった。茹で卵もボロボロだったし、今日はウチで大人しくしている方がイイと思うよ。
公介「ダメです」
…しかしホンッッットにつくづくツイていない日だった。圏央道の阿見辺りで事故があったらしく、渋滞&通行止めになっていた。
その区間だけ圏央道から出て、再び入る面倒臭さよ。
↓そんなこんなで、約1年ぶりの牛久大仏の道路を通った。やっぱりでけー!怖えー!
2017年9月 牛久大仏 http://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-438.html

15時頃、佐原駅に到着。伊能忠敬さんがお出迎え。故・谷口ジロー先生の、「ふらり。」は面白かったな。話の流れからして主人公は伊能忠敬なのに、名前が出て来ない不思議な漫画。
…それにしても困った。お祭りっぽいフンイキが無い。我々、滝の城まつりの時と同じくまた日にちを間違えたのだろうか?
滝の城まつりフライング http://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-552.html
公営の駐車場から駅の間に長ーい歩道橋が…。息切れが酷い。頭頂部もアチアチ。この時点でHPは残り僅かだったと思う。とにかく凄まじい陽射し。


駅のコンビニで涼んだものの焼け石に水で、「殺す気か?」とブチギレながらやっとの思いでお祭り会場に到着しました。Googleマップでは駅から徒歩10分とのことだったけど、我々は土地勘が無いので10倍歩いたような気がする。
ん?この町並み。むかーしテレビで見たことあると思うよ。ケーブルテレビの旅番組だったかな。
ココも「小江戸」と呼ばれているらしい。川に沿って古い町並みを残しているのかと思ったら、横道に入ってもかなりレトロだった。


船戸区、神武の山車。可愛い八咫烏も一緒。川越祭りの山車に乗っかっている人形より何倍も巨大で、初めは大味というかバランスが変に見えたけど、見慣れて来ると素晴らしくカッコイイ。こんなに大きい人形を乗っけた山車が、川沿いの狭い小道を練り歩いておるわけです。しかし暑い…。


白鳥のお船。

下仲町区、菅原道真の山車。激しく暑いのに涼しげな表情だ。自分なんかこの時点で、お化粧ドロドロに溶けて大変なことになっていたよ。


つづく。

7/14(土) 与野夏祭り http://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-576.html
千葉県香取市佐原で、山車に乗った人形がやたら大きいお祭りをやるという。
佐原の大祭 Wikiより 佐原の大祭(さわらのたいさい)は、千葉県香取市(旧佐原市)佐原の市街地で行われる7月の本宿祇園祭と10月の新宿秋祭りの総称。川越氷川祭・常陸國總社宮大祭とともに関東三大祭りの一つである。2016年12月にユネスコ世界無形文化遺産に登録されている。
川越氷川祭は、我々が毎年行っている「川越まつり」のことですよ。ってことは常陸國總社宮大祭も見に行ったとしたら関東三大祭り制覇!?偉業じゃないかどうしよう!
今年行けるかなー無理かなー。9月15(土)、16日(日)らしい。

「見に行く!」言うのでタイヤの空気をちょっと入れる為、セルフのガソリンスタンドに寄った時に気がついた。タイヤ1本に「〆」みたいな傷がいくつもつけられている!
心当たりは無いよ。そもそもマンション内でのヒト付き合い全く無いし駐車場には防犯カメラが四方八方設置してあるので、写るリスクを冒してまで住人がこんな阿保らしいことやらんと思うんだよな。
この日から、公介氏は毎日タイヤの写真を撮り続けている。またやられたとしたら、管理人に防犯カメラの映像見せて貰う。
たとえ傷は浅くても、これで高速を走るなんて死ぬほど怖いではないか。とりあえずタイヤ屋さんに行ってみると1時間ぐらいだったかな?そんなもんで新品タイヤがメーカーから届いてすぐに着けられるとのことだったので、歩いて少しの所にあったガストで暇潰し。

お店なのに珍しく、殻を上手く剥けない茹で卵が出て来た。↓この惨状であります。…とことんツイていないなぁ。

お昼も過ぎちゃったので「今日はもうお祭り諦めだね」言ったら、「何言ってんですか。こんなつまらんことでせっかくのお休みを潰すなんて馬鹿みたいでしょうが!行きますよ。どうせ夜までやってるでしょ」
ぇえええ~…。なんだかもう疲れちゃった。茹で卵もボロボロだったし、今日はウチで大人しくしている方がイイと思うよ。
公介「ダメです」
…しかしホンッッットにつくづくツイていない日だった。圏央道の阿見辺りで事故があったらしく、渋滞&通行止めになっていた。
その区間だけ圏央道から出て、再び入る面倒臭さよ。
↓そんなこんなで、約1年ぶりの牛久大仏の道路を通った。やっぱりでけー!怖えー!
2017年9月 牛久大仏 http://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-438.html

15時頃、佐原駅に到着。伊能忠敬さんがお出迎え。故・谷口ジロー先生の、「ふらり。」は面白かったな。話の流れからして主人公は伊能忠敬なのに、名前が出て来ない不思議な漫画。
…それにしても困った。お祭りっぽいフンイキが無い。我々、滝の城まつりの時と同じくまた日にちを間違えたのだろうか?
滝の城まつりフライング http://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-552.html
公営の駐車場から駅の間に長ーい歩道橋が…。息切れが酷い。頭頂部もアチアチ。この時点でHPは残り僅かだったと思う。とにかく凄まじい陽射し。


駅のコンビニで涼んだものの焼け石に水で、「殺す気か?」とブチギレながらやっとの思いでお祭り会場に到着しました。Googleマップでは駅から徒歩10分とのことだったけど、我々は土地勘が無いので10倍歩いたような気がする。
ん?この町並み。むかーしテレビで見たことあると思うよ。ケーブルテレビの旅番組だったかな。
ココも「小江戸」と呼ばれているらしい。川に沿って古い町並みを残しているのかと思ったら、横道に入ってもかなりレトロだった。


船戸区、神武の山車。可愛い八咫烏も一緒。川越祭りの山車に乗っかっている人形より何倍も巨大で、初めは大味というかバランスが変に見えたけど、見慣れて来ると素晴らしくカッコイイ。こんなに大きい人形を乗っけた山車が、川沿いの狭い小道を練り歩いておるわけです。しかし暑い…。


白鳥のお船。

下仲町区、菅原道真の山車。激しく暑いのに涼しげな表情だ。自分なんかこの時点で、お化粧ドロドロに溶けて大変なことになっていたよ。


つづく。

5/20 武蔵野線東所沢駅~滝の城 武者行列 (滝の城まつり) 2018 その2
プリズナートレーニングは続いているよ。毎日やるもんではないし今のところすぐに終わるので少し拍子抜けだなーと思っていたら、公介氏も同じだったらしく「次回からはもうちょっとキツくしますよ」とのこと。
いや、すぐに終わるっつってもキツいはキツいんだって。脇腹攣ったりして大変なんだって。
…とりあえず頑張ってみよう。
プリズナートレーニング http://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-574.html
・
・
・
その1からのつづき。
滝の城は、「滝の城めしの陣」を通り過ぎたらすぐそこ。寄居町の北條まつりは確か「食の陣」だったな。
ビックリするほどひょろ長いポテトフライを食べているちびっ子達がけっこういて、自分も食べてみたかったけどやめといた(混雑していた)。「もちもちポテト」というらしい。
もちもちポテトgoogle画像検索

「めしの陣」を過ぎたら、お囃子屋台が。ちょうど小っこいお犬が獅子舞に頭を齧って貰っているところで、怖がるかと思ったら全然平気そうだった。それとも怖過ぎて固まっていたのかな。可愛かったよ。

滝の城の本丸、城山神社の前の広場で、忍者ショーをやっていました。見たの途中からだったので、お話の全容は判らんです。とりあえず、悪の忍者達と正義の忍者達が戦っておりました。
そんな中、紅一点のくノ一お姉さんが、主人公お兄さんのピンチを救って死んでしまうん。
悪の忍者達は一掃出来たけど、お姉さんは還って来ない。主人公お兄さんが嘆き悲しんでいる時に神様…?の声が聞こえて来て、「お前の願いを1つだけ叶えてやろう」と。もちろん主人公お兄さんはくノ一お姉さんを生き還らせてくれとお願いする。そうすっと、無事、くの一お姉さんは生き還った。
そこに仲間の忍者達が「おーい、大丈夫だったかー」てな感じで集結し、おしまい。ええ話や…。
忍者ショー面白かったんだけど、土埃が舞い上がって大変だったわい。

二の丸跡(多分)は、↓こんな感じになっていました。武者行列の着陣直前を見たくて、再び「めしの陣」のところまで戻って来ちゃったので、どんな催しを演っていたかは分からぬです申し訳無い…。


前の週は↓こんな感じでした。

二の丸ステージの向かって左側に大砲が置いてあったです。立入禁止ロープも張っておらず、近づいてペチペチ触っているヒト達も普通にいたな。

武者行列、滝の城着陣直前です。
出陣の時は気がつかなかったんだけど、黄色い甲冑のお兄さんが爽やかイケメンだった。ホンモノの宇喜多秀家なんか、まさに↓こんな感じじゃなかったのかな。

公介「…そろそろかね」
自分「そうだね」
あー来た来たwww眼帯お兄さんwww

今年は比較的涼しかったので(シャキーン)、比較的元気であります(キラーン)

眼帯お兄さん、お侍姿も似合うけど忍者姿もカッコ良く決まるんじゃなかろうか。
「スラムダンク」のスティーブ・大滝じゃないけど(←いきさつを知って死ぬほど笑った)、「センゴク」に眼帯お兄さんをチラッと出して欲しい。「なんか知らんけどいるwww」みたいな、さりげない感じで。
ぜーんぶ見たわけではないけど、滝の城まつり思いのほか面白かったです。眼帯お兄さんの言う通り快晴なのに珍しく風が涼しくて、我々も全くバテることなく楽しめました。
滝の城イメージキャラクター、タキジョーくんの缶バッジが売っていたので、記念に買って帰ったよ。

おしまい。

いや、すぐに終わるっつってもキツいはキツいんだって。脇腹攣ったりして大変なんだって。
…とりあえず頑張ってみよう。
プリズナートレーニング http://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-574.html
・
・
・
その1からのつづき。
滝の城は、「滝の城めしの陣」を通り過ぎたらすぐそこ。寄居町の北條まつりは確か「食の陣」だったな。
ビックリするほどひょろ長いポテトフライを食べているちびっ子達がけっこういて、自分も食べてみたかったけどやめといた(混雑していた)。「もちもちポテト」というらしい。
もちもちポテトgoogle画像検索

「めしの陣」を過ぎたら、お囃子屋台が。ちょうど小っこいお犬が獅子舞に頭を齧って貰っているところで、怖がるかと思ったら全然平気そうだった。それとも怖過ぎて固まっていたのかな。可愛かったよ。

滝の城の本丸、城山神社の前の広場で、忍者ショーをやっていました。見たの途中からだったので、お話の全容は判らんです。とりあえず、悪の忍者達と正義の忍者達が戦っておりました。
そんな中、紅一点のくノ一お姉さんが、主人公お兄さんのピンチを救って死んでしまうん。
悪の忍者達は一掃出来たけど、お姉さんは還って来ない。主人公お兄さんが嘆き悲しんでいる時に神様…?の声が聞こえて来て、「お前の願いを1つだけ叶えてやろう」と。もちろん主人公お兄さんはくノ一お姉さんを生き還らせてくれとお願いする。そうすっと、無事、くの一お姉さんは生き還った。
そこに仲間の忍者達が「おーい、大丈夫だったかー」てな感じで集結し、おしまい。ええ話や…。
忍者ショー面白かったんだけど、土埃が舞い上がって大変だったわい。

二の丸跡(多分)は、↓こんな感じになっていました。武者行列の着陣直前を見たくて、再び「めしの陣」のところまで戻って来ちゃったので、どんな催しを演っていたかは分からぬです申し訳無い…。


前の週は↓こんな感じでした。

二の丸ステージの向かって左側に大砲が置いてあったです。立入禁止ロープも張っておらず、近づいてペチペチ触っているヒト達も普通にいたな。

武者行列、滝の城着陣直前です。
出陣の時は気がつかなかったんだけど、黄色い甲冑のお兄さんが爽やかイケメンだった。ホンモノの宇喜多秀家なんか、まさに↓こんな感じじゃなかったのかな。

公介「…そろそろかね」
自分「そうだね」
あー来た来たwww眼帯お兄さんwww

今年は比較的涼しかったので(シャキーン)、比較的元気であります(キラーン)

眼帯お兄さん、お侍姿も似合うけど忍者姿もカッコ良く決まるんじゃなかろうか。
「スラムダンク」のスティーブ・大滝じゃないけど(←いきさつを知って死ぬほど笑った)、「センゴク」に眼帯お兄さんをチラッと出して欲しい。「なんか知らんけどいるwww」みたいな、さりげない感じで。
ぜーんぶ見たわけではないけど、滝の城まつり思いのほか面白かったです。眼帯お兄さんの言う通り快晴なのに珍しく風が涼しくて、我々も全くバテることなく楽しめました。
滝の城イメージキャラクター、タキジョーくんの缶バッジが売っていたので、記念に買って帰ったよ。

おしまい。

5/20 武蔵野線東所沢駅~滝の城 武者行列 (滝の城まつり) 2018 その1
※画像表示に不具合が出たので、もう一度投稿し直しました。
東所沢の滝の城まつりの開催日を間違えて、その日は滝の城を普通に散策して凄く楽しかったけど、結局、滝の城まつりも見物しに行きました。
滝の城まつり 開催日を間違えた日 http://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-552.html
前の週と同じく、駅近くのガストでモーニングを食べながら開催を待っていたです。

11時から武者行列なので、お勘定を済ませてJR武蔵野線東所沢駅前までやって来ました。
子供甲冑隊
…まだまだたくさん隊のヒト達はいたんだけど、写真に入り込んだ見物客をチマチマとボカして行くのがツラくて…。作業の楽そうだった画像と、「どーしてもこれだけは!」って画像だけにさせて貰いました。でもみんな良かったよ。

新陰隊

清戸三番衆

鉢形城三鱗会
この隊は人数少なかったんだけど、髭武将のヒトの威厳というかオーラというか…ずっと見ていたい感じもした。
こんなに武将っぽいヒト、現代の俳優さんでもあましおらんのじゃないか?要するに三船敏郎っぽい俳優さんとでもいおうか…。


ん?北条氏照隊…?の後方から、こちらへ向かって誰かが駆けって来る!なんだ?なんだ?

ビシィッッッ!!!

黒眼帯のお兄さんだー!かっけー!
「着陣の頃にはバテているかも知れません(シャキーン!)今の内に存分にお撮り下さい(キラーン!)」
なんだか申し訳無いほどにサービスしてくれました。なんてイイお祭りなんだろう…って。初っ端からこんなに楽しいとは。ありがとう、黒眼帯のお兄さん。
この後、そのまま歩いて滝の城に着陣なので、我々は線路沿いを歩いて先回りをしたよ。
↓快晴でしょ。東所沢駅の線路沿いなんだけど、桑の実が生ってるポイントがあったんだよな。前の週の方が多かったかも(※食べなかった)。この近くには桑の実保育園もあるし、関係あるのだろうか?
線路から逸れたちょっと先に、まだ熟していなかったけど、野良ブルーベリー(多分)もあった。ぜんぜん手入れされていないモサモサした雑草群をよく見てみたら、なんとブルーベリーの木も混じっていたという感じ。

キンタ…カマキリのタマゴも発見!

つづく。

東所沢の滝の城まつりの開催日を間違えて、その日は滝の城を普通に散策して凄く楽しかったけど、結局、滝の城まつりも見物しに行きました。
滝の城まつり 開催日を間違えた日 http://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-552.html
前の週と同じく、駅近くのガストでモーニングを食べながら開催を待っていたです。

11時から武者行列なので、お勘定を済ませてJR武蔵野線東所沢駅前までやって来ました。
子供甲冑隊
…まだまだたくさん隊のヒト達はいたんだけど、写真に入り込んだ見物客をチマチマとボカして行くのがツラくて…。作業の楽そうだった画像と、「どーしてもこれだけは!」って画像だけにさせて貰いました。でもみんな良かったよ。

新陰隊

清戸三番衆

鉢形城三鱗会
この隊は人数少なかったんだけど、髭武将のヒトの威厳というかオーラというか…ずっと見ていたい感じもした。
こんなに武将っぽいヒト、現代の俳優さんでもあましおらんのじゃないか?要するに三船敏郎っぽい俳優さんとでもいおうか…。


ん?北条氏照隊…?の後方から、こちらへ向かって誰かが駆けって来る!なんだ?なんだ?

ビシィッッッ!!!

黒眼帯のお兄さんだー!かっけー!
「着陣の頃にはバテているかも知れません(シャキーン!)今の内に存分にお撮り下さい(キラーン!)」
なんだか申し訳無いほどにサービスしてくれました。なんてイイお祭りなんだろう…って。初っ端からこんなに楽しいとは。ありがとう、黒眼帯のお兄さん。
この後、そのまま歩いて滝の城に着陣なので、我々は線路沿いを歩いて先回りをしたよ。
↓快晴でしょ。東所沢駅の線路沿いなんだけど、桑の実が生ってるポイントがあったんだよな。前の週の方が多かったかも(※食べなかった)。この近くには桑の実保育園もあるし、関係あるのだろうか?
線路から逸れたちょっと先に、まだ熟していなかったけど、野良ブルーベリー(多分)もあった。ぜんぜん手入れされていないモサモサした雑草群をよく見てみたら、なんとブルーベリーの木も混じっていたという感じ。

キンタ…カマキリのタマゴも発見!

つづく。

与野夏祭り 2018 (土曜日)と、たぬきケーキ。
千葉の道の駅、発酵の里こうざきで見つけた、懐かし可愛い「たぬきケーキ」。品名はポンポコちゃん。道の駅の中にファミリーマートが入っていて、そこで氷を買ってクーラーボックスに入れて持って帰って来たです。
漢字では「神崎」、読み方は「こうざき」。駅名がひらがなの所為で、「神崎」の標識を見つけるまで「こうさぎ」と読み違いしていました…。「子兎!なんという可愛いさ!」って。
材料・卵、砂糖、米粉、チョコ、ジャム、バタークリーム。自分の幼少期に存在したバタークリームのケーキは偽バタークリーム(ショートニングとか?)をスポンジに塗り込めた物が主流で、自分は心の底から嫌いだったよ。
たぬきケーキも何度か食べことあって、やっぱり偽バタークリームのお陰で嫌いだったな。好き嫌いの少ない赤子だったのに偽バタークリームだけは別で、ひと口食べると頭の痛くなる食べ物でした。毒物認定。
ポンポコちゃんまだ食べていない。原材料にショートニングとか載っていないし、きっと今まで食べた中で一番美味しいたぬきケーキだと思う。たぬきケーキを食べるの自体、幼少期ぶりなんだけど。


・
・
・
しかし昨日は、何度も悲惨な目に遭いましたよ(詳細は後日)。
ホントは↑コッチのお話を詳しく書きたいところだけど、その前に「滝の城まつり」だ!でもその前に与野夏祭りだ!
・
・
・
どうして「滝の城まつり」を後回しにしてしまうかというと、絶妙な場所に見物客のヒト達が写っている写真ばかりなのです。そのヒト達だけをチマチマとボカす作業が苦痛なのです。でもホントに楽しかったし、なるべく早くアップしたいのに見物客共め(←酷い)。
与野夏祭りは、土曜日(1日目)の方。
与野夏祭りは町おこしの新しいお祭りだと思いがちだけど、旧・与野市の各地区で大・大昔から続けられていた(現在も続いている)祭礼が、現代の大規模で有名な与野夏祭り(※上町地区)の原型なんだと思う。
日暮れに見物したかったので、暫く…いや、けっこう長いこと北与野イオンの中をウロウロしていたよ。
イオンの中でお昼を食べた後に無重力あんまマシン(10分200円×2)で腕とふくらはぎと肩甲骨を思いきりゴリゴリして貰ってスッキリして、その後にサイゼリヤでドリンクバーを注文してスマホを弄りつつ時間を潰していたのです。公介氏は居眠りしとった。
しかし一向に気温は下がらず、空もずっとカンカン照り。調べてみたら、日没時刻18時58分だったかな。だめだこりゃ。
もう諦めて、明るい内にお祭り見物開始………イオンから出た瞬間に暑い!じゃなくて熱い!全身が溶解して行くような感覚。
そういや去年は電球ソーダの屋台が目立ったけど、今年は点滴ジュースだって。よく考えるもんだなぁ。

お神輿は、↓この他にもいっぱい出ていた。しかし、とにかく写ってしまった見物客のヒト達をボカすのがどうしても面倒臭い年頃であり、なるべく担ぎ手さんだけ写っているのを選んだ。2枚しか無かった。でも結局、お祭り関係者の顔もとりあえずボカすのが我がポリシーなんですが。
お祭りの関係者達は、概ね自ら進んで目立とうとしているハズだからわざわざ顔をボカさなくても無問題だと思う。ただ、そのヒト達にとってこちらの切り取った瞬間が万が一変(変顔)だったら可哀想じゃないか。別にこちらはちっとも変だと思っていなくても、相手がどう思うかは訊いてみないと解らないですからな。


…なかなか日が暮れなくてですね。夜祭を楽しみたかったけど疲れちゃって日暮れ前にはイオンへ戻ってしまいました。ひんやりシーツ(公介用)を買って家に帰ったよ。
↓こーいう賑やかなフンイキのところも1個ぐらいは載せないとな。ボカすの面倒臭かった…。

ヒトの殆どいない横道にも、↓こんな色っぺー豪華な提灯がぶら下がっている。

イオンから彩の国さいたま芸術劇場の手前辺り(庚申社の所)まで歩き、再びイオンまで戻って来たわけであります。
暑かったけど楽しかった。なんだかんだ言って意外と元気だったし。
自宅から近い場所のお祭りは旅情を感じないけど、パッと見てサッと帰宅出来るのがイイ。疲れがあまり残らない。
おしまい。

漢字では「神崎」、読み方は「こうざき」。駅名がひらがなの所為で、「神崎」の標識を見つけるまで「こうさぎ」と読み違いしていました…。「子兎!なんという可愛いさ!」って。
材料・卵、砂糖、米粉、チョコ、ジャム、バタークリーム。自分の幼少期に存在したバタークリームのケーキは偽バタークリーム(ショートニングとか?)をスポンジに塗り込めた物が主流で、自分は心の底から嫌いだったよ。
たぬきケーキも何度か食べことあって、やっぱり偽バタークリームのお陰で嫌いだったな。好き嫌いの少ない赤子だったのに偽バタークリームだけは別で、ひと口食べると頭の痛くなる食べ物でした。毒物認定。
ポンポコちゃんまだ食べていない。原材料にショートニングとか載っていないし、きっと今まで食べた中で一番美味しいたぬきケーキだと思う。たぬきケーキを食べるの自体、幼少期ぶりなんだけど。


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しかし昨日は、何度も悲惨な目に遭いましたよ(詳細は後日)。
ホントは↑コッチのお話を詳しく書きたいところだけど、その前に「滝の城まつり」だ!でもその前に与野夏祭りだ!
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どうして「滝の城まつり」を後回しにしてしまうかというと、絶妙な場所に見物客のヒト達が写っている写真ばかりなのです。そのヒト達だけをチマチマとボカす作業が苦痛なのです。でもホントに楽しかったし、なるべく早くアップしたいのに見物客共め(←酷い)。
与野夏祭りは、土曜日(1日目)の方。
与野夏祭りは町おこしの新しいお祭りだと思いがちだけど、旧・与野市の各地区で大・大昔から続けられていた(現在も続いている)祭礼が、現代の大規模で有名な与野夏祭り(※上町地区)の原型なんだと思う。
日暮れに見物したかったので、暫く…いや、けっこう長いこと北与野イオンの中をウロウロしていたよ。
イオンの中でお昼を食べた後に無重力あんまマシン(10分200円×2)で腕とふくらはぎと肩甲骨を思いきりゴリゴリして貰ってスッキリして、その後にサイゼリヤでドリンクバーを注文してスマホを弄りつつ時間を潰していたのです。公介氏は居眠りしとった。
しかし一向に気温は下がらず、空もずっとカンカン照り。調べてみたら、日没時刻18時58分だったかな。だめだこりゃ。
もう諦めて、明るい内にお祭り見物開始………イオンから出た瞬間に暑い!じゃなくて熱い!全身が溶解して行くような感覚。
そういや去年は電球ソーダの屋台が目立ったけど、今年は点滴ジュースだって。よく考えるもんだなぁ。

お神輿は、↓この他にもいっぱい出ていた。しかし、とにかく写ってしまった見物客のヒト達をボカすのがどうしても面倒臭い年頃であり、なるべく担ぎ手さんだけ写っているのを選んだ。2枚しか無かった。でも結局、お祭り関係者の顔もとりあえずボカすのが我がポリシーなんですが。
お祭りの関係者達は、概ね自ら進んで目立とうとしているハズだからわざわざ顔をボカさなくても無問題だと思う。ただ、そのヒト達にとってこちらの切り取った瞬間が万が一変(変顔)だったら可哀想じゃないか。別にこちらはちっとも変だと思っていなくても、相手がどう思うかは訊いてみないと解らないですからな。


…なかなか日が暮れなくてですね。夜祭を楽しみたかったけど疲れちゃって日暮れ前にはイオンへ戻ってしまいました。ひんやりシーツ(公介用)を買って家に帰ったよ。
↓こーいう賑やかなフンイキのところも1個ぐらいは載せないとな。ボカすの面倒臭かった…。

ヒトの殆どいない横道にも、↓こんな色っぺー豪華な提灯がぶら下がっている。

イオンから彩の国さいたま芸術劇場の手前辺り(庚申社の所)まで歩き、再びイオンまで戻って来たわけであります。
暑かったけど楽しかった。なんだかんだ言って意外と元気だったし。
自宅から近い場所のお祭りは旅情を感じないけど、パッと見てサッと帰宅出来るのがイイ。疲れがあまり残らない。
おしまい。

けっこうハードなスケジュールで上田真田まつりに行って来た 13 晩ご飯のカレー屋さん
「プリズナートレーニング」を読んでみて判ったんだけど、懸垂器なんて…この先長いこと全く必要無さそうじゃん!一生必要無いかも知れない。必要になるメニューまで辿り着けそうも無い。
公介氏「実はそうだったんですよwww」
プリズナートレーニングのこと http://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-574.html
買った懸垂器はベンチ付きで、付けたりはずしたり出来るものだった。でもベンチは前からウチにあるんだよな。バーベルもあるよ。なんであえて自重なの?逆にハードル高いんじゃないのか?
でも朝起きてぶら下がると気分がサッパリするし、買って良かったかも知れない。サッパリの持続力は無いが。
・
・
・
12からのつづき。
上田城を後にしてから適当に時間を潰し、上田わっしょいの時に行けなかったインドカレー屋さんへ行ってみました。
上田わっしょいの時に入ったカレー屋さんはココ http://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-419.html
ココだったんか。上田駅周辺を散策中に、大体必ず通り過ぎるお店だったよ。1994年4月に開業したらしい。
奇遇というか、タイムリーだなぁ。1994年といえば、松本サリン事件の年じゃないか。当時、インド出身シェフのヒトは怖かったと思うよ。異国の地でカレー屋さんを開店してたったの1ヶ月半後、同じ県内で歴史に残る凶悪テロ事件が勃発なんて考えてもしていなかったろう。治安だけはイイ国じゃなかったの?って驚き、困惑しきりだったに違いあるまいと妄想してしまう。
で、このお店は内装がとても綺麗だったなー。よくある居抜き店舗のインド・ネパール料理店とは一線を画する、ラグジュアリーなフンイキでした。居抜き店舗のフンイキも大好きだけど。

ぜーーーんぶ美味しかった。時間経ち過ぎて、食べたカレーの種類すっかり忘れちゃったのが悲しい(多分、マトン系とベジタブル系)。また上田に行った際は寄ろう。



…そんなんで、上田真田まつりは大変楽しかった。お祭りも楽しかったけど、前日も楽しかった。運が良過ぎたよ。
けっこう充実した小旅行だったわい。物凄く疲れちゃったけど。
帰りはカレーを食べた後にスーパーのツルヤさんへ寄っただけで、仮眠もせず埼玉に戻ったんだと思う。上りのSA、PAの写真1枚も無いし。
…さて。次は所沢の「滝の城まつり」の日記だ。もう1ヶ月半近く経ってしまった。今さらって気もしないではないけど、このお祭りも小規模ながら凄く楽しかったので、ぜひ記録しておきたい。
おしまい。

公介氏「実はそうだったんですよwww」
プリズナートレーニングのこと http://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-574.html
買った懸垂器はベンチ付きで、付けたりはずしたり出来るものだった。でもベンチは前からウチにあるんだよな。バーベルもあるよ。なんであえて自重なの?逆にハードル高いんじゃないのか?
でも朝起きてぶら下がると気分がサッパリするし、買って良かったかも知れない。サッパリの持続力は無いが。
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12からのつづき。
上田城を後にしてから適当に時間を潰し、上田わっしょいの時に行けなかったインドカレー屋さんへ行ってみました。
上田わっしょいの時に入ったカレー屋さんはココ http://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-419.html
ココだったんか。上田駅周辺を散策中に、大体必ず通り過ぎるお店だったよ。1994年4月に開業したらしい。
奇遇というか、タイムリーだなぁ。1994年といえば、松本サリン事件の年じゃないか。当時、インド出身シェフのヒトは怖かったと思うよ。異国の地でカレー屋さんを開店してたったの1ヶ月半後、同じ県内で歴史に残る凶悪テロ事件が勃発なんて考えてもしていなかったろう。治安だけはイイ国じゃなかったの?って驚き、困惑しきりだったに違いあるまいと妄想してしまう。
で、このお店は内装がとても綺麗だったなー。よくある居抜き店舗のインド・ネパール料理店とは一線を画する、ラグジュアリーなフンイキでした。居抜き店舗のフンイキも大好きだけど。

ぜーーーんぶ美味しかった。時間経ち過ぎて、食べたカレーの種類すっかり忘れちゃったのが悲しい(多分、マトン系とベジタブル系)。また上田に行った際は寄ろう。



…そんなんで、上田真田まつりは大変楽しかった。お祭りも楽しかったけど、前日も楽しかった。運が良過ぎたよ。
けっこう充実した小旅行だったわい。物凄く疲れちゃったけど。
帰りはカレーを食べた後にスーパーのツルヤさんへ寄っただけで、仮眠もせず埼玉に戻ったんだと思う。上りのSA、PAの写真1枚も無いし。
…さて。次は所沢の「滝の城まつり」の日記だ。もう1ヶ月半近く経ってしまった。今さらって気もしないではないけど、このお祭りも小規模ながら凄く楽しかったので、ぜひ記録しておきたい。
おしまい。

けっこうハードなスケジュールで上田真田まつりに行って来た 12 全国鉄砲演武大会
オウムの麻原&弟子幹部達の死刑執行6月説ってあったでしょ。結局しなかったので「?」と思っていたんだけど、こんな風に突然まとめて執行されるとまるで家畜だ。このヒト達のやった事と言ったら畜生以下だけど。
子供の頃に「ムー」と「トワイライトゾーン」愛読者だった為、どちらの雑誌だったか忘れちゃったけど麻原が空中浮遊をしている有名な写真が掲載されていた時に、妹と2人で大笑いしたことを覚えている。
時々「スーパージョッキー」でたけし軍団達をイジメていたジャズ空手の師範とか、骨法の堀辺師範とか、初めはそーいうカテゴリのヒトだと思っていたんだよ。それがまさか、日本でも最凶のテロリストになるとは世の中解らんものだなぁ…って。
今でも覚えているのはマスコミがサティアンへ取材に出かけ、出家信者の子供達に「ご飯はちゃんと食べているの?」って訊いた。そしたら「食べてるよ。唐揚げと麺…」って、何となく得意そうに応えていたこと。一体何麺だったのか。ホントに食べさせて貰っていたのか…。未だ気になって仕方が無い。
あの頃はネットも無かったし、現在よりも大きな事件などの情報を頭の中に詰め込み易かったな。幹部のホーリーネームまで覚えちゃったりして。
…今はもう無理だ。まず、凶悪事件のニュースをなるべく目にしたくない。特に洗脳系(北九州、尼崎など)はホント無理。Wikiも読む気になれない。怖いというより、胸糞悪さがダイレクトにストレスとなる。
オウムの話だけで何時間でも語れそうだけど、キリが無いのでお終い。
・
・
・
話は変わって。
埼玉の歴史・史跡のことを語っている個人ブログや5chのスレッドなどで、時々名前の出て来る郷土史の本をやっと手に入れられた。10年以上待ったと思う。しかも1000円。奇跡だ。
自分がまだ赤子時代に出版された増刷もしていなさそうなマイナー本で、図書館で(置いてあれば)借りて読むしか無いのかなーと思っていたけど、欲しい本は手元に置いときたい派なんですよワタクシは。気長に待ち続けた甲斐があったな。
…いや、待ち続けていたというより、年に何度かふと思い出してはネットの古本屋さんで検索してみて「やっぱ無ぇーか」って。見つけた時は死ぬほど嬉しかった。
なにしろ大昔の本だし、在野っぽい著者の独断と偏見もかなりありそうな内容で学術的にどうなのよって。でも、どういうわけかネットの話題の中では昔から頻繁に目にする本なんだよな。だから余計に読んでみたかったのであります。
・
・
・
かなり間が空いてしまったけど、上田真田まつり11からのつづき。
ファミレスも満席で、フラフラのまま上田城に着いてしまいました。
公介「博物館の中に冷たい物飲めそうな所あるよ!」ってことで、ミュージアムショップで休憩。
売っている商品はそんなに多くなく、椅子とテーブルが置いてある。簡易的な喫茶店という感じ。冷房が効いてたので生き返るようだった。
中では上田合戦などのムービーを延々流していて、そこの前の席はベンチになっていたと思う。
公介氏が売店で「発芽コーヒー」という豆を使ったアイスコーシーと、イチゴのアイスクリームを買って来てくれた。
もう暑くて喉乾いて辛抱タマランチだったもので、コーシーほぼ一気飲み、アイスもあっつー間に食べ終わってしまった。大分涼しくなったけど、喉の渇きはまだまだ癒せず…


自分「すみません、ミネラルウォーターも買ってはくれませんか」
公介「ほい来た」
「もうお腹を壊して彡()()「あああああああ…」になってもかまわんって開き直りながら、冷たいお水をガブガブ飲んでやっと落ち着きました。水分は殆ど汗になったような気がする。
快適過ぎてミュージアムショップから一歩も動きたくなくなっちゃったけど、一番見たかった全国鉄砲演武大会が始まってしまう!

みんな大好き真田神社。

西廓の所から芝生広場へ続く坂道を降りて、いよいよ全国鉄砲演武大会。バクバクであります。

ところが。もう既にかなりの人だかりが出来ていて、自分の背丈ではロクに演武を見ることが出来なかったのだよ…。身長162~3cmでも背伸びしてギリギリ見えるか見えないか。
自分より20cmも高い公介氏は余裕だったみたいだけど、自分はずーーーっと爪先立ち&腕を上げっ放しで動画を撮っていた。途中で腕がダルくなって力尽きるので、動画ブツ切りの繰り返し。再生してみたらプルプル小刻みに画面が震えてんのw
動画から静止画を抜き出すのも面倒なので、とりあえず↓1枚だけ。何の演武だったかなー。
参加した団体は、関ヶ原鉄砲隊、五箇山塩硝鉄砲隊、大阪城真田鉄砲隊、紀州九度山真田鉄砲隊、信州真田鉄砲隊の皆さん。
関ヶ原の時の、金吾がなかなか東軍に靡かず家康がブチギレて金吾の陣に大砲を撃ったってシーンと、やはり関ヶ原の西軍・島津が東軍の真正面を突き抜けて脱出する時に、主君だけは無事に本国へ帰らせるよう順々に東軍へ鉄砲を撃ち放って行く有名な「すてがまり」の演武とか…だったっけ?何しろ説明係のヒトの声が小さくてあまり聞こえて来ないし、殆どうろ覚えだけど↑こんなのを見せてくれたんだと思う。
…なんか一番楽しみにしていた鉄砲演武をロクに見ることが出来なくて少し悲しかったけど、それでも十二分に楽しませて貰いました。面白かった!!!

…。さーて帰ろう。その前に上田市内で腹ごしらえして埼玉に戻りたいよなー。お腹ペコペコ。

ついでに寄ってみた、上田城跡公園の真ん前にある上田観光会館。平日とは打って変わり、売店は凄まじく混んでいた。
2階では、↓こんな展示物も撮影殆どOKでした。



つづく…?

子供の頃に「ムー」と「トワイライトゾーン」愛読者だった為、どちらの雑誌だったか忘れちゃったけど麻原が空中浮遊をしている有名な写真が掲載されていた時に、妹と2人で大笑いしたことを覚えている。
時々「スーパージョッキー」でたけし軍団達をイジメていたジャズ空手の師範とか、骨法の堀辺師範とか、初めはそーいうカテゴリのヒトだと思っていたんだよ。それがまさか、日本でも最凶のテロリストになるとは世の中解らんものだなぁ…って。
今でも覚えているのはマスコミがサティアンへ取材に出かけ、出家信者の子供達に「ご飯はちゃんと食べているの?」って訊いた。そしたら「食べてるよ。唐揚げと麺…」って、何となく得意そうに応えていたこと。一体何麺だったのか。ホントに食べさせて貰っていたのか…。未だ気になって仕方が無い。
あの頃はネットも無かったし、現在よりも大きな事件などの情報を頭の中に詰め込み易かったな。幹部のホーリーネームまで覚えちゃったりして。
…今はもう無理だ。まず、凶悪事件のニュースをなるべく目にしたくない。特に洗脳系(北九州、尼崎など)はホント無理。Wikiも読む気になれない。怖いというより、胸糞悪さがダイレクトにストレスとなる。
オウムの話だけで何時間でも語れそうだけど、キリが無いのでお終い。
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話は変わって。
埼玉の歴史・史跡のことを語っている個人ブログや5chのスレッドなどで、時々名前の出て来る郷土史の本をやっと手に入れられた。10年以上待ったと思う。しかも1000円。奇跡だ。
自分がまだ赤子時代に出版された増刷もしていなさそうなマイナー本で、図書館で(置いてあれば)借りて読むしか無いのかなーと思っていたけど、欲しい本は手元に置いときたい派なんですよワタクシは。気長に待ち続けた甲斐があったな。
…いや、待ち続けていたというより、年に何度かふと思い出してはネットの古本屋さんで検索してみて「やっぱ無ぇーか」って。見つけた時は死ぬほど嬉しかった。
なにしろ大昔の本だし、在野っぽい著者の独断と偏見もかなりありそうな内容で学術的にどうなのよって。でも、どういうわけかネットの話題の中では昔から頻繁に目にする本なんだよな。だから余計に読んでみたかったのであります。
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かなり間が空いてしまったけど、上田真田まつり11からのつづき。
ファミレスも満席で、フラフラのまま上田城に着いてしまいました。
公介「博物館の中に冷たい物飲めそうな所あるよ!」ってことで、ミュージアムショップで休憩。
売っている商品はそんなに多くなく、椅子とテーブルが置いてある。簡易的な喫茶店という感じ。冷房が効いてたので生き返るようだった。
中では上田合戦などのムービーを延々流していて、そこの前の席はベンチになっていたと思う。
公介氏が売店で「発芽コーヒー」という豆を使ったアイスコーシーと、イチゴのアイスクリームを買って来てくれた。
もう暑くて喉乾いて辛抱タマランチだったもので、コーシーほぼ一気飲み、アイスもあっつー間に食べ終わってしまった。大分涼しくなったけど、喉の渇きはまだまだ癒せず…


自分「すみません、ミネラルウォーターも買ってはくれませんか」
公介「ほい来た」
「もうお腹を壊して彡()()「あああああああ…」になってもかまわんって開き直りながら、冷たいお水をガブガブ飲んでやっと落ち着きました。水分は殆ど汗になったような気がする。
快適過ぎてミュージアムショップから一歩も動きたくなくなっちゃったけど、一番見たかった全国鉄砲演武大会が始まってしまう!

みんな大好き真田神社。

西廓の所から芝生広場へ続く坂道を降りて、いよいよ全国鉄砲演武大会。バクバクであります。

ところが。もう既にかなりの人だかりが出来ていて、自分の背丈ではロクに演武を見ることが出来なかったのだよ…。身長162~3cmでも背伸びしてギリギリ見えるか見えないか。
自分より20cmも高い公介氏は余裕だったみたいだけど、自分はずーーーっと爪先立ち&腕を上げっ放しで動画を撮っていた。途中で腕がダルくなって力尽きるので、動画ブツ切りの繰り返し。再生してみたらプルプル小刻みに画面が震えてんのw
動画から静止画を抜き出すのも面倒なので、とりあえず↓1枚だけ。何の演武だったかなー。
参加した団体は、関ヶ原鉄砲隊、五箇山塩硝鉄砲隊、大阪城真田鉄砲隊、紀州九度山真田鉄砲隊、信州真田鉄砲隊の皆さん。
関ヶ原の時の、金吾がなかなか東軍に靡かず家康がブチギレて金吾の陣に大砲を撃ったってシーンと、やはり関ヶ原の西軍・島津が東軍の真正面を突き抜けて脱出する時に、主君だけは無事に本国へ帰らせるよう順々に東軍へ鉄砲を撃ち放って行く有名な「すてがまり」の演武とか…だったっけ?何しろ説明係のヒトの声が小さくてあまり聞こえて来ないし、殆どうろ覚えだけど↑こんなのを見せてくれたんだと思う。
…なんか一番楽しみにしていた鉄砲演武をロクに見ることが出来なくて少し悲しかったけど、それでも十二分に楽しませて貰いました。面白かった!!!

…。さーて帰ろう。その前に上田市内で腹ごしらえして埼玉に戻りたいよなー。お腹ペコペコ。

ついでに寄ってみた、上田城跡公園の真ん前にある上田観光会館。平日とは打って変わり、売店は凄まじく混んでいた。
2階では、↓こんな展示物も撮影殆どOKでした。



つづく…?

テーマ : 歴史・文化にふれる旅
ジャンル : 旅行
けっこうハードなスケジュールで上田真田まつりに行って来た 11 真田幸丸くん&旧・北国街道
公は昨日から出張で、帰宅も夜中になるんだろうな。あ゛ー退屈だ。
こんな時、お犬や猫さんであれば話相手にもなってくれそうだけど、亀さんはさすがに無理っぽい?それでも古老亀は、こちらの話していることをそれなりに理解してくれているような目をする。そういや古老亀もそろそろ18歳になる。
・
・
・
その10からのつづき。
草刈正雄他、有名人パレードが通り過ぎた後、トコトコ歩いて来た真田幸丸くん&ぱぱまるくん。
ぱぱまるくんを初めて見た時は「なんという露骨な便乗www」と、可笑しくて堪らず大笑いしたっけな。全体的に茶色な所も、草刈正雄の昌幸っぽい。
お土産屋さんでぱぱまるくんグッズも探してみたんだけど、今のところ幸丸くんしか売っていないようです。


あまりにも暑かったので、上田城跡公園を目指しながらファミレスにでも入って冷たい物を飲もうと思ったんだけど、ガストもデニーズも席が空くのを待っているヒト達がいて諦め。
その途中で旧・北国街道(柳町)を見つけた。昔っぽいフンイキが良くて「休めるお店無いかなー」と一つ一つ覗いてみるも、何処も暗くて店内がよく見えないのであります。
まず「暗い」ってだけで凄まじく入り難いではないか。我々にはハードルが高過ぎたので即・諦め。
旧北国街道 柳町
柳町のご案内
真田昌幸(幸村の父)は上田城を築き、約15年後の慶長3年(1598)、上田城下に北国街道が通ります。この北国街道は参勤交代の大名(加賀百万石など)や佐渡金山の金の通路として、また庶民の善光寺参りの参道として大変賑わいました。柳町が面する通りが北国街道です。
柳町の見どころ
①軒高が揃った美しさ
北国街道沿いの町並みを色濃く残す柳町。江戸末から明治にかけての2階建て平入りの町屋が並びます。軒や屋根の高低差が少なく、整然とした美しさを感じさせます。
②親付き切り子格子
2階に取り付けられた格子を注意深く見て下さい。長いもの(親)と短いもの(子)があり、それぞれの本数も家によって異なっています。親付き切り子格子といい、これほど集中して見ることができるのは上田の中心地では柳町だけです。
③うだつが上がる!
所々に袖うだつが見られ、町並み景観に軽快なリズム感を与えています。うだつには鶴や亀がいたり、文字が描かれているものもあります。
④川辺のなまこ壁
北に約200メートル行くと三叉路があり、左に路を採るとも緑橋に出ます。橋から左を見ると蛭沢川(ひるさわがわ)に面して土蔵が並び、表の町並みとは異なった趣が展開します。右を見ると蛭沢川が矢出沢川に合流し、時折鴨が数羽泳いでいるのに出会います。また、上田では数少ないなまこ壁の土蔵も見ることができます。

暑くてヘロヘロでそれどころじゃなかったので、「うだつ」の鶴亀や文字は気がつかなかったなぁ。涼しい時期に再訪してみたい。
銘酒亀齢の看板には、黄色い亀さんがいたです。真田幸丸くんカップのメーカーは亀齢だよ。
真田幸丸くんカップ他2種(2015年の長野旅行で購入) http://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-13.html



…上田城跡公園に着いてしまいました。園内に涼める場所なんてあったろうか。博物館に入るしか無いかな。
しつこいけどホントにヘロヘロのフラフラだった所為か、お城の遺構の案内看板は撮っているのに肝心の遺構をことごとく撮り忘れていた。百間堀の樋って見たことあったっけ?訪れるたびに隅から隅まで見て回ることは無いし(※疲れて死ぬ)、多分見たこと無いと思う。
…でもまぁ今後も頻繁に訪れるお城だと思うので、後悔しなくても良かろう。
百間堀の樋
現在の陸上競技場や児童公園地は、江戸時代には大きな堀でした。この付近はもともと矢出沢川が流れていましたが、大工事をして城の北方に流れを変え、旧河床を広げて堀を造ったと考えられています。その広大な規模から百間堀と呼ばれました。二の丸北虎口(北の出入口)の土橋には東側から西側の堀へ水を通すために、木で作った樋(導水管)を埋めてありました。ただし、地中に埋めた木製の樋は、腐ったりしてたびたび改修が必要だったと考えられます。
陸上競技場の門の付近に残る石垣には、切石を組み合わせた樋(約90cm四方)の出口を見ることができます。これは元禄15年(1702)に木樋から石の樋に変えた時のものと考えられています。当時幕府に提出した修復願いには、「木樋が腐って壊れてしまったので、石の樋に変えたい」と書かれています。

二の丸北虎口
二の丸にあった3箇所の虎口のうち、東・北虎口のみ石垣が残っています。主な石材は本丸の石垣と同じ凝灰岩です。現在北虎口にある石垣2基は平成2年及び5年に復元整備したものですが、北側の石垣の西端は築造当初のものです。
北虎口土橋の両側面には石垣が積まれています。東側は堀が埋め立てられて児童遊園地になっており現在は見ることができませんが、西側は陸上競技場につながる通路に沿って良好に保存されています。
平成3年度に実施した発掘調査では、櫓門の礎石が確認されました。このことから、上田城主仙石忠政は二の丸北虎口にも櫓門を建造する計画だったことが分かりますが、病死により建てられることはありませんでした。
長野県 地域発 元気づくり支援金


春真っ盛りで、花壇の花がとても綺麗でした。

つづく。

こんな時、お犬や猫さんであれば話相手にもなってくれそうだけど、亀さんはさすがに無理っぽい?それでも古老亀は、こちらの話していることをそれなりに理解してくれているような目をする。そういや古老亀もそろそろ18歳になる。
・
・
・
その10からのつづき。
草刈正雄他、有名人パレードが通り過ぎた後、トコトコ歩いて来た真田幸丸くん&ぱぱまるくん。
ぱぱまるくんを初めて見た時は「なんという露骨な便乗www」と、可笑しくて堪らず大笑いしたっけな。全体的に茶色な所も、草刈正雄の昌幸っぽい。
お土産屋さんでぱぱまるくんグッズも探してみたんだけど、今のところ幸丸くんしか売っていないようです。


あまりにも暑かったので、上田城跡公園を目指しながらファミレスにでも入って冷たい物を飲もうと思ったんだけど、ガストもデニーズも席が空くのを待っているヒト達がいて諦め。
その途中で旧・北国街道(柳町)を見つけた。昔っぽいフンイキが良くて「休めるお店無いかなー」と一つ一つ覗いてみるも、何処も暗くて店内がよく見えないのであります。
まず「暗い」ってだけで凄まじく入り難いではないか。我々にはハードルが高過ぎたので即・諦め。
旧北国街道 柳町
柳町のご案内
真田昌幸(幸村の父)は上田城を築き、約15年後の慶長3年(1598)、上田城下に北国街道が通ります。この北国街道は参勤交代の大名(加賀百万石など)や佐渡金山の金の通路として、また庶民の善光寺参りの参道として大変賑わいました。柳町が面する通りが北国街道です。
柳町の見どころ
①軒高が揃った美しさ
北国街道沿いの町並みを色濃く残す柳町。江戸末から明治にかけての2階建て平入りの町屋が並びます。軒や屋根の高低差が少なく、整然とした美しさを感じさせます。
②親付き切り子格子
2階に取り付けられた格子を注意深く見て下さい。長いもの(親)と短いもの(子)があり、それぞれの本数も家によって異なっています。親付き切り子格子といい、これほど集中して見ることができるのは上田の中心地では柳町だけです。
③うだつが上がる!
所々に袖うだつが見られ、町並み景観に軽快なリズム感を与えています。うだつには鶴や亀がいたり、文字が描かれているものもあります。
④川辺のなまこ壁
北に約200メートル行くと三叉路があり、左に路を採るとも緑橋に出ます。橋から左を見ると蛭沢川(ひるさわがわ)に面して土蔵が並び、表の町並みとは異なった趣が展開します。右を見ると蛭沢川が矢出沢川に合流し、時折鴨が数羽泳いでいるのに出会います。また、上田では数少ないなまこ壁の土蔵も見ることができます。

暑くてヘロヘロでそれどころじゃなかったので、「うだつ」の鶴亀や文字は気がつかなかったなぁ。涼しい時期に再訪してみたい。
銘酒亀齢の看板には、黄色い亀さんがいたです。真田幸丸くんカップのメーカーは亀齢だよ。
真田幸丸くんカップ他2種(2015年の長野旅行で購入) http://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-13.html



…上田城跡公園に着いてしまいました。園内に涼める場所なんてあったろうか。博物館に入るしか無いかな。
しつこいけどホントにヘロヘロのフラフラだった所為か、お城の遺構の案内看板は撮っているのに肝心の遺構をことごとく撮り忘れていた。百間堀の樋って見たことあったっけ?訪れるたびに隅から隅まで見て回ることは無いし(※疲れて死ぬ)、多分見たこと無いと思う。
…でもまぁ今後も頻繁に訪れるお城だと思うので、後悔しなくても良かろう。
百間堀の樋
現在の陸上競技場や児童公園地は、江戸時代には大きな堀でした。この付近はもともと矢出沢川が流れていましたが、大工事をして城の北方に流れを変え、旧河床を広げて堀を造ったと考えられています。その広大な規模から百間堀と呼ばれました。二の丸北虎口(北の出入口)の土橋には東側から西側の堀へ水を通すために、木で作った樋(導水管)を埋めてありました。ただし、地中に埋めた木製の樋は、腐ったりしてたびたび改修が必要だったと考えられます。
陸上競技場の門の付近に残る石垣には、切石を組み合わせた樋(約90cm四方)の出口を見ることができます。これは元禄15年(1702)に木樋から石の樋に変えた時のものと考えられています。当時幕府に提出した修復願いには、「木樋が腐って壊れてしまったので、石の樋に変えたい」と書かれています。

二の丸北虎口
二の丸にあった3箇所の虎口のうち、東・北虎口のみ石垣が残っています。主な石材は本丸の石垣と同じ凝灰岩です。現在北虎口にある石垣2基は平成2年及び5年に復元整備したものですが、北側の石垣の西端は築造当初のものです。
北虎口土橋の両側面には石垣が積まれています。東側は堀が埋め立てられて児童遊園地になっており現在は見ることができませんが、西側は陸上競技場につながる通路に沿って良好に保存されています。
平成3年度に実施した発掘調査では、櫓門の礎石が確認されました。このことから、上田城主仙石忠政は二の丸北虎口にも櫓門を建造する計画だったことが分かりますが、病死により建てられることはありませんでした。
長野県 地域発 元気づくり支援金


春真っ盛りで、花壇の花がとても綺麗でした。

つづく。

けっこうハードなスケジュールで上田真田まつりに行って来た 10 草刈正雄がイケメンだった。
斜めがけのカバンって服の生地が傷むでしょ。だから最近は手で持つタイプのをメインに持ち歩いている。しかし思っていたよりも収納力が無かったんだよな。気に入っているけど。
平均的な大きさのタオルハンカチを入れるとカバンがパツンパツンになってしまうので、小ぶりで生地が薄めのタオルorガーゼハンカチ売っていないもんかなーと探していたけど、けっこう身近にあった。セリアにあった。
所詮は100円なので、縫製は余計な糸がピンピン飛び出まくっている。そのピンピンをハサミでチョビチョビ切ったら、見た目もまぁまぁ良くなった。
何より肌触りが良くてイイ。20×20、パイル&ガーゼなのに薄い。場所を取らずカバンも膨らまないし、こういのを探していたんだよ。

ただ、何となくワンパターンな↓この手のタグがどーーーうしても気に入らず、カッターで取ってしまったです。初めから縫いつけられていなければイイのに。
そして…

じゃーん!

2個セット350円(通販で購入)の苺ミニアップリケをアイロンで接着し、オリジナルっぽいハンカチに変身させた。
アップリケも100円ショップで探して買えば安く上がったろうけど、100円商品同士の組み合わせでは心が満足してくれないような気がしたので、あえて100円ショップ以外のアップリケを使った。
それでも1個あたり175円だし、ハマナカ等のメーカー品と比べたら安いよ。もう1個残っているのは何に使おうかな。
…それにしても肌触り気持ちイイ。ハンカチもバスタオルもタオルケットも薄手の方が好きだ。

その9からのつづき。
・
・
・
まだ見たいプログラムまで時間があったので、人混みを離れて裏の方へ避難。妙光寺というお寺の弁天堂に、かわいい亀さんの石像があったよ。
自分の身体の不調な所を撫でると善くなるというので、丹念に「頭」を撫でました。効けばイイんだが。


亀の五重塔。どっかで見たことあるなーと暫く思い出そうと頑張ってみたんだけど、帰宅してから思い出したよ。伊豆アンディランド「現・iZoo(イズー)」の出入口辺りに同じような石像(※もっと大きい)があったよね。今もあるのかな。
弁財天縁起
当山に安置される弁財天は、日本三大弁財天(広島県厳島大願寺、鎌倉の江島神社、琵琶湖竹生島宝厳寺)のひとつ厳島弁財天の分身です。一六五八年広島城浅野家より上田城仙石忠俊侯にお輿入れになった亀姫様が守り本尊として捧持してきたものです。
二〇〇八年奉安三百五〇年大祭、二〇〇九年亀姫様尊像製作、二〇一三年亀の五重塔製作、二〇一四年報恩の白亀様製作。弁財天はインドの水の女神サラスバティーで、音楽・芸能・智恵・勝利・福徳の利益があります。どうぞご参拝下さい。
二〇一四年十一月二十三日 妙光寺弁天堂。


また中央商店街通りに戻って来たよ。知らんかったんだけど、東京ディズニーリゾートⓇ35周年スペシャルパレードというのもやっていたみたいだな。(SW以外)ネズミ関連は大嫌いだから、知らぬ間に回避出来て本当に幸運だった。
↓これは出陣の儀…だったっけ?女の子の武者がお立ち台に登って、綺麗な音が響く金属の棒でずっと拍子を取っていました。
そんで時々勝ち鬨の声をあげるんだけど、「終わったのかなー」と思ったらまた同じことが何度も繰り返されて、さすがにちょっと飽きたwというより、暑くて暑くて…。
そういやお立ち台女の子のドスの利いた掛け声が実にサマになっていて、これなら最強の女子プロレスラーも目指せるんじゃなかろうか。声だけで対戦相手を圧倒出来ると思う。


赤備。カッコ良かったな。でも途中でブッ倒れるヒト達が出るんじゃないかと心配してしまうほど暑かったんだよホントに。ウソじゃないんだって。
観光客のヒト達は涼しい恰好をしているからまだマシ。でも甲冑姿の皆さんは灼熱地獄みたいなもんじゃないか!でもカッコ良かった。自分も一生に一度でイイから赤備え着てみたい。お土産屋さんで売っている段ボール甲冑じゃ嫌なんです。

そしてメインエベント、「真田丸」で真田幸村のお父ちゃん昌幸役を演った草刈正雄が来たぞー!それまで大人しかったおババ達が黄色い声をあげ始めたぞーw
草刈正雄って、かなり大人になるまで若い頃の大根っぽいイメージしか記憶に無くて、ある日テレビで見かけた時に宝田明っぽいお洒落な紳士キャラに変身していたもんだからビックリしたんだよな。ワリとイイじゃないかーと思って。
元々俳優さんや女優さんや有名人の容姿には興味が無く、子供の頃もジャニーズなんかどーでも良かったし…だから草刈正雄をナマで見ても特に何とも思わないんだろうなーと冷めていたんだけど、ただ陽射しを眩しそうにしかめているだけの表情でもイケメンはイケメンのままなんですよ…。なんで?どうして?
しかも66歳だよ?大分老けて見える装いだったハズなのに、全くそうは見えんかった。
こーいうのを眼福って言うんだなーって、初めて実感したかも知れない。

※肖像権とか大丈夫なんかな(ちと不安)。
草刈正雄は馬上だったから何とか撮れたけど、他の俳優さん女優さんは暫く気がつかず撮りそこなった。
真田大助役の俳優さんは徒だったので、見物客のヒト達が邪魔になって上手く撮れなかった。残念。
つづく。

平均的な大きさのタオルハンカチを入れるとカバンがパツンパツンになってしまうので、小ぶりで生地が薄めのタオルorガーゼハンカチ売っていないもんかなーと探していたけど、けっこう身近にあった。セリアにあった。
所詮は100円なので、縫製は余計な糸がピンピン飛び出まくっている。そのピンピンをハサミでチョビチョビ切ったら、見た目もまぁまぁ良くなった。
何より肌触りが良くてイイ。20×20、パイル&ガーゼなのに薄い。場所を取らずカバンも膨らまないし、こういのを探していたんだよ。

ただ、何となくワンパターンな↓この手のタグがどーーーうしても気に入らず、カッターで取ってしまったです。初めから縫いつけられていなければイイのに。
そして…

じゃーん!

2個セット350円(通販で購入)の苺ミニアップリケをアイロンで接着し、オリジナルっぽいハンカチに変身させた。
アップリケも100円ショップで探して買えば安く上がったろうけど、100円商品同士の組み合わせでは心が満足してくれないような気がしたので、あえて100円ショップ以外のアップリケを使った。
それでも1個あたり175円だし、ハマナカ等のメーカー品と比べたら安いよ。もう1個残っているのは何に使おうかな。
…それにしても肌触り気持ちイイ。ハンカチもバスタオルもタオルケットも薄手の方が好きだ。

その9からのつづき。
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まだ見たいプログラムまで時間があったので、人混みを離れて裏の方へ避難。妙光寺というお寺の弁天堂に、かわいい亀さんの石像があったよ。
自分の身体の不調な所を撫でると善くなるというので、丹念に「頭」を撫でました。効けばイイんだが。


亀の五重塔。どっかで見たことあるなーと暫く思い出そうと頑張ってみたんだけど、帰宅してから思い出したよ。伊豆アンディランド「現・iZoo(イズー)」の出入口辺りに同じような石像(※もっと大きい)があったよね。今もあるのかな。
弁財天縁起
当山に安置される弁財天は、日本三大弁財天(広島県厳島大願寺、鎌倉の江島神社、琵琶湖竹生島宝厳寺)のひとつ厳島弁財天の分身です。一六五八年広島城浅野家より上田城仙石忠俊侯にお輿入れになった亀姫様が守り本尊として捧持してきたものです。
二〇〇八年奉安三百五〇年大祭、二〇〇九年亀姫様尊像製作、二〇一三年亀の五重塔製作、二〇一四年報恩の白亀様製作。弁財天はインドの水の女神サラスバティーで、音楽・芸能・智恵・勝利・福徳の利益があります。どうぞご参拝下さい。
二〇一四年十一月二十三日 妙光寺弁天堂。


また中央商店街通りに戻って来たよ。知らんかったんだけど、東京ディズニーリゾートⓇ35周年スペシャルパレードというのもやっていたみたいだな。(SW以外)ネズミ関連は大嫌いだから、知らぬ間に回避出来て本当に幸運だった。
↓これは出陣の儀…だったっけ?女の子の武者がお立ち台に登って、綺麗な音が響く金属の棒でずっと拍子を取っていました。
そんで時々勝ち鬨の声をあげるんだけど、「終わったのかなー」と思ったらまた同じことが何度も繰り返されて、さすがにちょっと飽きたwというより、暑くて暑くて…。
そういやお立ち台女の子のドスの利いた掛け声が実にサマになっていて、これなら最強の女子プロレスラーも目指せるんじゃなかろうか。声だけで対戦相手を圧倒出来ると思う。


赤備。カッコ良かったな。でも途中でブッ倒れるヒト達が出るんじゃないかと心配してしまうほど暑かったんだよホントに。ウソじゃないんだって。
観光客のヒト達は涼しい恰好をしているからまだマシ。でも甲冑姿の皆さんは灼熱地獄みたいなもんじゃないか!でもカッコ良かった。自分も一生に一度でイイから赤備え着てみたい。お土産屋さんで売っている段ボール甲冑じゃ嫌なんです。

そしてメインエベント、「真田丸」で真田幸村のお父ちゃん昌幸役を演った草刈正雄が来たぞー!それまで大人しかったおババ達が黄色い声をあげ始めたぞーw
草刈正雄って、かなり大人になるまで若い頃の大根っぽいイメージしか記憶に無くて、ある日テレビで見かけた時に宝田明っぽいお洒落な紳士キャラに変身していたもんだからビックリしたんだよな。ワリとイイじゃないかーと思って。
元々俳優さんや女優さんや有名人の容姿には興味が無く、子供の頃もジャニーズなんかどーでも良かったし…だから草刈正雄をナマで見ても特に何とも思わないんだろうなーと冷めていたんだけど、ただ陽射しを眩しそうにしかめているだけの表情でもイケメンはイケメンのままなんですよ…。なんで?どうして?
しかも66歳だよ?大分老けて見える装いだったハズなのに、全くそうは見えんかった。
こーいうのを眼福って言うんだなーって、初めて実感したかも知れない。

※肖像権とか大丈夫なんかな(ちと不安)。
草刈正雄は馬上だったから何とか撮れたけど、他の俳優さん女優さんは暫く気がつかず撮りそこなった。
真田大助役の俳優さんは徒だったので、見物客のヒト達が邪魔になって上手く撮れなかった。残念。
つづく。

テーマ : ¥100均で買いました(^^)v
ジャンル : ライフ
けっこうハードなスケジュールで上田真田まつりに行って来た 9 記憶が曖昧な宿。
昨日は用事があったのに、自分だけ起きられず結局用事には行けなかった。すまなんだ。
よそのヒトとの約束事をドタキャンしたとかではないのが救い。しかし自分は公介氏に対してドタキャンしたことになる。本当にすまなんだ。
「すまなんだ」と言えば、本屋で「あしたのジョー」ならぬ「あしたのジロー」って漫画を見つけたな(買ってない)。あと文庫本コーナーで「うずら大名」ってタイトルの小説を見つけた。
「うずら」に反応した、小っこ可愛い生き物好きの公介氏が興味津々で買っていたです。
…しかしホントにうずら(鳥)が出て来るとはなぁ。メインキャスト(3人)の内の1人で、しかもうずらのクセに強い。コイツなら放射能にだって勝てるやも知れない。
そのうずらの活躍ぶりが、公介氏が読む前に想像していたほぼその通りで大笑いした次第です。
・
・
・
その8からのつづき。
晩ご飯はビッグボーイで食べました。
何も上田でビッグボーイに入らなくても…と思われるかも知れないけど、上田市内の飲食店と言ったら故・池波正太郎おススメのお店かB級グルメのあんかけ焼きそばか普通のお蕎麦屋さんぐらいしか無くないか?あとは川魚?
故・池波正太郎おススメ店も概ね食べに行った(ハズ)なので、もはや上田にグルメは求めていない。
ビッグボーイ美味しかった。中途半端な時間帯で空いていたのもまた良かったな。


ゴールデンウィーク直前だったのに、たまたまギリギリで確保出来た千曲市内のホテル。部屋は普通のビジネスホテルなんだけど温泉の大浴場があり、晩ご飯も食べられるし朝食バイキングもある便利な所だったよ。
所在地以外の情報を殆ど入れていなかった所為で随分と損したような気が…。
とにかく眠くて眠くて、シャワーを浴びてバタンQ。
最近の若い子達はバタンキューなんて知らないだろうと思い何となく検索してみたら、「妖怪ウォッチ」に登場する妖怪の名前になっているんか。だったらチビッ子達も知っているんだな。
↓このネコさんは、ホテルのエレベーターの戸が開いたら目の前にいたよ。

早めにチェックアウトをして上田にやって来ました。9時開店と同時にアリオに入って、フードコートでモスバーガーを食べたんだっけ?それが朝ご飯。
真田まつりは、興味のある出し物以外スルーと決めていたです。武者行列は中央商店街通りで開催、鉄砲実演は上田城址公園で開催。その間徒歩1km程度だけど、この日はホントに暑かったのもあって無駄に歩き回って疲れたくなかったんだよな。↓別の理由で早々に疲れきってしまったけど。
↓この辺の住所は上田市天神…だったと思う。アリオと上田駅を繋ぐ狭い道。飲食店がいっぱい並んでいる。

中央商店街通りに到着。何処のお祭りでも大体必ずプログラムに入っている、婦人会?連の踊りの真っ最中。
顔は一応ボカしたけど、偶然ひとり残らず「こっちみんな」状態だったな。

アウディの六文銭仕様車。車は興味無いので、アウディ社のなんて名前の車かも分からない。4個の輪っかエンブレムがアウディの車…ってことも普段は忘れているかうろ覚えなので、この日記を書く為にわざわざ調べたほど車のこと知りません。

町の中にいくつか散らばっているという、「サマーウォーズ」のラッピング自販機。
…ホント、侘助さんが曾祖母ちゃんを殺したも同然だ(何を今さら)。


お神輿もスルーするつもりだったのに、たまたま見ることが出来た。この後に大変な思いをしました。見物客のヒト達が殆ど動けなくなり、我々も「お財布をスられないように…」そればかり考えながら1分間に1歩進めるかどうか…の雑踏に紛れ込んでしまって。

流れに身を任せていたら、何とか地獄の雑踏から抜け出せた。これだけで凄まじく疲れてしまった。
そして反対側の歩道に行ってみたら、なんと赤備えコスプレのお犬!凛々し過ぎる可愛い過ぎる。
見物客の皆さんがお犬をとり囲み、「かわいい♡」「かわいい♡」喜びながら写真を撮っていました。自分も撮らせて貰いました。どうもありがとう。
自分もウチの垂造(ケヅメリクガメ)にコスプレさせてみたいと思ったりするけど、すぐにビビッてウ●コ漏らすから無理だと思う。そういう意味では、家康のコスプレなら「有り」かも知れない。

つづく。

よそのヒトとの約束事をドタキャンしたとかではないのが救い。しかし自分は公介氏に対してドタキャンしたことになる。本当にすまなんだ。
「すまなんだ」と言えば、本屋で「あしたのジョー」ならぬ「あしたのジロー」って漫画を見つけたな(買ってない)。あと文庫本コーナーで「うずら大名」ってタイトルの小説を見つけた。
「うずら」に反応した、小っこ可愛い生き物好きの公介氏が興味津々で買っていたです。
…しかしホントにうずら(鳥)が出て来るとはなぁ。メインキャスト(3人)の内の1人で、しかもうずらのクセに強い。コイツなら放射能にだって勝てるやも知れない。
そのうずらの活躍ぶりが、公介氏が読む前に想像していたほぼその通りで大笑いした次第です。
・
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その8からのつづき。
晩ご飯はビッグボーイで食べました。
何も上田でビッグボーイに入らなくても…と思われるかも知れないけど、上田市内の飲食店と言ったら故・池波正太郎おススメのお店かB級グルメのあんかけ焼きそばか普通のお蕎麦屋さんぐらいしか無くないか?あとは川魚?
故・池波正太郎おススメ店も概ね食べに行った(ハズ)なので、もはや上田にグルメは求めていない。
ビッグボーイ美味しかった。中途半端な時間帯で空いていたのもまた良かったな。


ゴールデンウィーク直前だったのに、たまたまギリギリで確保出来た千曲市内のホテル。部屋は普通のビジネスホテルなんだけど温泉の大浴場があり、晩ご飯も食べられるし朝食バイキングもある便利な所だったよ。
所在地以外の情報を殆ど入れていなかった所為で随分と損したような気が…。
とにかく眠くて眠くて、シャワーを浴びてバタンQ。
最近の若い子達はバタンキューなんて知らないだろうと思い何となく検索してみたら、「妖怪ウォッチ」に登場する妖怪の名前になっているんか。だったらチビッ子達も知っているんだな。
↓このネコさんは、ホテルのエレベーターの戸が開いたら目の前にいたよ。

早めにチェックアウトをして上田にやって来ました。9時開店と同時にアリオに入って、フードコートでモスバーガーを食べたんだっけ?それが朝ご飯。
真田まつりは、興味のある出し物以外スルーと決めていたです。武者行列は中央商店街通りで開催、鉄砲実演は上田城址公園で開催。その間徒歩1km程度だけど、この日はホントに暑かったのもあって無駄に歩き回って疲れたくなかったんだよな。↓別の理由で早々に疲れきってしまったけど。
↓この辺の住所は上田市天神…だったと思う。アリオと上田駅を繋ぐ狭い道。飲食店がいっぱい並んでいる。

中央商店街通りに到着。何処のお祭りでも大体必ずプログラムに入っている、婦人会?連の踊りの真っ最中。
顔は一応ボカしたけど、偶然ひとり残らず「こっちみんな」状態だったな。

アウディの六文銭仕様車。車は興味無いので、アウディ社のなんて名前の車かも分からない。4個の輪っかエンブレムがアウディの車…ってことも普段は忘れているかうろ覚えなので、この日記を書く為にわざわざ調べたほど車のこと知りません。

町の中にいくつか散らばっているという、「サマーウォーズ」のラッピング自販機。
…ホント、侘助さんが曾祖母ちゃんを殺したも同然だ(何を今さら)。


お神輿もスルーするつもりだったのに、たまたま見ることが出来た。この後に大変な思いをしました。見物客のヒト達が殆ど動けなくなり、我々も「お財布をスられないように…」そればかり考えながら1分間に1歩進めるかどうか…の雑踏に紛れ込んでしまって。

流れに身を任せていたら、何とか地獄の雑踏から抜け出せた。これだけで凄まじく疲れてしまった。
そして反対側の歩道に行ってみたら、なんと赤備えコスプレのお犬!凛々し過ぎる可愛い過ぎる。
見物客の皆さんがお犬をとり囲み、「かわいい♡」「かわいい♡」喜びながら写真を撮っていました。自分も撮らせて貰いました。どうもありがとう。
自分もウチの垂造(ケヅメリクガメ)にコスプレさせてみたいと思ったりするけど、すぐにビビッてウ●コ漏らすから無理だと思う。そういう意味では、家康のコスプレなら「有り」かも知れない。

つづく。

けっこうハードなスケジュールで上田真田まつりに行って来た 8 いつもの…
さっそく、ダイソーの「カレーを美味しく食べるスプーン」を使ってみた。カレーはハウスの咖喱屋ポークカレーを買って来て貰い、結果………。
ダイソーのカレースプーンを買ったいきさつ http://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-560.html
いつも使っているオリエンタルカレースプーンと比べたけど、我々自分の感覚が鈍い所為だと思うけど、調理師免許を持っていない所為だと思うけど、違いはよく解らんかった。何より、けっこう重たいのが気になり過ぎる。
む、無念…。そうそうウマイ話は無いってことだな。
※7月2日 「なんか使っている内にだんだん解って来ましたよ。確かに口当たりがイイ。スプーンを口から出す瞬間にツルッとする」(公介)
咖喱屋ポークカレーはとても美味しかったよ。このレトルトは初めて食べた。当たりで良かった。
向かって右にちょろっと写っている緑色のは、ハム介お父ちゃんが送って来てくれた喜茂別のグリーンアスパラ。甘くて美味しかった。ごちそうさまでした。

・
・
・
その7からのつづき。
↓このウサさん看板を見つけると、いつの間にか「上田に来たんだなぁ」とシミジミ思うようになって来た。そして、何としてでも行かねばならない場所が我々にはある。

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この日の道の駅あおき(長野県小県郡青木村)は、グランドオープンの春まつりをやっていた。訪れるたびに建物が綺麗になっていたり施設が増えていたり…不思議なほどにお金持ちの村だよなぁ。
大抵いつも安いので違いは判らんかったけど、多分いつもよりもっともっと野菜とか安かったんだと思う。多分。間違っていたらごめんなさい。
翌日もある(真田まつり)ので、残念ながら野菜(生物)は買えなかったよ。代わりに信州そば~むを買いました。これは今のところ道の駅あおきでしか見たこと無いし、青木村に貢献も出来る商品なので必ず買っているです。しっかり美味しいのも嬉しい。
信州そば~む http://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-258.html


つづく。

ダイソーのカレースプーンを買ったいきさつ http://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-560.html
いつも使っているオリエンタルカレースプーンと比べたけど、
※7月2日 「なんか使っている内にだんだん解って来ましたよ。確かに口当たりがイイ。スプーンを口から出す瞬間にツルッとする」(公介)
咖喱屋ポークカレーはとても美味しかったよ。このレトルトは初めて食べた。当たりで良かった。
向かって右にちょろっと写っている緑色のは、ハム介お父ちゃんが送って来てくれた喜茂別のグリーンアスパラ。甘くて美味しかった。ごちそうさまでした。

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その7からのつづき。
↓このウサさん看板を見つけると、いつの間にか「上田に来たんだなぁ」とシミジミ思うようになって来た。そして、何としてでも行かねばならない場所が我々にはある。

・
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田沢温泉!
沓掛温泉!
国宝三重塔!
義民!
あっ!青木村
アオキノコちゃん キターーーーーー!
この日の道の駅あおき(長野県小県郡青木村)は、グランドオープンの春まつりをやっていた。訪れるたびに建物が綺麗になっていたり施設が増えていたり…不思議なほどにお金持ちの村だよなぁ。
大抵いつも安いので違いは判らんかったけど、多分いつもよりもっともっと野菜とか安かったんだと思う。多分。間違っていたらごめんなさい。
翌日もある(真田まつり)ので、残念ながら野菜(生物)は買えなかったよ。代わりに信州そば~むを買いました。これは今のところ道の駅あおきでしか見たこと無いし、青木村に貢献も出来る商品なので必ず買っているです。しっかり美味しいのも嬉しい。
信州そば~む http://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-258.html


つづく。

テーマ : ¥100均で買いました(^^)v
ジャンル : ライフ
けっこうハードなスケジュールで上田真田まつりに行って来た 7 嬉しいおみやげ。
このスヌーピーの小皿は、いつもの100円&バラエティショップで見つけたよ。もちろん100円(+消費税)。
最近はなかなか好みの食器が置いていなかったのと、なるべく買わないことにしようと思っていたので、このスヌーピーも買うか買うまいか迷ったけど…色とデザインが和風で面白いし、なるべくイイ状態のを選んで3枚買って来てしまいました。
そういや、あいうえお順で席が近かっただけ…という理由で仲良し(果たして実際に仲良かったんだろうか?そうでもなかったのか?)だった高校の同級生が、大のスヌーピー好きだったことを思い出してしまったではないかッ!
…いや、決してロクでもない思い出という意味では無く、「懐かし過ぎるだろう畜生!」と、実に切ない気分になってしまった。偶然会ったりしないかなー。今さら話すことなど何ひとつ無いけど。
その当時の自分は特に好きなキャラクターもいなくて、地味にカエルグッズを集めていた頃だったので、けろけろけろっぴグッズとか多少持っていた。かと言って物凄く好きって程でも無く…。
大体、80年代のキャラクターって概ねつまんなかったよな。ペラッペラで安っぽくて。
イイなーと思っていたのってオサムグッズぐらい?そのオサムグッズも現代では多少の古さを感じる絵柄だけど、時代遅れ&古臭いという意味ではなく、良い意味でレトロ。
…。
忘れてた!「にこにこぷん」があったじゃないかっ!
たとえば観光地の古いお土産屋さんは時間が停まっているので、アラレちゃん時代の鳥山明風・ホヨヨッ?としたタッチのキャラクター土産を未だに見かけて驚く。あれ大嫌い。
因みに、鳥山明のことを安っぽい言うているワケでは無く、パクりイラストが絶望的に安っぽかったという意味であります。

・
・
・
その6からのつづき。
実際は上杉謙信や景勝など、有名どころの安堵状とか色々展示されていたんだけど、照明が暗くて写真にノイズが入ってしまったりピントが合っていなかったりで、拡大しても字の読めない物が多かった。ホントはこの辺を重点的に紹介したかったのに…でもそれじゃあ村上義清だけで一体何回シリーズになってしまうん?メインは上田真田まつりだぞ?
もう永遠に終わらない気がして来たし、どんどん端折る。もっと知りたいヒトは現地へGo!
越後における村上義清…終焉
葛尾城落城後、越後にのがれ、上杉謙信のもとですごした義清の足跡をおいことはむずかしく、どこにすんでいたのかさえわかりません。越後時代の義清は信濃衆の筆頭として、別格の待遇を受けていたようですが、永禄4年(1561)の川中島の戦い以降、義清の存在が確認できるのは永禄12年のみです。義清の子、村上国清は謙信から亡父の所領越後山浦領(新潟県阿賀野市域)4万貫と信濃飯山領を安堵されました。国清は上杉家の一門山浦氏の名跡をつぐことからも、山浦領と村上氏の関係は義清の代からあったとしてもおかしくありません。義清の終焉について、水戸村上家の史料では元亀4年(天正元年、1573)正月1日、山浦の地でなくなったとしています。
一方、義清は永禄8年に越後根知城主(新潟県糸魚川市)となり、その地でなくなったことが通説としてしられています。ほかにも終焉の地として、越後五智(新潟県上越市)、越後赤沢城(新潟県津南町)、上総国宮原(千葉県市原市)などつたえられています。義清の墓あるいは供養塔についても、越後の根知、光源寺、赤沢、信濃では芋川(三水村)、田町(坂城町)の5ヶ所あります。義清の終焉地はわかりませんが、念願であった故郷坂城への帰国はかなうことなく、異国の地、越後でその生涯をおえたとかんがえられています。
村上義清の子孫 水戸村上家 江戸時代に村上義清の子孫として存続した家は二家ありました。
徳川御三家のひとつ水戸徳川家につかえた水戸村上家と、信濃国内で浪人としてすごした村上氏です。
水戸村上家は義清の娘の子高国が水戸藩主徳川頼房(家康十一男)につかえたのがはじまりです。高国は義清の三女が嫁いだ会田筑前守の子で、後に村上景国(国清)の養子となり上杉家につかえたとされています。関ヶ原の戦いのあと浪人となった高国は大阪、京都をうつりすみ、旧臣のまねきで坂木(坂城町坂城)にうつったとされています。娘が水戸家につかえた縁で頼房にめしだされた高国は、村上氏の子孫ということで300石を拝領し「賓客の待遇」をうけました。高国以降、一時500石の知行取となりましたが、最終的に200石におちつきました。幕末にでた当主高利は有能の士で藩主斉昭の信任があつく、藤田東湖ともしたしい関係でした。
水戸村上家には国清あてにだされた上杉謙信、景勝の文書が伝来し、一方、江戸時代に満泉寺や坂木にくらす旧村上家臣とかわした書簡類ものこされています。高利をはじめ歴代の村上家当主は徳川光圀がひらいた水戸藩士の墓地である常盤共有墓地(茨城県水戸市)でねむっています。
義豊系村上氏
村上義清の曾孫とされる義豊は、江戸での村上家復興運動が実現せず、寛文11年(1671)、旧村上家の旧臣たちにむかえられ、先祖の故郷信濃にやってきました。義豊は「村上家伝」という自筆の系図をかき、東北信地方でたくさん売って生活しました。村上家伝には古文書も多数のせられていますが、いずれも本物の文書とはいいがたいものです。この村上家伝で義豊の父は村上景国とされ、義清の孫、国清の子(国清も景清となのる)にあたるとしています。
景国は父国清がなくなった後各地を転々としながら村上家の再興をねがったようですが、その願いはとどかず義豊へと代がうつりました。義豊以降の子孫も信濃国内で浪人の身としてすごしますが、幕末の義処の時、水戸藩主徳川斉昭に出仕し15石の知行をえました。義処の子孫義暁は安政6年(1859)、坂木(坂城町坂城)で先祖の大法要を開催しました。明治にはいってからも村上家は士族の出浦氏にささえられ華族への取り立て運動を展開しましたが、残念ながら実現しませんでした。

何が驚いたって、信濃の村上家と水軍で有名な村上家に繋がりがあったということなんだよ。夢が広がり過ぎて鼻血寸前だった。同じ村上だから、もっと大昔の時代に親戚だったのかも知れないなーって妄想はしていたんだけど、まさかズバリだったとは。
村上水軍
中世、瀬戸内海を舞台に海上の主役として活躍した村上水軍は、信濃村上氏と関係のある一族とつたえられています。村上水軍は、平安末から南北朝時代に活動した前期村上水軍と、戦国時代に「日本最大の海賊」とうたわれた、村上武吉を代表とする後期村上水軍にわかれます。『尊卑分脈』では前期村上水軍の祖定国と信濃村上氏の祖為国を源顕清の子とし、同じ源氏の一族としています。南北朝時代に村上義弘が活躍し村上水軍の名をひろめましたが、義弘がなくなると村上水軍はいったんとだえてしまいます。
この断絶しかけた村上水軍を継承し、後期村上水軍の祖となったのが信濃村上氏の一族村上師清といわれています。師清は信濃惣大将村上信貞の孫で、父師貞が南朝方の武将として伊予国(愛媛県)と関係をもち、その縁で子の師清が村上水軍の後継者になったとされています。
後期村上水軍は三島村上水軍ともよばれ、師清の3人の子「顕清」、「顕忠」、「顕長」が、それぞれ根拠地をおいた3つの島「能島(愛媛県今治市)」、「来島(愛媛県今治市)」、「因島(広島県因島市)」の名前に由来しています。三家にわかれた三島村上水軍は戦国時代を中心に活躍しましたが、織田信長、豊臣秀吉の天下統一の過程で、能島・因島村上氏は毛利家の一家臣となり、そのまま江戸時代をすごしました。一方、来島水軍は海からはなれた九州豊後(大分県の地で姓を「久留島」とあらため、小大名として存続しました。)
…海賊停止令ってのが、どうにも面白くないムシャクシャする。「秀吉と武吉」という小説を読んだことあるけど、武吉贔屓の自分には辛いだけだったような気がする。
自分は愛媛地方に1人も親戚いないけど、旧姓は村上水軍関連のヒト達に圧倒的な数おるんですよ。それで勝手に「先祖はきっと村上水軍の誰かに違いあるまい」と夢を持っているんだけど、祖父の故郷(栃木)にもそこそこおる姓なんですな。それが無念極まりなくて。
極端な臆病者なので海も山もどちらも本気でチビってしまいそうなほど恐ろしいんだけど、どちらか選べと言われたら海を選ぶ。心はいつも海賊王。
…でもさ。信濃の村上と愛媛の村上につながりがあるとしたら、栃木の〇〇氏、愛媛の〇〇氏にもつながりが無いとは言えないじゃん。そんなことを考えたりするのが、我が人生のお楽しみの一つ。

↓この記事で散々「欲しいなー」言っていた村上義清の幟(ミニミニの方)。
その4より http://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-551.html


なんと、お土産コーナーで売っていました!嬉しい!


公介氏が自分用に買ったお土産は、ねずみ大根マスコットキャラクター、ねずこん。媚び媚びしていなくてとても可愛い。
「ねずみ大根」
ねずみ大根はしもぶくれで、ねずみのような愛くるしい尻尾が特徴の坂城町特産の辛味大根です。その味は、強烈な辛味の奥に甘さを感じる「あまもっくら」(地元ではこう呼びます)とした独特の味わいで、大根のしぼり汁に味噌などを入れ、うどんをつけて食べる当時の伝統食「おしぼりうどん」にはもちろん、蕎麦の薬味や、たくあん漬けにもぴったりの大根です。ぜひ一度、その辛みと甘みをお試しください!
…坂木宿ふるさと歴史館からチョット歩いた所にあるお店で、ねずみ大根売ってたかなぁ?売っていれば試し買いしたような気がするんだよね。説明を読んでいるだけでも美味しそうだし。

想像よりもずっと楽しい、坂木宿ふるさと歴史館でした。また見学に行きたいと思っている。その暁には葛尾城登ってみたい。
つづく。

最近はなかなか好みの食器が置いていなかったのと、なるべく買わないことにしようと思っていたので、このスヌーピーも買うか買うまいか迷ったけど…色とデザインが和風で面白いし、なるべくイイ状態のを選んで3枚買って来てしまいました。
そういや、あいうえお順で席が近かっただけ…という理由で仲良し(果たして実際に仲良かったんだろうか?そうでもなかったのか?)だった高校の同級生が、大のスヌーピー好きだったことを思い出してしまったではないかッ!
…いや、決してロクでもない思い出という意味では無く、「懐かし過ぎるだろう畜生!」と、実に切ない気分になってしまった。偶然会ったりしないかなー。今さら話すことなど何ひとつ無いけど。
その当時の自分は特に好きなキャラクターもいなくて、地味にカエルグッズを集めていた頃だったので、けろけろけろっぴグッズとか多少持っていた。かと言って物凄く好きって程でも無く…。
大体、80年代のキャラクターって概ねつまんなかったよな。ペラッペラで安っぽくて。
イイなーと思っていたのってオサムグッズぐらい?そのオサムグッズも現代では多少の古さを感じる絵柄だけど、時代遅れ&古臭いという意味ではなく、良い意味でレトロ。
…。
忘れてた!「にこにこぷん」があったじゃないかっ!
たとえば観光地の古いお土産屋さんは時間が停まっているので、アラレちゃん時代の鳥山明風・ホヨヨッ?としたタッチのキャラクター土産を未だに見かけて驚く。あれ大嫌い。
因みに、鳥山明のことを安っぽい言うているワケでは無く、パクりイラストが絶望的に安っぽかったという意味であります。

・
・
・
その6からのつづき。
実際は上杉謙信や景勝など、有名どころの安堵状とか色々展示されていたんだけど、照明が暗くて写真にノイズが入ってしまったりピントが合っていなかったりで、拡大しても字の読めない物が多かった。ホントはこの辺を重点的に紹介したかったのに…でもそれじゃあ村上義清だけで一体何回シリーズになってしまうん?メインは上田真田まつりだぞ?
もう永遠に終わらない気がして来たし、どんどん端折る。もっと知りたいヒトは現地へGo!
越後における村上義清…終焉
葛尾城落城後、越後にのがれ、上杉謙信のもとですごした義清の足跡をおいことはむずかしく、どこにすんでいたのかさえわかりません。越後時代の義清は信濃衆の筆頭として、別格の待遇を受けていたようですが、永禄4年(1561)の川中島の戦い以降、義清の存在が確認できるのは永禄12年のみです。義清の子、村上国清は謙信から亡父の所領越後山浦領(新潟県阿賀野市域)4万貫と信濃飯山領を安堵されました。国清は上杉家の一門山浦氏の名跡をつぐことからも、山浦領と村上氏の関係は義清の代からあったとしてもおかしくありません。義清の終焉について、水戸村上家の史料では元亀4年(天正元年、1573)正月1日、山浦の地でなくなったとしています。
一方、義清は永禄8年に越後根知城主(新潟県糸魚川市)となり、その地でなくなったことが通説としてしられています。ほかにも終焉の地として、越後五智(新潟県上越市)、越後赤沢城(新潟県津南町)、上総国宮原(千葉県市原市)などつたえられています。義清の墓あるいは供養塔についても、越後の根知、光源寺、赤沢、信濃では芋川(三水村)、田町(坂城町)の5ヶ所あります。義清の終焉地はわかりませんが、念願であった故郷坂城への帰国はかなうことなく、異国の地、越後でその生涯をおえたとかんがえられています。
村上義清の子孫 水戸村上家 江戸時代に村上義清の子孫として存続した家は二家ありました。
徳川御三家のひとつ水戸徳川家につかえた水戸村上家と、信濃国内で浪人としてすごした村上氏です。
水戸村上家は義清の娘の子高国が水戸藩主徳川頼房(家康十一男)につかえたのがはじまりです。高国は義清の三女が嫁いだ会田筑前守の子で、後に村上景国(国清)の養子となり上杉家につかえたとされています。関ヶ原の戦いのあと浪人となった高国は大阪、京都をうつりすみ、旧臣のまねきで坂木(坂城町坂城)にうつったとされています。娘が水戸家につかえた縁で頼房にめしだされた高国は、村上氏の子孫ということで300石を拝領し「賓客の待遇」をうけました。高国以降、一時500石の知行取となりましたが、最終的に200石におちつきました。幕末にでた当主高利は有能の士で藩主斉昭の信任があつく、藤田東湖ともしたしい関係でした。
水戸村上家には国清あてにだされた上杉謙信、景勝の文書が伝来し、一方、江戸時代に満泉寺や坂木にくらす旧村上家臣とかわした書簡類ものこされています。高利をはじめ歴代の村上家当主は徳川光圀がひらいた水戸藩士の墓地である常盤共有墓地(茨城県水戸市)でねむっています。
義豊系村上氏
村上義清の曾孫とされる義豊は、江戸での村上家復興運動が実現せず、寛文11年(1671)、旧村上家の旧臣たちにむかえられ、先祖の故郷信濃にやってきました。義豊は「村上家伝」という自筆の系図をかき、東北信地方でたくさん売って生活しました。村上家伝には古文書も多数のせられていますが、いずれも本物の文書とはいいがたいものです。この村上家伝で義豊の父は村上景国とされ、義清の孫、国清の子(国清も景清となのる)にあたるとしています。
景国は父国清がなくなった後各地を転々としながら村上家の再興をねがったようですが、その願いはとどかず義豊へと代がうつりました。義豊以降の子孫も信濃国内で浪人の身としてすごしますが、幕末の義処の時、水戸藩主徳川斉昭に出仕し15石の知行をえました。義処の子孫義暁は安政6年(1859)、坂木(坂城町坂城)で先祖の大法要を開催しました。明治にはいってからも村上家は士族の出浦氏にささえられ華族への取り立て運動を展開しましたが、残念ながら実現しませんでした。

何が驚いたって、信濃の村上家と水軍で有名な村上家に繋がりがあったということなんだよ。夢が広がり過ぎて鼻血寸前だった。同じ村上だから、もっと大昔の時代に親戚だったのかも知れないなーって妄想はしていたんだけど、まさかズバリだったとは。
村上水軍
中世、瀬戸内海を舞台に海上の主役として活躍した村上水軍は、信濃村上氏と関係のある一族とつたえられています。村上水軍は、平安末から南北朝時代に活動した前期村上水軍と、戦国時代に「日本最大の海賊」とうたわれた、村上武吉を代表とする後期村上水軍にわかれます。『尊卑分脈』では前期村上水軍の祖定国と信濃村上氏の祖為国を源顕清の子とし、同じ源氏の一族としています。南北朝時代に村上義弘が活躍し村上水軍の名をひろめましたが、義弘がなくなると村上水軍はいったんとだえてしまいます。
この断絶しかけた村上水軍を継承し、後期村上水軍の祖となったのが信濃村上氏の一族村上師清といわれています。師清は信濃惣大将村上信貞の孫で、父師貞が南朝方の武将として伊予国(愛媛県)と関係をもち、その縁で子の師清が村上水軍の後継者になったとされています。
後期村上水軍は三島村上水軍ともよばれ、師清の3人の子「顕清」、「顕忠」、「顕長」が、それぞれ根拠地をおいた3つの島「能島(愛媛県今治市)」、「来島(愛媛県今治市)」、「因島(広島県因島市)」の名前に由来しています。三家にわかれた三島村上水軍は戦国時代を中心に活躍しましたが、織田信長、豊臣秀吉の天下統一の過程で、能島・因島村上氏は毛利家の一家臣となり、そのまま江戸時代をすごしました。一方、来島水軍は海からはなれた九州豊後(大分県の地で姓を「久留島」とあらため、小大名として存続しました。)
…海賊停止令ってのが、どうにも面白くないムシャクシャする。「秀吉と武吉」という小説を読んだことあるけど、武吉贔屓の自分には辛いだけだったような気がする。
自分は愛媛地方に1人も親戚いないけど、旧姓は村上水軍関連のヒト達に圧倒的な数おるんですよ。それで勝手に「先祖はきっと村上水軍の誰かに違いあるまい」と夢を持っているんだけど、祖父の故郷(栃木)にもそこそこおる姓なんですな。それが無念極まりなくて。
極端な臆病者なので海も山もどちらも本気でチビってしまいそうなほど恐ろしいんだけど、どちらか選べと言われたら海を選ぶ。心はいつも海賊王。
…でもさ。信濃の村上と愛媛の村上につながりがあるとしたら、栃木の〇〇氏、愛媛の〇〇氏にもつながりが無いとは言えないじゃん。そんなことを考えたりするのが、我が人生のお楽しみの一つ。

↓この記事で散々「欲しいなー」言っていた村上義清の幟(ミニミニの方)。
その4より http://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-551.html


なんと、お土産コーナーで売っていました!嬉しい!


公介氏が自分用に買ったお土産は、ねずみ大根マスコットキャラクター、ねずこん。媚び媚びしていなくてとても可愛い。
「ねずみ大根」
ねずみ大根はしもぶくれで、ねずみのような愛くるしい尻尾が特徴の坂城町特産の辛味大根です。その味は、強烈な辛味の奥に甘さを感じる「あまもっくら」(地元ではこう呼びます)とした独特の味わいで、大根のしぼり汁に味噌などを入れ、うどんをつけて食べる当時の伝統食「おしぼりうどん」にはもちろん、蕎麦の薬味や、たくあん漬けにもぴったりの大根です。ぜひ一度、その辛みと甘みをお試しください!
…坂木宿ふるさと歴史館からチョット歩いた所にあるお店で、ねずみ大根売ってたかなぁ?売っていれば試し買いしたような気がするんだよね。説明を読んでいるだけでも美味しそうだし。

想像よりもずっと楽しい、坂木宿ふるさと歴史館でした。また見学に行きたいと思っている。その暁には葛尾城登ってみたい。
つづく。

テーマ : ¥100均で買いました(^^)v
ジャンル : ライフ
けっこうハードなスケジュールで上田真田まつりに行って来た 6 戸石合戦図屏風
セリアで見つけた昔話シリーズその2。ミニレターセット浦島太郎。
亀グッズとして買いはしても、正直ぜんぜん使うアテありません。増えて行くばかり。コレクションなんだから別に使わんでもイイんだとは思うけど。
自室のタンスに子供の頃っぽくシールをベタベタ貼りたい。でも100円ショップとか文房具屋とか、普通に売っているのは嫌なんだよな。お菓子のオマケシールじゃなきゃ、自分としてはわざわざ貼る価値無し。
でも今時シールがオマケのお菓子はなかなか売っていないし、たとえ手に入れられたとしても結局は勿体なくて使えないであろう性格が悲しい過ぎる。

・
・
・
5からのつづき。
この後、「上田原の戦い」の解説とか色々あったけど、ホントに長いんで端折る。詳しく知りたいヒトは坂城町のふるさと歴史館へ行くと楽しいですよ。職員のヒトも優しかったし、面白いお土産物もあった。歴史館からほんの少し歩いた所にもお店あるん。
戸石城(砥石城)は頂上まで登ったことあるので、思い入れがある。アレを登山と言い切ってイイのか知らんけど、高尾山、青梅の御岳山(2回)よりも遥かにキツかったのが戸石城(砥石城)。その程度の経験しか無いということ。
頂上に着いた時、まず「大体…こんな場所に城を建てようと思ってホントに建てちまうなんて頭おかしい。そしてソコを攻め落とそうとして実際に落としてしまう当時の武将達は頭おかしいとしか思えん…」とつくづく呆れ果てたのであります。
死んでもイイから御柱祭やだんじり祭に参加したいヒト達は、当時の武将達のDNAを濃く受け継いでいると思う。要は楽しいんだよきっと。敗けたら血統が断絶してしまうとか生活がかかっているとか、そういうのを抜きにして血が滾るのを抑えられないんだろう。と、勝手にそう思うことにしている。
そう思わないことには、ヒトとヒトの殺し合いを喜んで趣味にしている自分自身が死ぬほど嫌になる瞬間があるって理由もある。たとえば祖父も徴兵されて参戦した太平洋戦争、現代でも起こっている紛争や戦争は許せなくて、大昔の戦争なら許せるって矛盾にどうつじつまを合わせたらイイのだろうか?
これこそ「業」ってヤツなんだと思うしか無い(しつこいけど、なんて便利な言葉)。どうせもう年だし、幸い子供もいないし、死ぬまでキチンと選挙には行くけど、国家の面倒事はなるべく少しずつ考えないようにして行くつもり。
たとえば自分が共産主義だとして(※あくまでたとえばですよ)、非の打ち所の無い完璧な共産主義国家に行き着くまで一体何十世代かかるん?自分が死んだ後のことまで憂いたくない。大体、毎日1日1日を生きるのに精いっぱいの世の中になってしまったし「もうイイや」って。

↑↑↑↑↑↑↑
塩尻峠の合戦で勝利し、体制をととのえた武田信玄は、守護小笠原長時を松本平からおいだし、天文19年(1550)、ふたたび村上義清をうつために出陣しました。信玄は義清の居城である戸石城(上田市)を攻撃しますが、このとき義清は高井郡の高梨氏とのたたかいのため出陣していました。義清は高梨政盛と和睦し、連合して戸石城の救援にむかいました。義清の来援により信玄は戸石城攻略を断念し退却をはじめますが、この退却時に村上勢の追撃をうけた武田勢は、横田高松をはじめ1000人ほどをうしないました。
「戸石崩れ」とよばれるこのたたかいに勝利した義清は佐久郡へ侵攻し、一方で長時の旧領を回復するため松本平へも兵をだしました。しかし、天文20年5月、戸石城が真田幸隆の攻撃により落城すると、信玄は義清の本拠地葛尾城めざして進軍を開始しました。
↓これは、戸石城合戦の様子を描いた浮世絵だそうで。



戸石城合戦図 江戸後期 錦絵 絵師:歌川国貞(三代豊国 )
天文19年(1550)8月末から始まった武田晴信(信玄)による戸石城攻略戦は「信玄の砥石崩れ」と称されるように、武田方の敗北に終った。しかし、この浮世絵にも描かれた砥石合戦の様子は、年代が天文15年5月と表記され、勝者も武田側とされているように、江戸時代、武士の間でベストセラーとなった武田家の軍略本『甲陽軍鑑』を元にして製作されたものである。
画面の中央には村上家の拠点「砥石城」が描かれ、信玄は画面左端、馬上で采配を振るっている。信玄の周辺には原美濃守、高坂弾正などがひかえ、山本勘助や武藤喜兵衛(真田昌幸)、甘利備前守、横田備中守・彦十郎など武田家のそうそうたる武将が村上方と激戦を展開している。
一方、村上方は画面右端に位置し、先陣は楽岸寺駿河守がつとめている。それに続くのは長沼修理・布下平治・和気喜兵衛。小嶋五郎左衛門は武田方の横田彦十郎の槍先によって落馬している。村上方の総帥村上義清は後方に続き、その後からは村上家の後詰の大軍が戦場に向かっている。
江戸後期の浮世絵師、歌川国貞(三代豊国)の作画による。

甲陽軍鑑(現代語訳)持っているけど、もう随分昔に読んだきりだから内容なんか全く覚えていない。この本によれば、戸石城の戦いも武田側の勝利になるんか。許せんよ…。

↑↑↑↑↑↑↑
川中島合戦図屏風:紀州本
和歌山県立博物館が所蔵する川中島合戦図屏風は、越後流軍学の影響のもとで、上杉側の立場から、天文23年(1554)合戦と弘治2年(1556)合戦をえがいた作品である。
成立は17世紀後半とみられ狩野派の手による。六曲一双の中屏風ではあるが、動的な群衆描写と緻密な人物表現とをくみあわせ、合戦図屏風として出色の出来ばえをしめしている。
天文23年の合戦(右隻)においては、上杉軍が武田軍を御幣川においつめた場面をえがき、謙信と信玄の一騎打ちが表現されている。弘治2年の合戦(左隻)では、武田軍の啄木鳥戦法の裏をかいた謙信が武田本陣を夜襲し、陣屋に火をはなってせめている場面をえがいている。村上義清は両面でえがかれており、特に右隻の合戦では、場面中央で信玄の弟信繁を槍でせめたてている様子がいきいきと表現されている。
…こんな解説でした。

村上義清の弱体化が、川中島合戦のキッカケなんだな。五回の川中島の内、村上勢が参戦したのは四回までっぽい。↑コレは、義清の活躍を切り取ったところ。信繁をホントに討ち取ったかどうかはちょっと定かでない…みたいな話がWikiに載っていた。
村上義清(生涯)Wiki リンク
なかなか上田真田まつりに辿り着かなくてツラい。
まだまだつづく。

亀グッズとして買いはしても、正直ぜんぜん使うアテありません。増えて行くばかり。コレクションなんだから別に使わんでもイイんだとは思うけど。
自室のタンスに子供の頃っぽくシールをベタベタ貼りたい。でも100円ショップとか文房具屋とか、普通に売っているのは嫌なんだよな。お菓子のオマケシールじゃなきゃ、自分としてはわざわざ貼る価値無し。
でも今時シールがオマケのお菓子はなかなか売っていないし、たとえ手に入れられたとしても結局は勿体なくて使えないであろう性格が悲しい過ぎる。

・
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5からのつづき。
この後、「上田原の戦い」の解説とか色々あったけど、ホントに長いんで端折る。詳しく知りたいヒトは坂城町のふるさと歴史館へ行くと楽しいですよ。職員のヒトも優しかったし、面白いお土産物もあった。歴史館からほんの少し歩いた所にもお店あるん。
戸石城(砥石城)は頂上まで登ったことあるので、思い入れがある。アレを登山と言い切ってイイのか知らんけど、高尾山、青梅の御岳山(2回)よりも遥かにキツかったのが戸石城(砥石城)。その程度の経験しか無いということ。
頂上に着いた時、まず「大体…こんな場所に城を建てようと思ってホントに建てちまうなんて頭おかしい。そしてソコを攻め落とそうとして実際に落としてしまう当時の武将達は頭おかしいとしか思えん…」とつくづく呆れ果てたのであります。
死んでもイイから御柱祭やだんじり祭に参加したいヒト達は、当時の武将達のDNAを濃く受け継いでいると思う。要は楽しいんだよきっと。敗けたら血統が断絶してしまうとか生活がかかっているとか、そういうのを抜きにして血が滾るのを抑えられないんだろう。と、勝手にそう思うことにしている。
そう思わないことには、ヒトとヒトの殺し合いを喜んで趣味にしている自分自身が死ぬほど嫌になる瞬間があるって理由もある。たとえば祖父も徴兵されて参戦した太平洋戦争、現代でも起こっている紛争や戦争は許せなくて、大昔の戦争なら許せるって矛盾にどうつじつまを合わせたらイイのだろうか?
これこそ「業」ってヤツなんだと思うしか無い(しつこいけど、なんて便利な言葉)。どうせもう年だし、幸い子供もいないし、死ぬまでキチンと選挙には行くけど、国家の面倒事はなるべく少しずつ考えないようにして行くつもり。
たとえば自分が共産主義だとして(※あくまでたとえばですよ)、非の打ち所の無い完璧な共産主義国家に行き着くまで一体何十世代かかるん?自分が死んだ後のことまで憂いたくない。大体、毎日1日1日を生きるのに精いっぱいの世の中になってしまったし「もうイイや」って。

↑↑↑↑↑↑↑
塩尻峠の合戦で勝利し、体制をととのえた武田信玄は、守護小笠原長時を松本平からおいだし、天文19年(1550)、ふたたび村上義清をうつために出陣しました。信玄は義清の居城である戸石城(上田市)を攻撃しますが、このとき義清は高井郡の高梨氏とのたたかいのため出陣していました。義清は高梨政盛と和睦し、連合して戸石城の救援にむかいました。義清の来援により信玄は戸石城攻略を断念し退却をはじめますが、この退却時に村上勢の追撃をうけた武田勢は、横田高松をはじめ1000人ほどをうしないました。
「戸石崩れ」とよばれるこのたたかいに勝利した義清は佐久郡へ侵攻し、一方で長時の旧領を回復するため松本平へも兵をだしました。しかし、天文20年5月、戸石城が真田幸隆の攻撃により落城すると、信玄は義清の本拠地葛尾城めざして進軍を開始しました。
↓これは、戸石城合戦の様子を描いた浮世絵だそうで。



戸石城合戦図 江戸後期 錦絵 絵師:歌川国貞(三代豊国 )
天文19年(1550)8月末から始まった武田晴信(信玄)による戸石城攻略戦は「信玄の砥石崩れ」と称されるように、武田方の敗北に終った。しかし、この浮世絵にも描かれた砥石合戦の様子は、年代が天文15年5月と表記され、勝者も武田側とされているように、江戸時代、武士の間でベストセラーとなった武田家の軍略本『甲陽軍鑑』を元にして製作されたものである。
画面の中央には村上家の拠点「砥石城」が描かれ、信玄は画面左端、馬上で采配を振るっている。信玄の周辺には原美濃守、高坂弾正などがひかえ、山本勘助や武藤喜兵衛(真田昌幸)、甘利備前守、横田備中守・彦十郎など武田家のそうそうたる武将が村上方と激戦を展開している。
一方、村上方は画面右端に位置し、先陣は楽岸寺駿河守がつとめている。それに続くのは長沼修理・布下平治・和気喜兵衛。小嶋五郎左衛門は武田方の横田彦十郎の槍先によって落馬している。村上方の総帥村上義清は後方に続き、その後からは村上家の後詰の大軍が戦場に向かっている。
江戸後期の浮世絵師、歌川国貞(三代豊国)の作画による。

甲陽軍鑑(現代語訳)持っているけど、もう随分昔に読んだきりだから内容なんか全く覚えていない。この本によれば、戸石城の戦いも武田側の勝利になるんか。許せんよ…。

↑↑↑↑↑↑↑
川中島合戦図屏風:紀州本
和歌山県立博物館が所蔵する川中島合戦図屏風は、越後流軍学の影響のもとで、上杉側の立場から、天文23年(1554)合戦と弘治2年(1556)合戦をえがいた作品である。
成立は17世紀後半とみられ狩野派の手による。六曲一双の中屏風ではあるが、動的な群衆描写と緻密な人物表現とをくみあわせ、合戦図屏風として出色の出来ばえをしめしている。
天文23年の合戦(右隻)においては、上杉軍が武田軍を御幣川においつめた場面をえがき、謙信と信玄の一騎打ちが表現されている。弘治2年の合戦(左隻)では、武田軍の啄木鳥戦法の裏をかいた謙信が武田本陣を夜襲し、陣屋に火をはなってせめている場面をえがいている。村上義清は両面でえがかれており、特に右隻の合戦では、場面中央で信玄の弟信繁を槍でせめたてている様子がいきいきと表現されている。
…こんな解説でした。

村上義清の弱体化が、川中島合戦のキッカケなんだな。五回の川中島の内、村上勢が参戦したのは四回までっぽい。↑コレは、義清の活躍を切り取ったところ。信繁をホントに討ち取ったかどうかはちょっと定かでない…みたいな話がWikiに載っていた。
村上義清(生涯)Wiki リンク
なかなか上田真田まつりに辿り着かなくてツラい。
まだまだつづく。

テーマ : ¥100均で買いました(^^)v
ジャンル : ライフ
けっこうハードなスケジュールで上田真田まつりに行って来た 5 坂木宿ふるさと歴史館
最近…でも無いけど、左のふくらはぎが静脈瘤寸前みたいな状態で血行が悪過ぎて、パソコン机の椅子に座っているとジワジワ足が冷えて来て長時間座っていられないんだよな。それでブログの更新(旅日記など)が滞ってしまう。せっかく遊び行ったのになかなか記録出来ないなんて勿体無い…。
こーいう内容の日記は誰~も見てくれないので、ノロノロ更新して行きたいと思っている。
そういや今朝は、公介氏の野暮用(仕事)について行った。「小一時間ぐらいしたら戻るので、お茶か何か飲んで待っていて下さい」と、北浦和戸田のイオンで下ろされましたです。
なんか中途半端な時間になってしまい、カレー屋さんの夜の部にはまだ早かった。普段滅多に利用しない北与野近くの西友をプラプラしながら多少の時間潰し。
3階だっけ?2階だっけ(忘れた)にあるセリアの店内を回ってみると、またまた昔話シールをみつけてしまいました。桃太郎さんと分服茶釜のシールが見えたので、こりゃ浦島太郎もあるなーと袋を少しフリフリして中身を確かめてみたら、やっぱりありました。わーい。
2袋ぐらい欲しかったけど、残念ながら1袋しか売っておらんかったです。10デザイン×5ピース。

同じく西友のお菓子売場で、スリラチャソース(シラチャーソース)味のポテトチップを見つけました。「スリラチャ赤備」という品名で、黄色い袋のは「芋備」だって。芋クッサ。
…そこは、地黄八幡と恐れられた名将「北條綱成」になぞらえて「黄備え」って品名にしれば凄まじくシックリ来たのにイライラする。秀吉軍団の「黄母衣衆」でも良かったのではないか?
紫色の「楽備」青色の「乳備」ってのもあるらしいな。もはや何がなんだか解りません。
それはイイとしてスリラチャソースのポテトチップ、1枚貰って食べてみたけど美味しかったよ。買った公介氏は「芋に合わない味だねぇ…」と微妙な反応をしていたけど、甘辛酸っぱくて自分は美味しいと思った。また西友へ行く機会があったら自分の為に買おうと思っている。

17時になったので、さっそくカレー屋さんに行きました。公介氏はシシカバブーマサラ、自分はお店おすすめの舞茸&エビってヤツを。贅沢な話だけど、バターチキンやサグパニール等の無難なカレーでは飽き足らなくなって来てしまったのです。なるべく聞いたこと見たことの無いメニューを楽しく頂いております。
マサラ(大辛)&舞茸(中辛だけど甘い味)を分け合って食べたので、辛い→甘い→辛い→…の繰り返しで美味しかったなー…が、今日は初めから何となく中っ腹で、ナン半分とサラダはぜんぶ残して公介氏に食べて貰いました(※生キャベツ、ホント苦手。歯触りも、無駄に胃が膨らむのも苦手)。
帰宅して洗濯をして水亀さん達の水を取り替えて、のんびりブログを書いているところ。

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・
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4からのつづき。
坂木宿ふるさと歴史館は館内丸々撮影OKだったので、写真が膨大になってしまい山ほど端折ります。じゃないと、いつまで経っても終わらない。写真を整理している間に頭が混がらがって困っている。
これは、村上義清が諏訪上社の神長官、守矢頼真に送った書状みたいです。
守矢というと洩矢神の末裔で、建御雷神との闘いに敗北して諏訪に逃げて来た建御名方神と洩矢神とも争いになって、結局建御雷神が勝って諏訪大社の祭神になったんだよな。大迷惑。
自分ならアレだ。酒宴に誘き出して躊躇いなく暗●する。面倒臭いヤツ嫌いだもん。
村上義清書状(天文二十二年六月九日)
御差し府の事 承り候、
前々の如く無沙汰これ無く
申し付け候、ご神前において
いよいよ御祈念頼み入り候、
委曲御使い申し届けられるべく候、
恐々謹言
六月九日 義清(花押)
神長殿
御返事

太平記絵巻。村上義清の大~分昔の南北朝時代の先祖、村上義光&義隆親子。義光・義隆親子が吉野(奈良県吉野町)において護良親王を幕府軍の攻撃から、命をかけて守り抜いた場面をそれぞれ壮絶にえがいている。
古い家系なんだなぁ。

この大文字の旗は裏返し???
大文字の旗
応永7年(1400)におきた大塔合戦で、守護小笠原長秀に反抗した国人衆のうち、大文字一揆が使用したとかんがえられる流し旗。縦40cm幅でおった絹布を三枚つないだ「三幅継」で、室町時代の流し旗である。
この当時の村上氏は、国人衆程度の地位だったんか。

村上十八将図。かっけー!とはいえ、さすがに知らないや。尼子十勇士もすぐに忘れちゃったしな。武田二十四将や、徳川十六神将ぐらいならそこそこ名前言えると思うけど。

↓村上十八将の図。「神」ってつけないところが、謙虚で好感持てる。


村上義清の登場、海野平合戦
村上義清が歴史の表舞台に登場したのは天文10年(1541)です。義清のうまれた年についてはわかりませんが、なくなったのは元亀4年(1573)、享年73歳だったとつたえられます。
天文10年は5月に小県郡の海野地方(東御市海野)でおおきな合戦がおこなわれました。ふるくからこの地域一帯をおさめていた海野氏にたいし、小県郡へ勢力拡大をすすめていた義清は、甲斐の武田信虎、諏訪頼重と連合して海野氏をせめました。戦いは義清、信虎、頼重による連合軍が勝利し、海野幸義は戦死し、のちに義清の仇敵となる真幸隆は海野棟綱とともに上州の関東管領上杉憲政をたよりました。こまたたかいで小県郡一帯は村上氏の勢力下となり、義清にとって絶頂の時代がおとずれました。
ガラスケースの下に見える書物は、甲陽軍鑑。

村上義清書状 (天文十七年二月二十二日)
村上義清が上野(群馬県)におこなわれた「上田原の戦い」(2月14日)において、義清が武田信玄をやぶり、板垣信方などに味方することをうながしている。
小林家は代々上野國に居住し、大塚郷の地頭として新田義貞、足利尊氏、関東管領上杉氏などとふかいつながりをもち、戦国時代になると隣国信州の村上氏や大井氏、さらには武田家の西上野侵攻によって武田家につかえることになった。
武田家滅亡後は幾度か変転をとげて、江戸時代になり徳川家の水野忠元にめしだされ、以後、水野家につかえた。水野家の転封とともに各地をうつり、最後は山形藩で明治維新をむかえた。以後、小林家は山形の地にて現代にいたっている。

あーもう、お医者に命令された寝る時間(23時)2時間も過ぎてしまった。脚の調子と寝る時間さえアレだったら、もっと早くたくさん更新出来るのに…。つまんない。
つづく。

こーいう内容の日記は誰~も見てくれないので、ノロノロ更新して行きたいと思っている。
そういや今朝は、公介氏の野暮用(仕事)について行った。「小一時間ぐらいしたら戻るので、お茶か何か飲んで待っていて下さい」と、北
なんか中途半端な時間になってしまい、カレー屋さんの夜の部にはまだ早かった。普段滅多に利用しない北与野近くの西友をプラプラしながら多少の時間潰し。
3階だっけ?2階だっけ(忘れた)にあるセリアの店内を回ってみると、またまた昔話シールをみつけてしまいました。桃太郎さんと分服茶釜のシールが見えたので、こりゃ浦島太郎もあるなーと袋を少しフリフリして中身を確かめてみたら、やっぱりありました。わーい。
2袋ぐらい欲しかったけど、残念ながら1袋しか売っておらんかったです。10デザイン×5ピース。

同じく西友のお菓子売場で、スリラチャソース(シラチャーソース)味のポテトチップを見つけました。「スリラチャ赤備」という品名で、黄色い袋のは「芋備」だって。芋クッサ。
…そこは、地黄八幡と恐れられた名将「北條綱成」になぞらえて「黄備え」って品名にしれば凄まじくシックリ来たのにイライラする。秀吉軍団の「黄母衣衆」でも良かったのではないか?
紫色の「楽備」青色の「乳備」ってのもあるらしいな。もはや何がなんだか解りません。
それはイイとしてスリラチャソースのポテトチップ、1枚貰って食べてみたけど美味しかったよ。買った公介氏は「芋に合わない味だねぇ…」と微妙な反応をしていたけど、甘辛酸っぱくて自分は美味しいと思った。また西友へ行く機会があったら自分の為に買おうと思っている。

17時になったので、さっそくカレー屋さんに行きました。公介氏はシシカバブーマサラ、自分はお店おすすめの舞茸&エビってヤツを。贅沢な話だけど、バターチキンやサグパニール等の無難なカレーでは飽き足らなくなって来てしまったのです。なるべく聞いたこと見たことの無いメニューを楽しく頂いております。
マサラ(大辛)&舞茸(中辛だけど甘い味)を分け合って食べたので、辛い→甘い→辛い→…の繰り返しで美味しかったなー…が、今日は初めから何となく中っ腹で、ナン半分とサラダはぜんぶ残して公介氏に食べて貰いました(※生キャベツ、ホント苦手。歯触りも、無駄に胃が膨らむのも苦手)。
帰宅して洗濯をして水亀さん達の水を取り替えて、のんびりブログを書いているところ。

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4からのつづき。
坂木宿ふるさと歴史館は館内丸々撮影OKだったので、写真が膨大になってしまい山ほど端折ります。じゃないと、いつまで経っても終わらない。写真を整理している間に頭が混がらがって困っている。
これは、村上義清が諏訪上社の神長官、守矢頼真に送った書状みたいです。
守矢というと洩矢神の末裔で、建御雷神との闘いに敗北して諏訪に逃げて来た建御名方神と洩矢神とも争いになって、結局建御雷神が勝って諏訪大社の祭神になったんだよな。大迷惑。
自分ならアレだ。酒宴に誘き出して躊躇いなく暗●する。面倒臭いヤツ嫌いだもん。
村上義清書状(天文二十二年六月九日)
御差し府の事 承り候、
前々の如く無沙汰これ無く
申し付け候、ご神前において
いよいよ御祈念頼み入り候、
委曲御使い申し届けられるべく候、
恐々謹言
六月九日 義清(花押)
神長殿
御返事

太平記絵巻。村上義清の大~分昔の南北朝時代の先祖、村上義光&義隆親子。義光・義隆親子が吉野(奈良県吉野町)において護良親王を幕府軍の攻撃から、命をかけて守り抜いた場面をそれぞれ壮絶にえがいている。
古い家系なんだなぁ。

この大文字の旗は裏返し???
大文字の旗
応永7年(1400)におきた大塔合戦で、守護小笠原長秀に反抗した国人衆のうち、大文字一揆が使用したとかんがえられる流し旗。縦40cm幅でおった絹布を三枚つないだ「三幅継」で、室町時代の流し旗である。
この当時の村上氏は、国人衆程度の地位だったんか。

村上十八将図。かっけー!とはいえ、さすがに知らないや。尼子十勇士もすぐに忘れちゃったしな。武田二十四将や、徳川十六神将ぐらいならそこそこ名前言えると思うけど。

↓村上十八将の図。「神」ってつけないところが、謙虚で好感持てる。


村上義清の登場、海野平合戦
村上義清が歴史の表舞台に登場したのは天文10年(1541)です。義清のうまれた年についてはわかりませんが、なくなったのは元亀4年(1573)、享年73歳だったとつたえられます。
天文10年は5月に小県郡の海野地方(東御市海野)でおおきな合戦がおこなわれました。ふるくからこの地域一帯をおさめていた海野氏にたいし、小県郡へ勢力拡大をすすめていた義清は、甲斐の武田信虎、諏訪頼重と連合して海野氏をせめました。戦いは義清、信虎、頼重による連合軍が勝利し、海野幸義は戦死し、のちに義清の仇敵となる真幸隆は海野棟綱とともに上州の関東管領上杉憲政をたよりました。こまたたかいで小県郡一帯は村上氏の勢力下となり、義清にとって絶頂の時代がおとずれました。
ガラスケースの下に見える書物は、甲陽軍鑑。

村上義清書状 (天文十七年二月二十二日)
村上義清が上野(群馬県)におこなわれた「上田原の戦い」(2月14日)において、義清が武田信玄をやぶり、板垣信方などに味方することをうながしている。
小林家は代々上野國に居住し、大塚郷の地頭として新田義貞、足利尊氏、関東管領上杉氏などとふかいつながりをもち、戦国時代になると隣国信州の村上氏や大井氏、さらには武田家の西上野侵攻によって武田家につかえることになった。
武田家滅亡後は幾度か変転をとげて、江戸時代になり徳川家の水野忠元にめしだされ、以後、水野家につかえた。水野家の転封とともに各地をうつり、最後は山形藩で明治維新をむかえた。以後、小林家は山形の地にて現代にいたっている。

あーもう、お医者に命令された寝る時間(23時)2時間も過ぎてしまった。脚の調子と寝る時間さえアレだったら、もっと早くたくさん更新出来るのに…。つまんない。
つづく。

テーマ : ¥100均で買いました(^^)v
ジャンル : ライフ
所沢 戦国 滝の城まつり フライング
お医者に「11時(23時)には寝れ」と言われて困っているところ。寝ようと思えば普通に寝られる日もあれば、お眠り薬を飲んでも頭が冴えちゃってダメな日もあるし、公介氏の帰宅時間次第のところもあるし、今現在もう23時をとうに過ぎているし、困ったもんだ。
モンハンワールドだって、大型モンスター1匹倒したらもう寝る時間だよ?つまらな過ぎて、逆に1日中寝込んでしまいそう。
・
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5月13日(日)、JR武蔵野線東所沢駅前。
JR武蔵野線に所沢の駅があるとは…、今の歳まで全く知らなかったんだよな。西武新宿線か池袋線だと思い込んでいたよ。

13日の前日、つまり12日(土)。たまたま所沢辺りを車で走行中、「滝の城まつり」の幟がいっぱい立っているのを見つけてしまいました。
そんなお祭りあったあった思い出したと、さっそくスマホで調べてみたら、武者行列あるのかー!天気予報は絶望的だったけど武者行列を始める頃は降水確率もまだまだ低そうだったし、それだけ見て家に帰ろうと思っていた。

お祭り当日はきっと東所沢駅周辺のパーキングも満車だらけになると思い、かなり早起きをして駅前のパーキングに車を停め、ガスト東所沢駅前店のモーニングを食べながら2時間近くも武者行列の開催時刻まで待っていた。
因みに武者行列の前の出し物は、お城の方で「よさこい」をやるっぽかったです。興味無いので無視。武者行列優先。

10時45分頃「いよいよだ」と意気込んでガストを後にし、東所沢駅前に戻るも…普通に閑散とした駅前のままでした。
暫く「おかしいなぁおかしいなぁ。小雨の場合は決行らしいけど、まだ雨も降っていないのに中止なんてことはあるまいに…」

何度も首をかしげながら駅の入口に置いてあったお祭りのチラシを1枚貰ってすぐ、公介氏が笑いを噛み殺したような凄まじく悔しそうな顔をしながら無言で指を差したチラシの位置。
なんだよっ!お祭りやるの来週(20日日曜日)じゃないか!どうして我々は今日(1週間前)だと思い込んでいたのだろう…?モーニングを食べながら待っていた2時間を返せ!それはそれで大変楽しかったけど。
お祭りフライングは、これで3度目なんだよな。飯能まつり、かっぱ橋道具まつり、そして今回の滝の城まつり。間抜け過ぎるにも程がある。だがそれがいい!!(全然よくない)。

そもそも、ガストでモーニングを食べる前に見ておいた武者行列順路の看板にもシッカリ日付け入っとったやんけ。

この日は寄居の北條まつり開催の日でもありました。「この天気予報じゃ、河川敷の合戦再現辺りで土砂降りかも知れない」と思い、結局今年も諦めたのでした。
…でも日付を勘違いしていなければ、「とりあえず」行ったかも知れないのに無念。ご当地グルメだって食べられたろうし、滝の城まつりと同じく雨が降る前に武者行列ぐらいは見物出来たかも知れないし。

来週のお祭り本番には来られないかも知れないので、ついでだからお城まで歩いてみることに決定!
つづく。

モンハンワールドだって、大型モンスター1匹倒したらもう寝る時間だよ?つまらな過ぎて、逆に1日中寝込んでしまいそう。
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5月13日(日)、JR武蔵野線東所沢駅前。
JR武蔵野線に所沢の駅があるとは…、今の歳まで全く知らなかったんだよな。西武新宿線か池袋線だと思い込んでいたよ。

13日の前日、つまり12日(土)。たまたま所沢辺りを車で走行中、「滝の城まつり」の幟がいっぱい立っているのを見つけてしまいました。
そんなお祭りあったあった思い出したと、さっそくスマホで調べてみたら、武者行列あるのかー!天気予報は絶望的だったけど武者行列を始める頃は降水確率もまだまだ低そうだったし、それだけ見て家に帰ろうと思っていた。

お祭り当日はきっと東所沢駅周辺のパーキングも満車だらけになると思い、かなり早起きをして駅前のパーキングに車を停め、ガスト東所沢駅前店のモーニングを食べながら2時間近くも武者行列の開催時刻まで待っていた。
因みに武者行列の前の出し物は、お城の方で「よさこい」をやるっぽかったです。興味無いので無視。武者行列優先。

10時45分頃「いよいよだ」と意気込んでガストを後にし、東所沢駅前に戻るも…普通に閑散とした駅前のままでした。
暫く「おかしいなぁおかしいなぁ。小雨の場合は決行らしいけど、まだ雨も降っていないのに中止なんてことはあるまいに…」

何度も首をかしげながら駅の入口に置いてあったお祭りのチラシを1枚貰ってすぐ、公介氏が笑いを噛み殺したような凄まじく悔しそうな顔をしながら無言で指を差したチラシの位置。
なんだよっ!お祭りやるの来週(20日日曜日)じゃないか!どうして我々は今日(1週間前)だと思い込んでいたのだろう…?モーニングを食べながら待っていた2時間を返せ!それはそれで大変楽しかったけど。
お祭りフライングは、これで3度目なんだよな。飯能まつり、かっぱ橋道具まつり、そして今回の滝の城まつり。間抜け過ぎるにも程がある。だがそれがいい!!(全然よくない)。

そもそも、ガストでモーニングを食べる前に見ておいた武者行列順路の看板にもシッカリ日付け入っとったやんけ。

この日は寄居の北條まつり開催の日でもありました。「この天気予報じゃ、河川敷の合戦再現辺りで土砂降りかも知れない」と思い、結局今年も諦めたのでした。
…でも日付を勘違いしていなければ、「とりあえず」行ったかも知れないのに無念。ご当地グルメだって食べられたろうし、滝の城まつりと同じく雨が降る前に武者行列ぐらいは見物出来たかも知れないし。

来週のお祭り本番には来られないかも知れないので、ついでだからお城まで歩いてみることに決定!
つづく。
