初めての沼田城 3 巨大天狗のお面と 鐘楼 と 平八石

 「ネットでこんなの見つけたからやってみなされ」と公介氏に教えて貰い、足の裏に湿布を2枚貼るようになってからすこぶる調子イイ。今のところ調子イイのは足のみだけど。

 足の甲など、浮腫み過ぎて毛細血管がプチプチ切れて所々痣のようなものが出来てしまい、ふくらはぎもパツンパツンに固くなっていたのが湿布を貼って一晩寝ただけで解消されてしまいました。足の裏も甲も軽いし、ふくらはぎもフニャフニャ。まるで魔法。

 もちろん、椅子に座っていたり台所で立ち仕事をしている間に少しずつ元に戻って来てしまうけど、毎日リセットされて浮腫みが上乗せにならないだけで充分シアワセだ。

 左足に比べて全然大したこと無かった右足も、やっぱり湿布を貼って一晩寝ると全然違うんだよな。一生止められないかも知れない。


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 初めての沼田城 2 からのつづき。


 天狗堂という建物があったよ。由来は↓こんな感じ。

 天狗面の由来

 このお堂にある天狗面は、昭和34年11月に迦葉山の大天狗面の分身として沼田市観光協会が製作した、顔の長さ3メートル、顔の幅2メートル、鼻の高さ1.4メートル、重さ1トンで木彫りの天狗面としては日本一の大きさを誇る(彫刻者:吉沢俊三郎氏)。同年、市内の祭りに初めて天狗踊りの行列が登場し、全国でも稀な行事として賑わいを見せた。
 天狗面は迦葉山弥勒寺の鎮守である中峰尊者の化身だといわれる。
 弥勒寺は嘉祥元年(848年)に創建され、康正2年(1456年)に点巽慶順禅師によって曹洞宗に改修した。禅師が大盛禅師に住職の座を譲ると、「我迦葉佛の化身にて己に権化化行は終わった。よって今後は永くこの山に霊し末世の衆生を抜苦与楽せん」と誓願して案山峰から昇天し、後に天狗の面が残されたといわれる。それを中峯尊と称して祭り進行を集めている。

 現在、弥勒寺には地元商工会の有志が奉納した顔の長さ6.5メートル、鼻の長さ2.8メートルの日本一の大天狗面が安置されている。

2016年7月23日 群馬県 沼田市 沼田城址公園 天狗堂 12016年7月23日 群馬県 沼田市 沼田城址公園 天狗堂 2


 でけー!お鼻もご立派。その辺をウロウロしていた赤ちゃんも、お母さんに抱っこされて見せて貰って「おっきい~!」と言って笑っていた。

 しかしよく怖がりもせずニコニコしていたな。こんなのを見せられたら普通は号泣する年齢だよ。あの赤ちゃんは将来きっと大物になる。

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 …で、天狗はユダヤ教のラビにソックリって話があるけど、ホント天狗にしか見えない。こんな偶然があってイイものなのか(※元・月刊ムー定期購読者)。

 ユダヤ教のラビ 画像検索



2016年7月23日 群馬県 沼田市 沼田城址公園 天狗堂 の巨大天狗面


 次は平八石。ココに謀殺された沼田平八郎さんの首級が乗っかっていたかと思うと、さすがにブルッと来る。昌幸さん鬼畜過ぎる。そこがまたイイんですが。

 平八石の由来

 沼田平八郎景義の首級を載せた石。平八郎は沼田城(蔵内城)を築いた沼田氏12代顕泰の側室の子で、摩利支天の再来とまでいわれた勇将。
 顕泰は城を嫡子朝憲に譲り、平八郎を連れ川場村天神城へ隠居したが、側室とその兄金子美濃守らにそそのかされて、永禄12年(1569年)正月、朝憲を呼びよせて謀殺。そのため顕泰、平八郎は沼田勢に追われ会津へ逃げた。
 平八郎は12年の後、沼田城奪還の兵を挙げて沼田に迫った。真田昌幸は戦っては平八郎勝てないと知り城中に居た金子美濃守をだました。
 貪欲な美濃守は、己が栄進したいため平八郎に会い武装を解き、こっそり場内に入れて「お前が必ず城主になれるようにしてやる。」と偽り、城内へ誘い入れて殺害した。風雲児の最後また哀れだった。
 時に天正9年(1581年)3月14日(一説は15日)42歳。平八郎の首は昌幸が実検の後、この石の上に置いた。
 亡骸は町田町の小沢城址に葬り、沼田大明神として祀ったが首級は此処から亡骸を埋めたところまで飛んで行ったという。

 (岸 大洞 文撰)


2016年7月23日 群馬県 沼田市 沼田城址公園 平八石


 やっと鐘楼に辿り着いた…。疲れた…。

 でもコレと言ってなんつーか特別古い物でも無いし、近くで見ると若干期待はずれ。

  鐘楼

 真田氏が沼田城主時代は場内に建てられていたが 廃城により取りこわされた 明治二十年ごろ沼田町役場(藩役所跡 現市役所)東北隅に楼を建て 柳町歓楽院の梵鐘を借りて時の鐘にした 十年後に楼を修復した際その鐘を返し平等寺で保存の城鐘を懸け替えた
 以来鐘楼は鐘橦堂と呼ばれ 戦時下にも供出をまぬがれたその鐘の音は 永く市民に親しまれてきた 昭和三十九年市役所庁舎建設に際し撤去されたが 市民の熱望により城の本丸跡のここに移して復元新築された

 昭和五十八年三月
 沼田市教育委員会

 県指定重要文化財城鐘は中央公民館で展示しています。この鐘楼にある鐘は城鐘の代わりとなる梵鐘です。

 ↑一番下の追記以外は、句読点が無くて違和感ある。深谷城址公園へ行った時に見つけた「みかんの花咲く丘」の歌碑についての解説文は、逆に句読点多過ぎて読み難かった。

 みかんの花咲く丘の日記 http://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-164.html

 池波正太郎の文も意外と句読点多くて、以前のブログはチョット真似していた所為で自分でも読み難くなって途中で嫌んなってしまったのですが、とりあえず公園や史跡の中にある解説の文体はなるべく統一して欲しいものだよなぁと思った。


2016年7月23日 群馬県 沼田市 沼田城址公園 鐘楼の前2016年7月23日 群馬県 沼田市 沼田城址公園 年表


 ↓本丸跡からの眺めと、2013年の夏に登った、長野県上田市にある砥石城址(戸石城)からの眺め。ココも真田のお城です。

 沼田城は車で行けてしまうので、この眺めを見るまでこんな高い場所にあるってなかなか実感沸かないけど、砥石城の場合はお城の建っていた場所へ行くまで普通に800mぐらいの登山をするので、真夏だったこの時は本当にキツかったよ…。入口にある杖と、途中でロープを掴みながら上り下りしなければならない急勾配があるので軍手も必須。でもロープの場所は逆に杖がお荷物になり、ヘトヘト。


2016年7月23日 群馬県 沼田市 沼田城址公園 本丸辺りからの眺め2013年8月1日 長野県 上田市 砥石城 頂上からの眺め


 ↓「戦国無双4」の高札。これ以外にもたくさん立っていたんだと思う。


2016年7月23日 群馬県 沼田市 沼田城址公園 戦国無双4の高札


 元々歴史の授業は好きだったけど「信長の野望・武将風雲録」のお陰で特に戦国時代に興味を持つようになったこともあり、ゲームや小説や漫画本で歴史に興味を持つのも充分アリだと思っている。

 そういうのを変にバカにするヒトっているじゃん。でも公介氏は中学時代に読んだ歴史小説などの影響で日本史の教員免許を取ったんだと思うし、好きになるキッカケなんてどーでもイイんじゃないかね。

 …そんなことより足の裏の湿布なんだよ。

 とにかく疲れ易くて登下校だけで体力を使い果たし授業も頭に入らないほどに落第生だったけど、その時代にこの湿布療法を知っていれば人生変わっていたかも知れない。時間を巻き戻せないのが切ない。
 
 つづく。


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