初めての沼田城 2 旧生方家住宅、旧土岐家洋館

 散々待たされた挙句(予約時間から1時間遅れ)、千円カットの方が百倍マシだっつーほど適当にカットされて死ぬほどガッカリした。前髪なんか完全に斜めだったし。

 お犬に例えるとコッカースパニエル的なクセ毛だから、シャンプーの後にカットして貰う方が確実だとは思うけど、シャンプーだけで終わらせてくれるなら洗って貰うの大好きなのに、絶対にリンスされるじゃん。アレが嫌なんだよ過剰にコッテリしているし。後で痒くなって来る。

 前髪は自分で切り直した。金返せ畜生。

 「ガイアが俺にもっと輝けと囁いている」フンイキの従業員さんは一体何処へ行ってしまったのだろう?凄まじく丁寧に切って貰えたんだよな。その後はハズレばかり。昨日は目も当てられない大ハズレ。ガイアのヒトを指名をしたくても見かけないし…。

 ガイアのヒトは、美容院での無駄会話大の苦手の自分でもそんなに嫌な気しなかった。それにブローをして貰っただけで公介氏が「すげー」って気がつくほど髪の毛ツヤツヤになった。アレからホント一度も見ていない。腕のイイヒトはすぐに独立してしまうのだろうか。

 アレなら千円カットで毎月前髪だけ切って貰う方がイイや。たまーに美容院に行って全体を整えて貰うぐらいで充分です。でもあのお店はもう止め。だってもうガイアのヒトいないし…。

 美容院の後は「餃子の満州」に行った。8月限定のレバニラセットを食べたけど、いつも食べているのと何が違う…?ああ、値段が何十円か安くなっているんだな。ちょっと嬉しい。

 朝からビスケットしか食べていなかったので、美容院で待たされている間に何となく水分不足と凄まじい空腹感で頭痛くなるほどだった。でもピッチャーの水をガーッと2杯飲んでレバニラを食べたら、現金なほどに回復。美味しかったごちそうさま。


2016年8月13日 ぎょうざの満州 8月限定 レバニラセット


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 初めての沼田城 1 からのつづき。

 あまし興味無かったけど、せっかくなので旧生方家の住宅と土岐家の洋館を見学することにした。

 生方家はお薬屋さんで、沼田藩にも出入りをしていたらしい。元々は沼田の違う住所にあったものを移築した国の重要文化財。

 で、普通に一部屋一部屋見て行って最後に辿り着いた一番突き当たりの部屋だったかな。そこは天井が異常に高いのに窓が1つも無く、奉公人やお嫁さんを閉じ込めておく部屋とのことだった。闇が深過ぎる…。

 奉公人でさえドン引きなのにお嫁さんまで…。「おしん」のような世界だったのかな。


2016年7月23日 群馬県 沼田市 沼田城址公園 旧生家住宅


 次は旧土岐家洋館。生方家の家も土岐家の家も、撮影可なのかどうかよく判らなくて外観以外は撮らなかった。

 この土岐家はちゃんと美濃の土岐家だったよ。旗本として続いていたんですか。しかも沼田藩主になっていたとは。
 
 「信長の野望」の古いシナリオでは、あまりに使えないのでいきなり暗殺していた気がする。本当に申し訳ありません。

 …しかし呆れ帰るほど暗殺三昧だったなぁ。途中で「これじゃイカン人間ダメになる!」と反省して、武力・知力などの能力はさておき剣豪系、鉄砲系、騎馬系、水軍系、忍者系、僧侶系、宮司系、茶人系、あまり使えなくても読んだ小説に登場した人物を覚えている限り…という感じでまとめるようになった。それでもあぶれるほど使えないのは迷わず暗殺(※反省の色無し)。

 収集癖のある自分にとって、上記の遊び方は徹夜するほど楽しかったなぁ。またやりたいなぁ烈風伝。

 …旧土岐家洋館の部屋は、江戸川乱歩や横溝正史の小説に登場するようなフンイキだった。特に出入口のシンプルなステンドグラス。一目でお気に入りになってしまった。

 1室1室はわりと狭かったよ。応接間(?)もチョット窮屈な感じ。


2016年7月23日 群馬県 沼田市 沼田城址公園 ほこら2016年7月23日 群馬県 沼田市 沼田城址公園 旧土岐邸 洋館


 沼田城に戻って、西櫓の石垣&石段。

 天文元年(1532)頃に沼田顕泰によって築かれた沼田(倉内)城は、上杉。武田(真田)・北条氏などの有力大名の狭間にあり、その属城として幾多の変遷をたどってきたが、天正18年(1590)の北条氏滅亡以降は正式に真田氏の所有する城となった。真田昌幸の嫡男信幸は、初代城主として城郭の大改修を手がけ、慶長年間(1591~1614)には五重の天守をはじめ各種櫓や門などを建造して近世城郭として整備を行った。しかし、天和元年(1681)に真田氏が改易になると城は壊された。その後、本多・黒田・土岐氏と城主は代わり明治を迎えたか、城の本格的な復興はされなかった。
 発掘調査により発見されたこの石垣や石段は、西櫓台(前方の小高い部分)に伴うものであり、出土した瓦などから真田時代の遺稿と考えられる。5代城主信利(信澄)の改易により、翌年は跡形もなく破却されたと云われていたが、壊されずに地中に埋められていた部分が、300年以上を経て再び往時の姿を現したのである。

 発掘部分石垣 石段(全長27.5m 石垣の高さ0.8~2.0m 石段の幅2.4m)

 沼田市・沼田市教育委員会

 説明を見ると、完全に何もかも破壊されたと考えられていたのか。壊すより埋めたてる方が何百倍も大変そう。

 この石段の所の石垣も甲府城の時と同じくペチペチしてみた。全然ビクともしなかったな。

 甲府城の石垣をペチペチしてみた時の日記 http://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-139.html


2016年7月9日 群馬県 沼田市 沼田城址公園 西櫓台 石垣 石段 12016年7月9日 群馬県 沼田市 沼田城址公園 西櫓台 石垣 石段 解説2016年7月23日 群馬県 沼田市 沼田城址公園 西櫓台 石垣 石段 1


 真田信之、小松姫の像。やっとマトモ(?)な真田のヒトを発見。ここまで来る間に、「戦国無双4」の高札の前を通り過ぎたりもしたけど。

 因みに「戦国無双」はやったこと無し。「戦国BASARA」も同じく。

 「無双」はイイとして、戦国時代に婆沙羅という言葉は既に廃れていたんじゃないかって個人的に考えていた。タイトルの由来を知らないので「あえてそうした」とのことであれば「そうなんかー…」と受け入れるけど、やっぱりどうしても言葉として古臭いイメージを拭えないのであります。要するに「死語」っぽいのであります。

 婆沙羅ってのは、南北朝時代辺りから登場し始める「婆沙羅大名」と呼ばれていたヒト達のこと。戦国時代~は傾奇者でしょう。

 そんなわけで「戦国BASARA」というタイトルには発売された時から違和感を持ち続けていたけど、wikiを見てみるとまさにその通りのことが書いてあった。戦国時代の史料に「婆娑羅」およびそれに類する表現は全くと言っていいほど無いんだって。「うつけ者」「傾奇者」が普通。

 ばさら wiki https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B0%E3%81%95%E3%82%89

 『戦国BASARA』のように「戦国」と「ばさら」を組み合わせるのは誤りだとしている。
   https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B0%E3%81%95%E3%82%89#cite_note-6


 ↑あースッキリした。 鍛代敏夫さんどうもありがとう。自分の疑問が間違いで無かったことを証明してくれて。

 鍛代敏夫wiki

  因みに信州上田市の方は、2011年に初めて訪れた時からずっと「戦国BASARA」推しのような気がする。

 上記の土岐氏のご先祖様である土岐頼遠も婆娑羅大名だったようであります。まさに婆娑羅の真髄?である下剋上で末裔が斉藤道三に敗れてしまったんだな。
 
 …そういや斉藤道三は、今や親子2代で美濃を乗っ取ったのが定説らしい。もちろん道三と義龍ではなく、道三の父と道三の2代。

 司馬遼太郎「の国盗り物語」好きだったから2人説はまだピンと来ないけど、それはそれ。


2016年7月23日 群馬県 沼田市 沼田城址公園 真田信之 小松姫 像


 鐘楼に辿りつくまでまだまだです。もう既にお腹ペコペコだったよ。


2016年7月23日 群馬県 沼田市 沼田城址公園 鐘楼



 つづく。


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