青木村の旅 2015年8月 その5 旅館の朝ご飯と歴史文化資料館


 その4 http://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-15.html


 朝ご飯もおひつを空にしてしまいました。この2日間の我々はどうかしていたと思う。この旅行から帰って来て今まで、これほど白ご飯を食べまくった日はありません。


2015年8月 田沢温泉 旅館の朝ご飯


 チェックアウト時間よりも早めにお暇して、去年に寄りそびれた青木村歴史文化資料館へ。図書館、民俗資料館歴史文化資料館は地続きで、だから判り難いんだな。図書館が入口でした。そこから渡り廊下を歩いて資料館へ。

 民俗資料館の方は、生活用品の移り変わりみたいな物を順々に展示してある。何処の市町村の資料館とも展示品がかぶっていると思う。

 大昔の玩具の中にブリキのポンポン丸が混じっていたよ。これは今も駄菓子屋で普通に売っている。自分も貰い物を持っているし、箱まで同じだ。
 

2015年8月 青木村民族資料館2015年8月 青木村歴史文化資料館 ポンポン丸


 民俗資料館は適当に切り上げて、いよいよ歴史文化資料館。ここは青木村義民の資料と、栗林一石路(プロレタリアのヒト)の資料、それと古代遺跡の資料を見ることが出来るです。


2015年8月 青木村民族資料館青木村民族資料館 義民資料展示室


 ↓これを見ると、別に青木村に限ったことではなく信州各地でやられていたんだな。


青木村民族資料館 信濃の主な農民一揆青木村民族資料館 文化の勇吉


 青木村周辺で決起された一揆の一覧表みたいなのが展示されていたけど、写真がボケボケなので頑張って書き直してみた。青木村という村の名前は「青木中学校付近に生えていたネズの木に由来する。」(wikiより)とのことなので、「夕立と一揆は青木から」のキャッチコピーはそれほど古いものではないとバレてしまいました。

 青木村wiki

 やはりどうしても真田贔屓になってしまうのが人情で、「上田藩の一揆もきっと仙石や松平が統治してから増えたのだろう」と思っていたけど…、

 慶長 11 多数欠け落ち、真田信之飛散農民をつれ戻す。

 ↑これで大笑いしてしまった。つれ戻すwww信之さん直々に説得したのだろうか。

 ただ、代表されるのは「上田騒動」と呼ばれている宝暦と明治に起こった一揆だそうで、どちらも松平の統治中。


青木村民族資料館 上田藩の農民一揆 ※クリックすると少し大きくなって読み易くなります。



  青木村の農民一揆

  青木村域で
 
  (当郷・村松郷・入田沢村・中挟村・中村・下奈良本村
   沓掛村・夫神村・殿戸村が合併して青木村となる。)
 
  起きた農民一揆は5件を数える。
 
  法で定められた手続きをとらないで、直接藩主や上級
  の役人、役所に訴え出る「越訴」が2件

    天和 2年(1682)入奈良本村から
    享保 6年(1721)中挟村から 


  直接訴えることにかわりないが、文書等によって
  嘆願という形をとる「愁訴」が1件

    文化 6年(1809)6月27日 入奈良本村から


  本村域から発生し、上田藩全領に及び、多数の農民が
  力ずくで要求する「強訴」と共に、富商・割番・庄屋
  宅等を破壊した「打ちこわし」が2件である。

    宝暦11年(1761)12月11日 夫神村から     
    明治 2年(1869) 8月16日 入奈良本村から


  当時、以上の行為はすべて法により禁止されていた。




     天和の増田与兵衛

   天和2年(1682)入奈良本村の与兵衛は、村人の生活苦と庄
  屋の不正をときの上田藩主仙石政明に直訴した。この訴えは
  聞き届けられたが、法により二人の子どもとともに死罪をい
  い渡され、夫神川原で斬首された。
   このとき、当日の朝になって藩主から急に、与兵衛父子の
  処刑中止の命令がなされた。これを伝えに支社が早馬で刑場
  に向かったが、四ツ谷まで来ると、父子はすでに処刑の座に
  着いているのが見える。使者は「その刑待て」と叫んだが、
  執行役人は「早く斬れ」と聞きまちがえて、使者が着く直前
  に父子の首は落とされたという。




   享保の平林新七

  中挟村の駕篭入れ地籍は、以前から検見の行われない所
 とされていたが、正徳の末から享保のはじめ頃、このしきた
 りを破って検見役人がこの地に入った。
  中挟村の組頭新七は、検見が行われると年貢がふえること
 を恐れ、今まで通りにしてほしいと何度も願ったが、聞き入
 られず、ついに役人を鎌で切り殺してしまった。
  藩では、役人にも落ち度があるとして、新七は通報処分にと
 どまり、中挟村は45俵の年貢がへらされることになった。
  しかし、新七は死罪になったという説も残る。中挟区月夜
 平にある新七の墓には、享保6年(1721)没と刻まれている。 




   文化の堀内勇吉

  文化6年(1809)入奈良本村の農民が、庄屋の不法を訴えて
 三手に別れて上田城下に押し出した。この先頭にたったのが
 組頭の勇吉である。途中、度重なる村役人や問屋の妨害にも
 屈せず城下に達した。しかし、願い書を直接藩役人に渡すこ
 とはできず、問屋を通じて奉行所へ差し出して引上げた。
  その後、問屋らはうつわでことを解決させようとしたが、
 農民側はあくまで裁判を受けたいと主張した。
  約1か年の裁判の末、勇吉永牢以下重い罰を課せられた
 のに対して、庄屋方はお役御免となり、願いの筋は通った。
  勇吉は、翌文化7年12月14日牢死。58才であった。




   明治の騒動

  明治2年(1869)8月16日、入奈良本村から一揆が起こっ
 た。翌17日、上田藩のほかの村々の農民も呼応し、それぞれ
 願いをかかかげて上田城下に乱入、藩当局に強訴かると同時に
 町方の豪商宅を打ちこわし、焼き打ちをかけた。火は折から
 の強風にあおられて燃え広がり214戸が焼失した。
  18日から19日にかけてさらに数を増した農民は、村方
 の割番、庄屋、富商宅を49か村にわたって打ちこわした。
  まさに「よならし大一揆」であった。
 この一揆税の願いは大半聞きどけられたが、首謀者として
 九良右衛門は死罪、ときに65歳であった。




   受け継がれてきた義民の心

  宝暦騒動の首謀者半平は、新七の越訴事件のときには17歳
 の多感な青年であった。そして、彼が騒動を起こす2年前に
 与兵衛が神に祀られたことが、一揆の首謀者になることを決意
 させる精神的背景になったことが推測できる。
  宝暦騒動のときに9歳であり、新七稲荷が祀られたときに15
 歳であった勇吉が、文化の愁訴事件の首謀者になった。しかも、
 年齢が宝暦騒動の首謀者半平と同じ57歳である。果たして偶
 然と言いきれるだろうか。
  この文化の騒動で牢死した勇吉も神に祀られたが、場所は与
 兵衛明神のすぐそばである。
  天和。享保・文化の義民が没した日、あるいは騒動に起きた日
 を祭日とし、村中が祠の前に集まって祭事を行い、義民の徳
 を賛えた。
  さらには日常の会話にも、その由来が口から口へ語り伝えら
 れながら、義民の徳は仰がれ、農民の手本として世代から世代へ
 受け継がれていったことであろう。
  だから、この地には、第2、第3の与兵衛、新七とし???
 半平、浅之丞が、さらには勇吉、九良右衛門が出現したので
 はなかろうか。

            横山十四男著「上田藩農民騒動史」より

 ※↑は全て↓この画像に乗っている案内を書き写しました。



青木村民族資料館 青木村の農民一揆 他






 入奈良本村の農民、オラつき過ぎにも程がある。余ほど貧しかったんだろうか。…こんなことを言ってはバチが当たりそうだけど、あまり悲壮感が無くて何故か楽しそうに見えてしまうんだよなぁ。

 又五郎「俺がやるよ。」

 弥五兵衛「いやここは俺がやるよ」

 与兵衛「じゃあ俺がやるよ」

 又&弥五「どうぞ どうぞ」

 …なんてやり取りも実際あったかも知れない。引っ込みつかなくなって首謀者とか。

 ただ、たとえ罪人でも死後に神として祀てくれるからな。藩主のヒトは堪ったもんじゃなかったと思うけど、面白過ぎる。

 そんな義民魂に惚れ込んだわけですが、そのわりに現代の青木村のIngressプレイヤーは緑色(レジスタンスではない方)ばかりで情けない…。それって矛盾してないか?画面を見た時に失望してしまいました。シッカリ攻めて帰って来たけど。

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 ↓画像の木の札は罪状書きのような警告のような、そんなもの。

    夫神村 組頭 浅之丞
    同 村 百姓 半 平

 一、右の二人は、去る巳の十二月十二日百姓どもの強訴のとき、
   最初から先頭にたってはたらいていた。
   強訴に参加しない村々へは火をつけ、打ちこわすとおどしたので、
   訳を知らない者も騒動に参加した。このことにつ
   いて取り調べたところ、
   右の二人が自分たちが張本にになって言いふらしたと白状した。
   これは法に背くことであり、とんでもないことである。
   よって死罪を申しつけるものである。
   もし、今後このようなことがあれば、
   もっときびしい罰をくだすから決してしてはならない。

    未の三月 

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 ・

 …命が軽いよなー。こんな軽く扱われるぐらいなら、神になって皆に崇められた方が余ほどシアワセなのかも知れない。


青木村民族資料館 夫神村 組頭 浅之丞青木村民族資料館 承応3年 貫高帳



青木村民族資料館 享保の新七青木村民族資料館 青木村ロゴの木製ベンチ


 思っていたよりもぜんぜん面白くて、けっこう長居をしてしまいました。この後は去年も寄ったところに行きます。


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