川越市立博物館 家康没後400年記念特別展 徳川家康と天海大僧正

 川越喜多院 菊まつりからのつづき。

 喜多院の菊まつりを見た後、川越城(本丸御殿)へ向かいました。そしたら手前の川越市立博物館で「家康没後400年記念特別展 徳川家康と天海大僧正-家康の神格化と天海-」という特別展をやっていたので、せっかくなので見ることにしました。
 
 いつも車で通り過ぎるだけで、なかなか訪れてみる機会が無かったんだよな。それは本丸御殿も同じ。


2017年11月19日 川越市立博物館2017年11月19日 川越市立博物館 家康没後400年記念特別展 徳川家康と天海大僧正 家康の神格化と天海


 館内は撮影禁止だったので、パンフレットから。喜多院の慈眼堂に安置されているホンモノの展開相乗坐像と、常設展にある複製。

 まず特別展を見てから、常設展でタイミング良く始まった学芸員さんによるガイドが凄く為になった&楽しかったな。普段は何となくプラプラ歩いている川越の街も、建物にしろ歩道にしろ1つ1つ「なるほどねー」と意識しつつ散策出来るようになったのは大きいです。

 小諸城の時もそうだったけど、職員さんの話はホント為になる。

 長野 城巡りの旅 02 小諸城址 (懐古園) 1 http://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-203.html

 天海僧正坐像の複製の前で、「特別展の方にある坐像は喜多院から借りて来たもので、もしかしたら一生に一度見られるか見られないか…も知れませんよーwww」なんて煽られたもんだから慌ててしまい、学芸員さんのガイドが終わってからもう一度そそくさ特別展の方へ向かい、坐像のホンモノまじまじ堪能させて貰いました。目に焼きついた(多分)。

 特別展で展示された物がダーッとプリントされている紙を貰って来たけど、あまりに多過ぎて打ち込んでいられない。撮影禁止なので、1つ1つメモを取っているヒトもいたな。

 家康が亡くなり、崇伝が吉田神道の「大明神」(秀吉と同じ)で祀ろうとしたところ、天海が山王一実神道…?の「大権現」神号で祀ると言い、天海の主張が通ったんだっけ。
 
 家康神格化に於ける天海の執念?と言ったら鬼のようなんだよな。関連書物を何冊か読めば充分過ぎるほど理解出来ると思うけど、展示物を見てさらに「すげー」って。不思議な魅力があるよなぁ天海って。

 この日記を見てくれた僅か数人のヒト達でも、「面白そうやんけ見に行ったろ」と思ってくれたら本望…って、なんだよっ!特別展12月3日で終わっちゃったんじゃないか!

 見に行ったのが11月19日で、せめて25日ぐらいまでには日記を書き終えておきたかった(※何故か眠くてそれどころじゃなかった)。けど常設展だけでも凄く面白かったよ。ホントにおススメだよ。

 いやー良かったー楽しかったー。これは一生の思い出になるな。

 アオキノコちゃんに会えなかったのは残念だったけど、今年は泣く泣く青木村産業祭りを諦めて正解だった。

 青木村産業祭 2016 http://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-253.html


2017年11月19日 川越市立博物館 天海僧正坐像 本物 (パンフレットより)2017年11月19日 川越市立博物館 天海僧正坐像 レプリカ (パンフレットより)


 館内の中庭(?)にドドーンと設置されている蔵の屋根の鬼瓦は撮影可だった。ココも学芸員さんが解説してくれて、蔵の街の通りで一番大きな家の物(複製)だそうです。鬼瓦の上の影盛という部分が分厚い。

 大きい=羽振りがイイ店ということらしく、確か現在は刃物屋さんの建物だったかな。学芸員さんのお話通り、ホンモノの方は改修工事中でちょっと残念だった。

 蔵の黒い漆喰壁も、元々はショーウィンドウのように道行くヒト達を写すほどだったらしい。当時の左官職人さん達が磨き上げて、なんつーか…ピカピカ泥団子を作るのと同じような原理なんだろうか?館内で確認出来るよ。

 蔵の観音扉には僅かな隙間があり、火災の時にはその隙間に漆喰を埋めて蔵の中の物を守る。で、漆喰ではなく味噌を埋め込んだ痕跡もあるらしい。焼き味噌になっていたそうで、ああ、焼き味噌と言えば…どうか「あの話」だけは嘘でもイイから「造り話」なんて野暮なことは言いっこ無しでいて欲しい。

 川越市立博物館。学芸員さんのガイドのお陰で川越の街の全てを知った気にさせてくれる楽しい所でした。


2017年11月19日 川越市立博物館 館内 鬼瓦 影盛など2017年11月19日 川越 蔵の街 まちかん刃物店 (※改修工事中)


 学芸員さんのガイドは、けっこう長い。全く退屈しなくてホント楽しかったけど、本丸御殿を見る時間がなくなってしまいました。また次の機会に。

 コインパーキングに戻る途中で見つけた、川越城の中ノ門堀跡。ココも車で通過してしまうので、こんなのあることすら知らなかった。なんて勿体無いことをしていたんだろう…つっても、けっこう新しいものだった。


2017年11月19日 川越城 中ノ門堀跡 1


 水は張っていないけど、深く掘ってある。このお堀沿いに住んでいる家のヒト達が羨ましい。

 川越城と中ノ門堀

 川越城は、長禄元年(1457)に扇谷上杉持朝の家臣である太田道真・道灌父子によって築城されました。当時、持朝は古賀公方足利成氏と北武蔵の覇権を巡る攻防の渦中にあり、川越城の築城はこれに備えたものです。天文6年(1537)、小田原を本拠とする後北条氏は川越城を攻め落とし、同15年の河越夜戦によって北武蔵への支配を盤石なものとします。しかし、天正18年(1590)の豊臣秀吉の関東攻略に際しては前田利家に攻められて落城します。江戸時代になると、川越城は江戸の北の守りとして重視され、親藩・譜代の大名が藩主に任じられました。寛永16年(1639)に藩主となった松平信綱は城の大規模な改修を行い、川越城は近世城郭としての体裁を整えるにいたりました。中ノ門堀はこの松平信綱による城の大改修の折に造られたものと考えられます。まだ天下が治まって間もないこの時代、戦いを想定して作られたのが中ノ門堀だったのです。
 現在地のあたりには、名前の由来となった中の門が建てられていました。加賀谷家所蔵の絵図によれば、中ノ門は2階建ての櫓門で、屋根は入母屋、本瓦葺き1階部分は梁行15尺2寸(4.605m)、桁行30尺3寸1分(9.183m)ほどの規模でした。棟筋を東西方向に向け、両側に土塁が取り付き、土塁の上には狭間を備えた土塀が巡っていました。

 ※本整備工事は、国土交通省まちづくり交付金・埼玉県観光資源魅力アップ事業の補助を受けて実施しました。

 新座市 野火止 平林寺 4 松平信綱一族の墓所など http://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-397.html

 中ノ門堀のしくみ

 中ノ門堀は戦いの際、敵が西大手門(市役所方面)から場内に攻め込んだ場合を想定して造られています。西大手門から本丸(博物館方面)をめざして侵入した敵は中ノ門堀を含む3本の堀に阻まれて直進できません。進撃の歩みがゆるんだところに、城兵が弓矢を射かけ鉄砲を撃ちかけるしくみでした。また、発掘調査では城の内側と外側で彫りの法面勾配が異なることがわかりました。中ノ門堀の当初の規模は深さ7m、18m、東側の法面勾配は60°西側は30°でした。つまり、城の内側では堀が壁のように切り立って、敵の行く手を阻んでいたのです。
 明治時代以降、川越城の多くの施設・建物が取り壊される中、中ノ門堀跡は旧場内に残る唯一の堀跡となりました。川越城の名残をとどめるこの堀跡を保存してゆこうという声が市民の間から起こり、川越市では平成20・21年度に整備工事を行いました。


2017年11月19日 川越城 中ノ門堀跡 22017年11月19日 川越城 中ノ門堀跡 3


 ちょっと飽き気味になっていた川越の街を、再び面白く感じられた1日だったであります。

 最後に、蔵の街の通りで見つけた↓このヒト(ピンクさん)に「ソックリwww」と大笑いされ、深く深く傷つきながら家路に着きました。


2017年11月19日 川越 蔵の街 縫いぐるみ

 おしまい。


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