長野 城巡りの旅 13 真田宝物館 真田邸

 一昨日、昨日と「ペルソナ5届くから宜しく」と言われていたのでずーっと待っていたんだけど一向に届かなくて、「1階のポストにでも入っているのかね?」とLINEで訊いてみたら、「コンビニ受け取りにしていたの忘れていた」だと。許すまじ。

 「PSO2」は、小林幸子のライブもどきを見た後辺りから急激に飽きて殆ど遊ばなくなってしまいました。でも約1年ぐらい遊べたし面白かったよ。

 小林幸子のライブもどき日記 http://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-190.html

 公介氏は暫く「ペルソナ5」を堪能すると思うので、PS4を返せば机の上も広くなるな。それとパソコンのモニタも返すんか。自分のは古過ぎてPS4に繋げられず、公介氏の大きなモニタと交換していたのでした。
 
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 そして先日100円ショップで見つけた豚毛のミニ毛玉取りブラシ。見た目の小っこ可愛さに釣られたのもあるけど、毛玉取り目的で買ったわけでは無い。既に大きな電動の毛玉取り器持っているし。

 これで背中をゴシゴシ掻いて貰うつもり。お犬のブラッシングかって…。でも痒いんだもん。
 
 公介氏が爪を切ったばかりor伸びて切る直前の状態の頃合いで掻いて貰うと猛烈に気持ちイイけど、それ以外の時はストレス溜まるぐらい中途半端な刺激で痒みが治まらないんだよな。それで買ってみた。

 アトピー肌でも、幸い背中にはブツブツもカサカサもそうそう出来ない。なのに何故か1日に何度か単純に痒くて仕方無い。「なんかブツブツ出来てる?」と訊いても「いや~全然」って。原因不明。

 でも暑い日に外出をして大汗をかいて、ブラジャーの痕がミミズ腫れみたいになって痒くなることはある。そんな時はギャツビーペーパーで拭いたりシャワーをちょっと浴びて、ウナクールを塗って貰うとすぐに治る。先日コレをやって身体が冷え過ぎたのか風邪ひいたけど…。

 ウナクールで風邪をひいた日記 http://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-172.html

 ↓けっこう可愛いよね?あまし100円商品にも見えないと思うし。


 2016年9月4日 100円 毛玉取りブラシ


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 長野 城巡りの旅 13 からのつづき。

 公介氏がクレープリーアンジェリーナで美味しいクレープを堪能して上田駅周辺を少しプラプラ見て回った後、松代城址に向かいました。

 クレープ日記 http://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-215.html

 松代と言えば、以前のブログにも書いたけど「魔天伝説 戦慄のオーパーツ」というスーパーファミコンのクソゲーにも登場したよな。確か宝物館も出て来た覚えあるような。

 富士山の辺りだったか…どういうワケか家康軍にも遭遇してモンスター達の出現に困っていたので助けた覚えもある。過去未来グチャグチャになった世界だったのかな。なんと言っても日本列島が地球から浮上してしまった状態だったし…。さすがに「原発どうするのよ。設定に無理無いか?」と思ったです。

 真田宝物館だけど、旅行中にずっと「真田秘宝館」と言っていたような気がする全くの無意識に。小っ恥ずかしい…。

 秘宝館って、温泉街にあるヱ呂い置物満載の暇潰し場所なんでしょ?公介氏がよく「御涙観音www」とか言っていたけど、大分経ってから北海道の秘宝館の展示物だと知った。一度もこーいう所行ったこと無いんだよなぁ。面白いのかな。
 
 そういや真田宝物館の近所に池田満寿夫美術館もあって、公介氏によれば「コッチの方が秘宝館よりも遥かにクッソヱ呂いんじゃないの?」とのことでした。なんかふくよかな奥さんといつも一緒にいる髪の毛ボサボサのオッサン…というイメージしか無い。そうかヱ呂いヒトだったのか…。

 それはイイとして、長野でよく見かける「ラーメン大学」のキャラクター可愛いな。フクちゃんっぽくて。

 ラーメン大学キャラ 大ちゃん 画像検索

 フクちゃん 画像検索


長野旅行で初めて見たラーメンチェーン店だったから物珍しくて一度は入ってみたいんだけど、わざわざ長野でラーメン…ってのもつまらないし、いつも通り過ぎるだけ。


2016年8月26日 ラーメン大学


 真田宝物館は、思っていた以上に楽しかった。

 ミュージアムショップで欲しい物は特に無かったけど、たとえば真田信之と石田三成の親しげな手紙とか、九度山蟄居中の幸村に鮭が送られて来て、それに対してのお礼状とかほのぼのする書状が展示されている。

 …それにしても昔のヒト達は鮭大好きだよな。すっごいご馳走だったのだろうか。自分も鮭は大好き。食べ易いしご飯のおかずにもおむすりの具にもなり、汁物にしても美味しい上に皮まで美味しく、身をほぐしたのとキュウリ揉みを寿司飯に混ぜただけでも美味しいし、万能お魚だ。氷頭なますも美味しいよな。

 脂も乗っているお陰で昔のヒトにとっては獣肉並に滋養強壮食材だったのかも知れない。

 大名なんて四六時中贈り物が届けられているようなイメージがあって一々直筆で御礼状なんて出さないイメージだったけど、心から喜んでいる感じの手紙とか、単なる愚痴だけをしたためた手紙とか…武士とはいえども今も昔もヒトの心なんて大して変わらないんだなーと、妙に和む。

 そうそう信之さんって、誰とでも仲良しだよな。仲の悪かったヒトっているの?

 三成とすら仲良しだったんだから、そのヒトの性格を見抜いて臨機応変に対応出来たヒトだったのだろう。自分にはとても真似出来ない。

 実際のところ、仙石権兵衛みたいな人間も羨ましいっちゃ羨ましいんだよ。たとえ猪でも秀でた部分があったから大名になれたんだろうし。

 …そういや困りきってしまったのが観光バスのお年寄り団体さん。お爺さん達はやっぱり興味津々で、「真田丸」から興味を持ったヒトも居たようでドラマの話を絡めながら楽しそうに語り合いつつ展示物を熱心に見学していたんだけど、お婆さん共の邪魔臭さと言ったら…。

 コッチの見たい展示物の目の前で微動だにせず、「せめて孫には良くしてやりたくて…」とか「ウチの孫は予防接種がどーのこーの…」みたいな展示物とは全く無関係の立ち話を延々続けているのであります。

 一体なんの為に宝物館まで来た?そんな話…自宅で黄な粉ねじりでもボリボリ食いながら…とか近所の喫茶店にでも集まって話せば済むことではないかね?もうホント意味解らなくて。

 話に夢中でイライラしているこちらにも気がついてくれず、いつくかの展示物は見られず仕舞いだった。迷惑千万の極み。

 …だから孫持ちの婆さんは嫌なんだよ。自分もそこそこ中途半端に年取っちゃったけど子供も孫もいないから、旅先でまであんな所帯臭いどーでもイイ話なんて…。こんな時ぐらいは非日常を楽しもうよ!そう思わん?

 とにかく孫!孫!孫!&孫!

 あと数年もしたら「おばあちゃんお口臭~い」と逃げられてお年玉の時以外は疎遠になるに決まっているのだ。可愛がるだけ損だから孫依存はよせって。もっと自分の為に残り少ない時間を使った方がシアワセだろうに…。そう思わん?


2016年8月26日 松代 真田宝物館 外2016年8月26日 松代 真田宝物館 中


 子供嫌いな上に邪魔をされまくって爆破寸前だったものだから、ついつい言葉が辛辣になってしまって申し訳ないです。でもホンッッット邪魔臭かったもので…。出来れは頭引っ叩いて無理矢理どかしたいぐらいだった。

 宝物館の後は真田邸に行ってみました。この辺りから「時間が足りなくなりそう…」な不安感に襲われ始めた。実際に時間切れで結局見物出来なかった場所もあったし。わざわざ共通チケット買ったのに。

 真田邸はまぁ普通にお家だったけど、職員のヒトが強制的に「こちらへどうぞ」「こちらへどうぞ」と言って見学の順番を決められてしまう。

 ウチにテレビ無くて見ていないから特に興味も無い「真田丸」関連の展示まで見ざるを得なくなったり、まぁ別にそれはイイんだけどとにかく時間が足りない…。15時頃から確か雨予報だったし、松代城址見学マトモに出来るだろうか…。そればかり考えてしまってあまり記憶に無いです。

 宝物館はもう一度ゆっくり見たいなぁ。どうか二度と団体婆さん共とかち合いませんように。


2016年8月26日 松代 真田邸


 つづく。


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長野 城巡りの旅 03 小諸城址 (懐古園) 2

 信州旅行から帰って来て晩ご飯代わりに食べようと思って買ってみた、名前は…マロンスナックだったかな?四角いスポンジに薄~くクリームが挟まっている。スポンジもクリームも栗の味は全くしなかったけど、ふわふわで美味しかった。

 しかし、一番美味しそうな表面の皮がセロファン(?)に全部持って行かれて剥がれちゃうのです。嗚呼もったいない…。

 「美味しかった」といえば、ワッサークイーンという桃の仲間もとてつもなく美味しかったですよ。もちろん道の駅あおきで購入。

 確かナントカ白桃とネクタリンの掛け合わせだったと思う。カリカリ梅のような食感と甘さと瑞々しさと…。果肉の色はブラッドオレンジ風。繊維が歯の隙間に挟まらないのも良かったな。

 他県にあまり出回らない品種らしく、そうと知っていれば記念に写真撮っといたのに…。もう1パック買えば良かった。

 
2016年8月26日 マロンスナック


 小諸城址は、懐古園という公園になっている。たまたま三ノ門から近い駐車場に車を停めた。

 今回は、懐古園の中にある小山敬三美術館、こもろ寅さん会館、神社2社、藤村記念館、動物園、微古館、小諸義塾記念館、大手門(展示)、児童遊園地…の中の、微古館と大手門の展示と神社1社と動物園だけで時間切れ。お城の遺構巡りだけでもかなりの時間を使ってしまう。


2016年8月25日 信州 小諸城址 懐古園 三ノ門


 去年、善光寺へ行った時に初めて知った言葉「牛に引かれて善光寺参り」。小諸が発祥の地だったのか。


 牛に引かれて善光寺参り 検索結果

 善光寺に行った時の日記 http://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-33.html


2016年8月25日 信州 小諸城址 懐古園 布引伝説発祥の地


 大手門。二階櫓内は資料展示室になっているとかで、見に行ってみました。

 櫓の中には職員の女性が1人いて、展示物とお城の説明が止まらないのです。西暦まで丸暗記で1つ1つ丁寧に説明してくれちゃうのであります。

 「どうしよう…どうしよう…」逃げることばかり考えていたけど、やっと終わって「あ、ありがとうございました」と一目散に逃げて…。
 
 公介「いやー…さっきのお土産屋さんといい、今日は恐ろしいことが続きますね」

 自分「死ぬかと思った…」

 しつこいお土産屋さんの日記 http://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-203.html

 …でも結果的に職員さんの説明のお陰で、この後からの遺構巡りがより愉快&楽になった。ただ見て回りながら「すげーすげー」と思うだけと、「あ!そういうことか!」って一々納得出来るのとでは楽しさも雲泥の差。職員さんどうもありがとう。とにかくコミュ障なもので、怖がったりして申し訳無かったです。


2016年8月25日 信州 小諸城址 懐古園 大手門 12016年8月25日 信州 小諸城址 懐古園 大手門 22016年8月25日 信州 小諸城址 懐古園 大手門 3


 懐古園のホームページを見てみると判るけど、大手門は小諸駅の線路で分断されてしまっている。これも職員さんに教えて貰って、「そういえば…」って。この後の小諸城散策日記は、殆ど職員さんの受け売りです。

 懐古園マップ http://www.city.komoro.lg.jp/institution/2014022504734/

 元々は草ボーボーで手入れもされておらず、大手門は民間の料理屋さんが買い取って商売をしていたらしい。その後は学校(小諸義塾)として使っていたり、それを市?国?が引き取ってなるべく当時の材料を残したまま改修したのが現在の大手門とのこと。屋根の鯱は約90㎝ぐらいで新しい物。職員さんは出来たばかりの鯱を目の前で見たとご自慢されてしまった。悔しい。

 この門は、仙石秀久(権兵衛)が藩主になった時に建てたものらしい。

 ドッシリと質実剛健とした造りで、「権兵衛のクセに生意気だ…」と思いつつも素直にカッコイイ。でも権兵衛のクセに(そんなに嫌いか)。国の重要文化財です。

 景色を見ると、確かに城下町の方が斜面の上の方にある。全国でも珍しい「穴城」という造りで、自然の断崖がお堀代わりになっているとのこと。

 その断崖が想像以上に凄くて、ここにお城を建てようと思った※武田信玄はやっぱり只者では無いと思ったわけです。
 
 実際に建てたのは大井光忠って家臣(信玄さんの親戚?)らしいけど、山本勘助が関係しているとも言われているっぽい。

 ※平安時代に小室太郎光兼という武将が後の小諸城の元になるお城を既に建てていた
 
 懐古園の歴史 http://www.city.komoro.lg.jp/institution/2014022504758/

 小諸城 wiki

 いやー、今まで行ったお城の中で2番目に感動したかも知れないな。

 1位・砥石城、2位・小諸城、3位・松本城…。どれも長野のお城じゃないか。
 
 つづく。


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舞鶴城公園 (甲府城) 2016 その1 天守台から富士山とか。

 4月30日の話だけど、甲府城(舞鶴城公園)楽しかったよ。石垣いっぱいで広くて富士山も見えて。けっこう高低差あって、ヘトヘトで隅から隅までは巡りきれなかったけど大満足だった。

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 平岩親吉、羽柴秀勝、加藤光泰、浅野長政・幸長…と、城代や城主がお馴染み過ぎるヒトばかりで、その後も大分経ってから柳沢吉保(←甲斐のヒトだった)が登場したり、よく知っているヒト達(…というの?)が出たり入ったりしているお城は単純に楽しい。


 稲荷櫓には常設展があるらしい。案内図を見てみると…ゲッ、鍛冶曲輪門からけっこう遠いんだな。地図で見るとほぼ端から端までの移動…。でもきっと楽しいだろうから頑張る。


2016年4月30日 舞鶴城公園 周辺 甲府シティシャトル2016年4月30日 舞鶴城公園 稲荷櫓常設展 甲府城物語


 この門が鍛冶曲輪門。この門から向かって右(東)にある日本庭園と自由広場辺りは鍛冶曲輪だった模様。

 鍛冶曲輪門 鍛冶曲輪と楽屋曲輪をつなぐ門です。明治の初めまでは残っていたものを絵図や発掘調査の成果をもとに、平成8年に復元しました。

 この鍛冶曲輪跡に、昔(明治10年)葡萄酒醸造所を建てたらしい。↓この甲府市のホームページにある年表を見ると、色々判って面白い。
 
 甲府市 甲府城 https://www.city.kofu.yamanashi.jp/welcome/rekishi/kofujyou.html


2016年4月30日 舞鶴城 鍛冶曲輪門


 大正11年、本丸跡に謝恩碑が建てられたとのこと。最初、お寺や神社にもよくある戦没者のヒト達の供養搭かなーと思った。

 恩賜林 wikihttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%A9%E8%B3%9C%E6%9E%97


2016年4月30日 舞鶴城公園 案内図2016年4月30日 舞鶴城公園 謝恩林


 鉄門(くろがねもん)は、2013年に復元。建物等は大体後から復元したものっぽい。甲府城の遺構は石垣とお堀。それと石切場跡もあったか。

 石垣はペチペチしてみても全くビクともしないよ。こんな頑丈でも大地震の威力には一溜まりもないんだな。築城名人・加藤清正の熊本城すら無残な姿になってしまったことを知った時は泣くかと思った。

 岐阜に存在したという帰雲城も、天正地震の際に山が崩れてお城も埋まり、城主の内ヶ島氏断絶。「帰雲城」なんてお城の名前もまた浮世離れした儚い感じがするし、埋蔵金伝説なんかもあるし…。

 やっぱり自然災害は怖いよ。海も山も川もただの地面もみーんな怖い。考えてみたら合戦も怖いんだよなぁ。地震と一緒でヒトがいっぱい犠牲になるし。


2016年4月30日 舞鶴城公園 鉄門(くろがねもん) 12016年4月30日 舞鶴城公園 鉄門(くろがねもん) 2


 天守台まで上ってみました。初雁PAよりも富士山クッキリ。

 初雁PAからの富士山 http://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-131.html

 臆病者&根性無しなので登頂なんて大それたことは1ミリも考えたこと無いけど、眺めるのは大好き。信長も、武田を滅ぼした帰り道に初めて富士山を見て喜んだというし、家康も富士見=不死身…的な願掛けをしていたのか最期まで富士山の見える土地に住みたがったという本を読んだ気がする。実際、昔のヒトにしては大長寿だ。

 でも噴火だけは勘弁して欲しい…。


2016年4月30日 舞鶴城公園 天守台からの眺め 富士山


 北側の景色は、2013年に建てられたという「時の鐘」が目立つ。この辺は土曜日(5月28日)のさくらんぼ狩りの帰りに少し歩いてみました。

 東の方を見下ろすと、常設展示場の稲荷櫓が見える。ココは車椅子を運ぶリフトも設置されているですよ。


2016年4月30日 舞鶴城公園 天守台からの眺め 時の鐘2016年4月30日 舞鶴城公園 天守台からの眺め 稲荷櫓


 天守台を遠目から見たところ。「これだけ立派な石垣が残っていたら、上に建物を乗せたくなる気持ちも解からないでもない」と公介氏。でも、現在の方が「兵どもが夢の跡」っぽい切なさが漂っていてイイと思うし、自分の頭の中で勝手に想像も出来るし、そのままの方がイイと思うなぁやっぱり。建てられたらそれはそれで楽しそうではあるとはいえ。

 ↓こんな風にぶっちゃけられてしまうと同情するしか無い。ただ、天守閣を建てたことで多少は観光客が増えたとしても、毎月200人ずつ減っているという人口まで回復するとは限らないのにどうするんだろう。

 存在しなかった(かもしれない)甲府城天守閣を「再建」したい地元の言い分
  http://j-town.net/yamanashi/column/gotochicolumn/141396.html?p=all


↓なんと署名まで募っていたのか(知らなかった)。ここまで本気だったとは。

 やまなしお城10万人ACTION http://oshiro-y.com/


2016年4月30日 舞鶴城公園 天守台


 つづく。


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2度目の騎西城

 堂々と「趣味」って言えるほどは数巡っていないとはいえ、名古屋城、駿府城、小田原城、躑躅ヶ崎館(武田神社)、宇都宮城、甲府城、松本城、上田城、砥石城…など、その辺の有名なお城は見に行きました。挙げたの以外は近所の小さなお城ばかり。
 
 そして羽生の用事の帰り、旧・騎西町、現・加須市の騎西城に寄ってみました。

 羽生の用事 http://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-114.html

 騎西城は2度目の訪問であります。近所と言えるかどうか微妙な距離だけど、埼玉県内のお城だからな。でもウチから一般道(国道17号)経由で約35kmなのに、東北自動車道経由は52~3kmだよ。面白いことに、東北道を使うと3分ぐらい到着予想が早くなる。

 千葉県野田市の関宿城は近所のお城に入るのだろうか?こちらは一般道、高速共にウチから約5~60km。

 同じ埼玉県内でも寄居町にある鉢形城の方が関宿城より5km~10kmも遠いので、どの辺りまでを近所と見ればいいのか解からなくなって来てしまいました。

 …ところで、ふともも&ふくらはぎの激痛筋肉痛はどうしたんだよ。そりゃー確かに痛かったけど、極端な段差以外は意外と平気だった…というより、せっかく面白いのに筋肉痛なんかどーでもいいよ。

 ふともも&ふくらはぎ http://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-114.html

 騎西城は2度目。何年か前の猛暑ドライブで偶然見つけたのが初訪問。

 お城の建物自体は、寸分違わぬ復元をしているわけでは無い。建っている場所も違うし、それは復元とは言えなくないか?何処までが「復元」と断言してしまって問題ない範囲なのかな。

 今はそんなお城もどきの騎西城だけど、歴史的に豪華で…。上杉謙信が何度も来ているんだよな。GACKT氏の謙信コスプレお馬さんパレードどころの話ではありません。

 前回は一般道を適当に走っていたらたまたま見つけたので、再訪の機会もなかなか訪れないだろうと思っていたけど、今回もたまたまでした。


2016年4月23日 加須市 騎西城 12016年4月23日 加須市 騎西城 2


2016年4月23日 加須市 騎西城 32016年4月23日 加須市 騎西城 案内看板


 騎西城跡

 騎西(私市)城は、いつ誰の手による築城かは不明だが、康正元年(一四五五)、上杉・長尾・庁鼻和氏などが守る城を、古河公方足利茂氏が攻略したのが初見である。永禄六年(一五六三)には、小田助三郎が守る騎西城を上杉輝虎(謙信)が攻め落としている。

 徳川家康が関東に入った天正十八年(一五九〇)、松平康重が二万石で城主となる。康重は大英寺(騎西)を開基し、保寧寺(日出安)に寺領を与えている。
その後、大久保忠常・忠職父子が城主となり、玉敷神社を現在地に遷座するなど、城下町騎西の再編を行った。寛永九年(一六三二)、忠職の美濃国加納城(岐阜県岐阜市)移封に伴い騎西城は廃城となった。


 -掘り出された騎西城-

 昭和五十四年からの発掘調査により、城郭・武家屋敷跡から戦国~江戸初期の堀跡や武器・武具・生活用具が出土している。
城の周囲は二重の障子堀が巡り、堀幅の最大は四五メートルであった。激戦に備え総力で築いたことを物語っている。


 出土品は多様で、国内外の陶磁器、矢じり・鎧金具・火打ち金等の金属製品がある。このほか、大量の漆・木製品も出土している。
漆黒の兜、金色に輝く馬の鎧、鶴文の漆椀に加え、下駄・荷札・呪符・護符など、いずれも城下の暮らしぶりを鮮やかに甦らせる。



 ご案内

 この施設は、騎西町の町制施工二十周年を記念して、昭和五十年に建てられたものです。
 かつて、この近くに騎西城があったことから、天主閣をもつ三層の建物として復元されましたが、
史実では周囲に土塁や堀を廻らした、平屋建ての城だったようです。
 館内には、発掘調査による出土品や民俗資料館などが展示されております。

 なお、藤まつり(4月下旬~5月上旬)及び文化祭(11月上旬)の期間に一般開放しておりますので、ご利用下さい。


 因みに、この日は4月23日でした。


2016年4月23日 加須市 騎西城 案内 1


 ・・・っ!!!


2016年4月23日 加須市 騎西城 案内2


 なんでなんだよおおおおおおぉぉぉ…。

 前回はかすりもしなかった(でも悔しかった)けど、今回はたったの6日差で貴重な一般開放を逃したことになるんだな。2月に行った横浜中華街の時も、ちょうど1週間後に春節というお祭りで悔しい思いをした。今年はツイていないと思いきや(つづく)。


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青木村の旅 2015年8月 その5 旅館の朝ご飯と歴史文化資料館


 その4 http://zabutonguma.blog.fc2.com/blog-entry-15.html


 朝ご飯もおひつを空にしてしまいました。この2日間の我々はどうかしていたと思う。この旅行から帰って来て今まで、これほど白ご飯を食べまくった日はありません。


2015年8月 田沢温泉 旅館の朝ご飯


 チェックアウト時間よりも早めにお暇して、去年に寄りそびれた青木村歴史文化資料館へ。図書館、民俗資料館歴史文化資料館は地続きで、だから判り難いんだな。図書館が入口でした。そこから渡り廊下を歩いて資料館へ。

 民俗資料館の方は、生活用品の移り変わりみたいな物を順々に展示してある。何処の市町村の資料館とも展示品がかぶっていると思う。

 大昔の玩具の中にブリキのポンポン丸が混じっていたよ。これは今も駄菓子屋で普通に売っている。自分も貰い物を持っているし、箱まで同じだ。
 

2015年8月 青木村民族資料館2015年8月 青木村歴史文化資料館 ポンポン丸


 民俗資料館は適当に切り上げて、いよいよ歴史文化資料館。ここは青木村義民の資料と、栗林一石路(プロレタリアのヒト)の資料、それと古代遺跡の資料を見ることが出来るです。


2015年8月 青木村民族資料館青木村民族資料館 義民資料展示室


 ↓これを見ると、別に青木村に限ったことではなく信州各地でやられていたんだな。


青木村民族資料館 信濃の主な農民一揆青木村民族資料館 文化の勇吉


 青木村周辺で決起された一揆の一覧表みたいなのが展示されていたけど、写真がボケボケなので頑張って書き直してみた。青木村という名前は無く、「青木中学校付近に生えていたネズの木に由来する。」(wikiより)とのことなので、「夕立と一揆は青木から」のキャッチコピーはそれほど古いものではないとバレてしまいました。

 青木村wiki

 やはりどうしても真田贔屓になってしまうのが人情で、「上田藩の一揆もきっと仙石や松平が統治してから増えたのだろう」と思っていたけど…、

 慶長 11 多数欠け落ち、真田信之飛散農民をつれ戻す。

 ↑これで大笑いしてしまった。つれ戻すwww信之さん直々に説得したのだろうか。

 ただ、代表されるのは「上田騒動」と呼ばれている宝暦と明治に起こった一揆だそうで、どちらも松平の統治中。


青木村民族資料館 上田藩の農民一揆 ※クリックすると少し大きくなって読み易くなります。



  青木村の農民一揆

  青木村域で
 
  (当郷・村松郷・入田沢村・中挟村・中村・下奈良本村
   沓掛村・夫神村・殿戸村が合併して青木村となる。)
 
  起きた農民一揆は5件を数える。
 
  法で定められた手続きをとらないで、直接藩主や上級
  の役人、役所に訴え出る「越訴」が2件

    天和 2年(1682)入奈良本村から
    享保 6年(1721)中挟村から 


  直接訴えることにかわりないが、文書等によって
  嘆願という形をとる「愁訴」が1件

    文化 6年(1809)6月27日 入奈良本村から


  本村域から発生し、上田藩全領に及び、多数の農民が
  力ずくで要求する「強訴」と共に、富商・割番・庄屋
  宅等を破壊した「打ちこわし」が2件である。

    宝暦11年(1761)12月11日 夫神村から     
    明治 2年(1869) 8月16日 入奈良本村から


  当時、以上の行為はすべて法により禁止されていた。




     天和の増田与兵衛

   天和2年(1682)入奈良本村の与兵衛は、村人の生活苦と庄
  屋の不正をときの上田藩主仙石政明に直訴した。この訴えは
  聞き届けられたが、法により二人の子どもとともに死罪をい
  い渡され、夫神川原で斬首された。
   このとき、当日の朝になって藩主から急に、与兵衛父子の
  処刑中止の命令がなされた。これを伝えに支社が早馬で刑場
  に向かったが、四ツ谷まで来ると、父子はすでに処刑の座に
  着いているのが見える。使者は「その刑待て」と叫んだが、
  執行役人は「早く斬れ」と聞きまちがえて、使者が着く直前
  に父子の首は落とされたという。




   享保の平林新七

  中挟村の駕篭入れ地籍は、以前から検見の行われない所
 とされていたが、正徳の末から享保のはじめ頃、このしきた
 りを破って検見役人がこの地に入った。
  中挟村の組頭新七は、検見が行われると年貢がふえること
 を恐れ、今まで通りにしてほしいと何度も願ったが、聞き入
 られず、ついに役人を鎌で切り殺してしまった。
  藩では、役人にも落ち度があるとして、新七は通報処分にと
 どまり、中挟村は45俵の年貢がへらされることになった。
  しかし、新七は死罪になったという説も残る。中挟区月夜
 平にある新七の墓には、享保6年(1721)没と刻まれている。 




   文化の堀内勇吉

  文化6年(1809)入奈良本村の農民が、庄屋の不法を訴えて
 三手に別れて上田城下に押し出した。この先頭にたったのが
 組頭の勇吉である。途中、度重なる村役人や問屋の妨害にも
 屈せず城下に達した。しかし、願い書を直接藩役人に渡すこ
 とはできず、問屋を通じて奉行所へ差し出して引上げた。
  その後、問屋らはうつわでことを解決させようとしたが、
 農民側はあくまで裁判を受けたいと主張した。
  約1か年の裁判の末、勇吉永牢以下重い罰を課せられた
 のに対して、庄屋方はお役御免となり、願いの筋は通った。
  勇吉は、翌文化7年12月14日牢死。58才であった。




   明治の騒動

  明治2年(1869)8月16日、入奈良本村から一揆が起こっ
 た。翌17日、上田藩のほかの村々の農民も呼応し、それぞれ
 願いをかかかげて上田城下に乱入、藩当局に強訴かると同時に
 町方の豪商宅を打ちこわし、焼き打ちをかけた。火は折から
 の強風にあおられて燃え広がり214戸が焼失した。
  18日から19日にかけてさらに数を増した農民は、村方
 の割番、庄屋、富商宅を49か村にわたって打ちこわした。
  まさに「よならし大一揆」であった。
 この一揆税の願いは大半聞きどけられたが、首謀者として
 九良右衛門は死罪、ときに65歳であった。




   受け継がれてきた義民の心

  宝暦騒動の首謀者半平は、新七の越訴事件のときには17歳
 の多感な青年であった。そして、彼が騒動を起こす2年前に
 与兵衛が神に祀られたことが、一揆の首謀者になることを決意
 させる精神的背景になったことが推測できる。
  宝暦騒動のときに9歳であり、新七稲荷が祀られたときに15
 歳であった勇吉が、文化の愁訴事件の首謀者になった。しかも、
 年齢が宝暦騒動の首謀者半平と同じ57歳である。果たして偶
 然と言いきれるだろうか。
  この文化の騒動で牢死した勇吉も神に祀られたが、場所は与
 兵衛明神のすぐそばである。
  天和。享保・文化の義民が没した日、あるいは騒動に起きた日
 を祭日とし、村中が祠の前に集まって祭事を行い、義民の徳
 を賛えた。
  さらには日常の会話にも、その由来が口から口へ語り伝えら
 れながら、義民の徳は仰がれ、農民の手本として世代から世代へ
 受け継がれていったことであろう。
  だから、この地には、第2、第3の与兵衛、新七とし???
 半平、浅之丞が、さらには勇吉、九良右衛門が出現したので
 はなかろうか。

            横山十四男著「上田藩農民騒動史」より

 ※↑は全て↓この画像に乗っている案内を書き写しました。



青木村民族資料館 青木村の農民一揆 他






 入奈良本村の農民、オラつき過ぎにも程がある。余ほど貧しかったんだろうか。…こんなことを言ってはバチが当たりそうだけど、あまり悲壮感が無くて何故か楽しそうに見えてしまうんだよなぁ。

 又五郎「俺がやるよ。」

 弥五兵衛「いやここは俺がやるよ」

 与兵衛「じゃあ俺がやるよ」

 又&弥五「どうぞ どうぞ」

 …なんてやり取りも実際あったかも知れない。引っ込みつかなくなって首謀者とか。

 ただ、たとえ罪人だとしても死後に神として祀ってくれるからな。歴代藩主のヒトは堪ったもんじゃなかったと思うけど、面白過ぎる。

 そんな義民魂に惚れ込んだわけですが、そのわりに現代の青木村のIngressプレイヤーは緑色(レジスタンスではない方)ばかりで情けない…。それって矛盾してないか?画面を見た時に失望してしまいました。シッカリ攻めて帰って来たけど。

 ・
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 ・

 ↓画像の木の札は罪状書きのような警告のような、そんなもの。

    夫神村 組頭 浅之丞
    同 村 百姓 半 平

 一、右の二人は、去る巳の十二月十二日百姓どもの強訴のとき、
   最初から先頭にたってはたらいていた。
   強訴に参加しない村々へは火をつけ、打ちこわすとおどしたので、
   訳を知らない者も騒動に参加した。このことにつ
   いて取り調べたところ、
   右の二人が自分たちが張本にになって言いふらしたと白状した。
   これは法に背くことであり、とんでもないことである。
   よって死罪を申しつけるものである。
   もし、今後このようなことがあれば、
   もっときびしい罰をくだすから決してしてはならない。

    未の三月 

 ・
 ・
 ・

 …命が軽いよなー。こんな軽く扱われるぐらいなら、神になって皆に崇められた方が余ほどシアワセなのかも知れない。


青木村民族資料館 夫神村 組頭 浅之丞青木村民族資料館 承応3年 貫高帳



青木村民族資料館 享保の新七青木村民族資料館 青木村ロゴの木製ベンチ


 思っていたよりもぜんぜん面白くて、けっこう長居をしてしまいました。この後は去年も寄ったところに行きます。

 つづく。


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